誰もいない海

これがアベル・タスマン名物「桃太郎岩」。

 

ナギサの滞在も、二日を残すだけとなった。その日も観光、僕たちはアベル・タスマン国立公園へ行くことにした。アベル・タスマンはニュージーランド南島の最北端の海岸線である。この、海岸線には、車の通れる道路がない。それはとても良いことであるが。従って、観光は歩いていくか、船でいくかしかない。もうひとつ、カヤックで行くという方法があり、何と、カヤック五日コースというのがある。

歩くことに自信のないナギサと僕は、往復船を使うことにした。船で終点の一つ前の、アエロワの浜まで行き、そこに二時間ほどいて、また船で戻って来ようという計画。九時頃、数日前にシーカヤックをしたカイテリテリの浜に車を停め、観光船の切符を買う。

百人ほど乗れる観光船は、上がデッキ、下が船室になっている。カイテリテリの港を出たときは、天気が良かったので、僕たちもデッキにいた。船が出て間もなく、「桃太郎岩」が見えて来る。おばあさんが拾って来た桃を、包丁で真ん中から切り、桃太郎が飛び出した後のような形の岩。

大部分は、切り立った崖が続いていて、湾の奥に砂浜がある。山は松の木で覆われている。船内の案内によると、松の木は在来種ではなく、西洋人が持ち込んだものだという。ニュージーランドの白人による歴史は浅い。(もちろんそれ以前に住んでいたマオリの人々の歴史は長いのだが。)一八三〇年ごろ、つまり日本の明治維新の少し前に、白人の入植が始まった。彼らは、材木を得るため、成長の早い松の木をニュージーランドに持ち込み、その松の木が、現在ニュージーランドの森の主流を占めている。

ちなみに、オーストラリアはかつて英国の「流刑地」であり、最初に入植したのは「囚人」であったという。しかし、ニュージーランドでは、「自ら意思で」この地に移住してきた人が多いとのことだ。それがニュージーランド人のプライドでもあるらしい。

船は順に浜に寄って、乗客を降ろしていく。殆どの人は、そこからトレッキングをするのである。しかし浜に船着場はない。砂浜にギリギリまで近付き、船の前にあるブリッジで客を降ろすか、そんな場所さえないときは、モーターの付いたゴムボートで乗客を岸に降ろす。乗客がだんだんと少なくなるにつれ、雲が厚くなり、日が隠れる。そうすると、急に寒くなった。寒がりのナギサは船室に入った。

正午前、アエロワの海岸で降りる。一キロ以上に渡る長い砂浜。一緒に降りた数人はトレッキングのために山の方へ向かい、海岸には僕たちのほか誰もいない。本当に「誰もいない」のだ。昼食のためにロッジの思しき方向へ歩き出すが、道を聴く人さえいない。かなり寒い。Tシャツ、セーター・ジャケット、あるものを全部着る。

「今はもう秋、誰もいない海。」

僕の口から出るのは、そんな歌である。

四十五分ほど砂浜を歩いて、やっとロッジに「避難」。暖かいココアを飲んで、朝モトゥエカの「ジャーマン・ベーカリー」で買ったサンドイッチを食べて人心地をつく。トレッキングの途中の人々が、次々にロッジに到着をし、同じように昼食を取っている。

 

結構涼しい日、しかし、寒さを感じないタンクトップのお姉さんがどこにもでもいる。

 

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