コゼットの顔

 

シンボルマークの題材となっている原作の挿絵。

 

このミュージカル、ロングランの世界記録を更新中とのこと。ロンドンでは一九八五年の初演以来、何と二十六年間ずう〜っと上演されている。しかし、二十六年間同じ芸で勝負するなどということは、おいそれと出来ることではないと思う。今は亡き「ぼやき漫才」の人生幸朗氏は何十年間も「歌の文句にケチをつける」という芸で生きてこられた。また、「ウクレレ漫談」の牧伸二氏はかれこれ五十年「あ〜あ、やんなっちゃった」とやっておられる。しかし、「ぼやき」の対象となる歌や、漫談の「時事ネタ」は常に変わっていたわけで、寸分変わらぬ舞台を二十六年間続けてきたのとは、かなり意味が違うと思う。

僕がロンドンに越してきたのは一九九一年のこと。当時既にパレス劇場でこのミュージカルが上演されていた。そして、当時から同劇場の正面にはシンボルマークの「フランス国旗をバックにしたコゼットの顔」が掲げられていた。僕は同僚や友人と飲みに行く際、よくこの劇場の前で待ち合わせたものだ。

「じゃあ、『レ・ミゼラブル』の前で六時にね。」

というと、誰もが間違えずに迷わずにそこにやって来た。それほど「コゼットの顔」は皆の目に焼きつき、このミュージカルはロンドンの住民に定着していたわけだ。

 それから更に二十年。二十一世紀に入り、場所はパレス劇場からクイーンズ劇場に移ったものの、毎夜毎夜このミュージカルは上演され続けている。(週に何回かはマチネ、つまり昼の部もあるが。)そして、今もって毎日誰かが劇場を訪れているのである。考えれば凄い話だ。

二〇一一年六月のある水曜日の夕方、僕はこの「超ロングラン」ミュージカルの秘密を探るため、クイーンズ劇場の玄関を潜った。

「二十年間ロンドンに住みながら、これまで一度もこのミュージカルを見なかったというのも、不思議な話だな。」

と思いながら。

例によって、僕はインターネットでこのミュージカルについての予備知識を仕入れていた。このミュージカル、フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーが一八六二年に発表した小説「レ・ミゼラブル」(日本では「ああ無情」というタイトルでも知られているが)を原作としている。主人公の「ジャン・ヴァルジャン」の名前は「レ・ミゼラブル」という題名と共に、「知らない人でも知っている」ほど有名なのではないだろうか。

ご存知のように、この小説はフランス革命後の、十九世紀初頭のフランスを舞台にしている。ナポレオンの失脚後、王政になったり、帝政になったり、はたまた共和制になったり、フランスの社会が目まぐるしく移り変った時期だ。家族のためにパンを盗んだだけで、十九年間刑務所暮らしを強いられた主人公ジャン・ヴァルジャンと、彼をめぐる人々の姿を、当時の社会情勢を絡めて描いた「傑作」というのが通説になっている。僕が原作を初めて読んだのはおそらく小学生のときだったと思うが、かなり強烈な印象と感動を受けたことを覚えている。

 

クイーンズ劇場の前に掲げられている大きな「コゼットの顔」。上に「夢を夢見よう」と書かれている。