ロンドンへそしてドイツへ

 

黄昏のKLの街。まだクリスマスの飾り付けが残っている。

 

七時にホテルを出て、荷物の入ったスーツケースを転がしながら、「KLセントラル」まで歩く。まだあたりは薄暗い。マレーシア航空の乗客は、この駅でチェックインが出来て、荷物を預けてしまえる。これは便利だ。

荷物を預けて、小さなリュックサックひとつという身軽な体勢になり、「KLエクスプレス」に乗る。ノンストップの特急列車は三十分弱で、空港に着いた。幸い来た時とは違い出国手続きはスムーズで、九時前には空港の建物に入った。

腹が減ったので、ラクサを食う。ココナッツミルクの味のするこってりしたウドン。三度の食事が麺類でもよいというくらい麺類好きの僕には、マレーシアは便利な場所だった。

ロンドン行きのジャンボ機は十時半にKLを出発。僕は間もなく眠ってしまった。

飛行機は十三時間半の飛行の後、午後四時、(と言ってもマレーシアでは翌日の午前零時だが)ヒースロー空港に到着。迎えのタクシーに乗る。気温はプラスで、暖かく感じる。しかし、日陰には雪が残っており、クリスマスの間、寒かった日々の名残が窺える。

家に着いて息子のワタルと末娘のスミレに会う。クリスマスの三日間は、友達を家に呼び、六人で「合宿」していたとのこと。クリスマスの日には、ワタルがニワトリをローストしたという。百本近いビールの空瓶と、二十本近いワインの空瓶から、どんな生活をしていたか知れるというもの。

荷物を片付け、風呂に入る。バスタブに浸かりながら、スミレと話をする。彼女はペナンを一度訪れているわけで、共通の話題があり、話が通じ易い。

「カサネちゃんの結婚式はどうだった?」

「人数も、多すぎもせず、少なすぎもせず、家族的で良かったよ。」

そんな会話が交わされ、その後、ペナンのジェイソン、チズコ一家の消息に話の花が咲く。彼女もペナン滞在中はふたりの息子さんとよく遊んでいたようだ。

翌日、十二月二十九日は出勤。時差ボケだが仕事だけはしなくてはならない。その日がちょうどクリスティアンの葬儀の日だった。デートレフからメールが来た。

「二週間たった今でも、クリスティアンが二週間の休暇を終えて、オフィスに入ってくるような、そんな錯覚に陥る。でも、彼はもう来ない。」

そう書かれてあった。

 年が明け、正月を金沢の実家で迎えたマユミも戻って来る。職場では、ドイツと英国の間で何通かのメールが交わされ、何回かの電話会議が催された後、クリスティアンが途中までやっていた仕事を片付けるために、僕がしばらくドイツに行くことになった。

 一月のある月曜日、僕は朝六時半発のルフトハンザ機で、ヒースロー空港を旅立った。一時間半の飛行中に夜が明け、窓の外はピンクの光に包まれている。大きく蛇行するライン河が見える。デュッセルドルフの空港に降り立ち、外へ出るとデートレフが見えた。僕は彼に手を振った。

<了>

今回の旅の終りは「きつねうどん」ではなく「ラクサ」だった。

 

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