水族館のようなレストラン

 

食べたい海老や蟹、魚を指名する。

 

アパートに帰り、チズコ夫婦に明後日の午前八時、コムターからバスに乗ることを告げる。切符が三十五リギットだと言うと、ふたりとも余りの安さに驚いていた。

「ペナン空港からここまでタクシーで四十リギット以上するよ。」

とジェイソン。

「ひょっとしたら、冷房もない、ボロボロのバスかもね。」

とチズコ。

夕食は、海鮮レストランで、ということになった。昼のローストポークに続いて、夜もご馳走。何か別の日に取っておきたいような気がする。

海鮮レストランは、海岸通を歩いて二キロくらいの場所、車で行ってもよいのだが、昨日に引き続き海岸通はひどい渋滞。今日も確実に「歩いた方が早い」状態。

五時過ぎに、五人で海岸通を歩き始める。引き潮で、ヘドロの積もった海底が露出し、ちょっと臭い。やはり、海は綺麗な方が良い。僕がいつもエーゲ海で休暇を過ごすのはまさにその理由。途中オリバーが縁石から足を踏み外して派手に転んで泣き出すハプニングがあったものの、三十分後に無事海鮮レストランに到着した。

大きな海老のネオンサインが出ている。レストランというより、水族館みたいで、海老、蟹、魚、貝などが水槽で泳いでいる。水族館と違うのは、それを指差して注文して、食べられるということだ。

蟹と、スズキのような白身魚を注文して食べる。魚は体調四十センチ近くある。新鮮なので臭みがなく、ショウガと唐辛子が効いていて美味い。子供達も喜んで食べている。魚を好んで食べる子供はそれほどいないと思う。でも、こんな新鮮な魚なら、誰でも美味しいと思うだろうな。

スミレもこのレストランに連れてきてもらったことがあるという。

「あの時はスコールが来て、大雨の中で食べていたよな。」

とジェイソンが言った。

帰りも歩いて帰る。子供達はよく歩いたご褒美にアイスクリームを買ってもらっている。一眠りして目を覚ますと夜中の十二半。水を飲みに部屋の外に出ると、リビングルームでチズコがまだ起きていた。その後一時間ほど彼女と英国の教育制度について話をする。

チズコが本を貸してくれる。ペナンに住んでいる人をインタビューした本だ。今日言ったウェットマーケットの卵売りのおばさんも登場している。

年配の人のインタビューには、一九四一年の日本軍のマレーシア侵攻、占領の話が必ずと言っていいほど登場する。それまで英国人に支配され、搾取されながらも、それなりに安定していた現地人の暮らしが、日本による占領によって一変する。最終的にそれが植民地からの独立のきっかけになるものの、ここでも、日本軍は現地の人達に対し、随分非人間的な扱いをしたようだ。

 

三十分前まで生きていた蟹は新鮮で美味い。