眠っているという夢 (謝辞)

西海岸は波のきれいな場所だった。打ち寄せる波は、ずっと見ていても飽きない。

 

今回、ニュージーランドを訪れて、第一に良かったのは、「別の、もうひとつの」価値観を持つ人々に出会えたことであろう。

一般的に、ニュージーランド人は、人を踏みつけてまで、自分の私生活を犠牲にしてまで、一番になろうとか、成功しようとか思わない人々だと思う。ヨーロッパでは日本に比べて、同じような、「私生活重視」の傾向が強い。しかし、ニュージーランドは、ヨーロッパに比べても、はるかに別格という感じがする。だからなのか、ニュージーランド人は誰もが、飾らない、とっつき易い人たちだった。

また、有機農場を営む人たちの価値観も、強い印象を受けるものであった。「自然との共存」、「自給自足」、「お互い出来ることを持ち寄り助け合って生きる」、先にも書いたが、将来、もし貨幣経済が破滅することがあれば、一番強いのは、この人たちだと思う。今回その中でも「グル」と言われるシローにお会いできなかったのが残念だが、ラニ、ペーター、メヒティルトなど、有機農場のオーナーの方々の話は、どれも、「自然」との付き合い方を考える上で役立つものだった。また、自給自足と言えば、その「権化」である「リバーサイド・コミュニティーでお会いした方々も興味深い話をしてくださった。

またお世話になったSさんとKさんの価値観からの影響も大きかった。親身になって相談に乗ってくださり、どしどしと意見を言ってくださったお二人に、心から感謝したい。正直、ロンドンを発ったときは、自分が今後どうして生きていくのか、迷っていた。また、精神的にも肉体的にも、かなり疲れていた。しかし、ニュージーランド滞在を通じて、今後どうして生きて行けばよいのか、糸口が見つかったような気がする。今後、この糸口を見失わないで生きていきたいと思う。

また、Kさんが作ってくださった食事は素晴らしかった。料理は、「腕」、「材料」、「環境」で決まると思うが、素晴らしい環境の中で、新鮮な素材を使って、素材を生かした料理法で作られたKさんの料理は、この条件を全て備えていたと思う。

ニュージーランドにはまた来たいと思う。次回は家族を連れて、山に雪のある季節に来てみたい。ニュージーランドが好きになった一番の理由は、自然の雄大さもあるが、それを一層雄大に見せる、人口の少なさ、ガラガラ、スカスカさであった。誰も周囲にいない場所にたった一人でいる気分、そして完全なる静寂、あれは一度味わうと癖になる。

シンガポールから関空に向かう飛行機の中で、リバーサイド・カフェで観葉植物に囲まれて眠っている夢を見る。「眠っている夢を見る」というのも変だが、本当に眠っている夢だったのだ。おそらく、立ち並ぶ席の背もたれが、サボテン等の観葉植物に囲まれているという風に感じさせたのであろう。

隣の席は、ホストファミリーとして面倒を見た日本人女性が結婚することになり、これから式に参列するために大阪へ向かうという、ニュージーランド人の母娘だった。翌朝、着陸の少し前、

「大阪の気温は三度。」

というアナウンスが入った。

 

最後は、ニュージーランドのシンボル、シダで締めくくり。

 

<了>

 

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