マルチリンガルはどうして出来る

 

市庁舎の前の公園で遊ぶマレーシアの若者達。

 

クリスマスイブの夕食は、新しく出来たショッピングモールの中にある、何故か「ドイツレストラン」で、ということになった。ペナンでは次々と新しいショッピングモールが開店しているとのこと。しかし、買い物客の数と消費される金は基本的にそれほど変わらないので、新しいモールが出来ると、前からあるものは寂れていくそうである。

新しいショッピングモールはガーニーの北の岬にあり、チズコのアパートから見えている。しかし、実際に車で向かうと、道が渋滞していてなかなか近付かない。ジョージタウンからバスで帰るのに、一時間以上掛かったことでも分かるように、クリスマスイブの今日は、普段にも増して人出が多いようだ。

皆考えることは同じなのか、「ドイツレストラン」は満席、予約がなければ入れなかった。それで、同じモールの中にある「アイリッシュパブ」で食事をすることになった。

「子供達を連れてパブに入れるの?」

と少し驚いてチズコに尋ねると、

「マレーシアでは基本的に『何でもあり』なの。共稼ぎの夫婦が多いでしょ。だから、子供を連れて外食する機会が多いわけ。十一時ごろでも、レストランで子供達がウロウロしてるわ。」

とチズコが言った。

パブで食事をしている僕達のテーブルの横に、二十歳くらいの若者が十人ほど座って飲んでいる。中国系の若者だ。

「マレーシアの若者って、日本や英国の若者に比べて結構まじめなのね。セックスとかドラッグとかやらないし、早く結婚するし。」

とチズコ。

「それに、皆、英語、中国語、マレー語の三つを普通に話すのよ。」

チズコは子供達を、マルチリンガル、つまり多国語をしゃべるように育てたいという。しかし、オリバーは、英語の幼稚園から日本語の幼稚園に変わったとたん、日本語が上手になったけれど、英語を話さなくなってしまったとのこと。

「小さい子供にとって、マルチリンガルは難しいよ。」

僕は自分の経験からチズコに言う。僕は自分の子供達のことを例に挙げて説明しようとする。例えば、息子のワタルは五歳までドイツにいて、そこで幼稚園に通い、結構流暢なドイツ語を話していた。しかし、英国に移って現地の学校に通いだしたととん、わずか三月で英語を喋り始めたものの、同じくわずか三ヶ月でドイツ語をすっかり忘れてしまった。今、またドイツ語を勉強しなおして、何とか流暢には喋っているが、僕から言わせると英語訛りのドイツ語。つまり、子供の頃のドイツ語の記憶は彼の頭の中に残っていなかったのだ。

「バイリンガルは九歳くらいまでは難しいよ。」

とジェイソンも同調する。

 

ブランコに乗るペナンの少女。