マレーシアは天国?

 

ジュディスのパーティー。シャンペングラスを片手に歓談する人達。

 

 ジュディスのアパートは高台の上にあった。辺りには豪勢な邸宅が点在している。アパートと言っても、日本の感覚では「マンション」いや、それ以上のレベルなのであるが。ジュディスのアパートからの眺めは素晴らしい。高層ビルの並ぶジョージタウンの町が一望できる。「ブリジット・ジョーンズの日記」の映画は、主人公の叔母が開く「新年ターキー・カレー・パーティー」から始まるが、このパーティー、そのシーンを思い出してしまう。

「実にクリスマシーな雰囲気だわ。」

とチズコが言った。彼女もちょうど、その映画のシーンを思い出していたという。  

アパートには三十人の以上の人が集まっていた。何と、九割以上の客が白人なのだ。日本人が固まるように、白人同士も固まってしまうのだろうか。アジアの国にいるのに、参加者でアジア系は僕達を含めて数人しかいない。そして、殆どが中高年の人々である。

これには理由がある。マレーシアには「MM2H」、「マレーシア・マイ・セカンド・ホーム」という制度がある。外国人は、千五百万円程度の預金(供託金)をマレーシアにすれば、政府から十年間のビザを得ることができる。おそらく、ここに集まっている人達の大部分は、その制度を利用し、定年後、気候が温暖なマレーシアに移り住んでいるのだ。ちょっとした金持ちなら、その程度の供託金は「屁」だろうから。

何人かと話す。カナダ人、ドイツ人、英国人、スイス人、元住んでいた国は様々だが、皆ペナンが好きだから来たわけで、当然、ペナンのことを「天国」のように言う。

「あんたも定年になったらここへおいでよ。」

確かに、気候は年中温暖、ヨーロッパ人にとって、それは憧れの的かも知れない。しかし、チズコは、寒い時期があるから暑い時期が楽しめるのであり、年がら年中暑かったら全然楽しくないと言っているが。

またマレーシアを選んだ理由に「英語が通じる」ということを挙げる人が多かった。これには同調する。例えば、医者へ行っても、英語が通じるのと通じないのでは全然信頼感、安心感が違う。隣国のタイなどは全然英語が通じないらしい。

僕は普段旅先で何気なく英語を話しているが、

「もし英語が話せなかったら。もし英語が通じない場所にいたら。」

そう考えると、旅自体が成り立たないような気がする。地球上で暮らす上で、「英語を話す」意味は、予想外に大きいのかも知れない。

ビルと言う英国人が、これからは英語と中国語、それもマンダリン・チャイニーズ(北京語)の時代だと言った。このふたつの言葉が話せれば、食うに困らないし、チャンスが大きく広がると言う。息子のワタルも同じことを言っていた。そして、彼は両方喋れる。

しかし、どう考えても、これらの白人たちは、地域に溶け込んでいるとは思えない。白人による「コロニー」、「植民地」の時代が終わっても、金持ちの白人たちがやってきて、植民地時代と同じように、低賃金で、現地の人間をこき使っているような気がする。

 

ジュディスのアパートから見下ろすジョージタウンの眺めは絶景。