家族再会

 

結婚式で新郎新婦の入場を待つ姉夫婦。「兄」は僕より年下なのだ。

 

十二月十八日、朝五時に目が覚める。まだ真っ暗だ。しかし、何故か歩いてみようという気になる。外に出て歩き始める。時差ボケで足元が定まらず、最初の数歩は真直ぐあるけない。最初、西に向かい、千本鞍馬口、千本今出川、堀川今出川、堀川鞍馬口の長方形のコースを歩く。車も少なく、人ともほとんどすれ違わない。歩き終わって、ようやく胃がすっきりしたというか、空腹感が出てきた。

マユミが起きてこない。ロンドンで引いた風邪をこじらせて、熱があるようだ。それで、生母とふたりで朝食を取る。今日は十時から、叔母の家で、明日の披露宴で弾く連弾曲の「最後のリハーサル」をすることになっていた。しかし、マユミが起きて来ないので、僕ひとりで叔母の家に行き、自分のパートだけを練習した。

昨日から気になっていたのだが、その日も師走の天気の良い土曜日なのに、商店街の人通りがずいぶん少ないのだ。僕が子供の頃は、暮れになると、街も道も、もっとごった返していたような気がする。生活パターンが変わったのだろうか。それとも不況のせいなのだろうか。

叔母の家からの帰り道、幼馴染のG君の家の前を通る。立ち寄って母上と話をする。お母さん自身も結構お歳のはずなのに、まだ老人介護のボランティアをやっておられるとのこと。G君自身は今ヨルダンにいて、僕は来年の三月、彼をアンマンに訪ねる約束をしている。

「息子を訪ねたら、また旅行記に書いて、読ませてくださいね。」

G君のお母さんに言われる。お母さんは僕の旅行記の愛読者のひとりなのだ。

十二時過ぎに鞍馬口の生母の家に戻る。マユミはまだ寝ている。起きてきて飯を食う元気もなさそう。今日は昼から、福岡から出てきた姉夫婦と僕達夫婦が父の家に集まることになっている。父もそれを楽しみにしていたが、マユミは参加できそうにない。

午後二時に父の家に行く。午後三時、姉夫婦が現れる。ふたりだけで来るのかと思っていたら、甥のヨウと、義兄のミツノリのお母さんも一緒だったので、少し驚いた。僕がヨウに合うのは三年ぶり、ミツノリ母とは初対面だ。こちらはマユミがいなくてひとり少ない分、向こうが人数を増やしてくれたようなもの。継母が、

「用意していた菓子の数か足らなくなった。」

と言って慌てている。食堂に集まって話をしたが、高齢で最近は口数の少なくなった父が、結構良いタイミングでてコメントを入れていた。甥のヨウは、実父の後を次いで、商業写真家の道を進むと言っている。

午後四時、姉夫婦、義兄の母、甥と僕の五人が、歩いて五分の今度は鞍馬口の生母の家に移動する。同じように、「お久しぶり」と「初対面」の挨拶があった。マユミは二階で寝ており参加しない。

姉夫婦たちが帰った後、その日の夕方はまた銭湯に行き、父の家ですき焼をご馳走になる。歯のない父にも食べられるように、霜降りの柔らかい牛肉。九十歳の父が僕と同じ分量を食べているのを見て、頼もしく思った。

 

恒例のスキ焼。英国にはない霜降り肉が美味しそう。