会社を辞めた

 

ニュージーランドに発つ三日前、末娘のスミレの学位授与式に出る。

 

十二月二十七日、会社を辞めた。手続きは思ったよりはるかに簡単だった。朝、人事課に電話をし、課長のメリッサに尋ねると、

「とりあえず、辞める旨と理由を書いたメールを書いてください。」

という返事。僕はその日まで二週間病気で欠勤をしていた。会社との契約によると、辞める場合は、四週間前に通告し、その間に業務の引継ぎをしなくてはならないことになっていた。しかし、病気を理由に退職するときは、その例外であるとのこと。僕はその日のうちに、会社とは縁のない人間になることができた。夕方に私物を取りに最後にオフィスに行ったが、クリスマスと正月の間、オフィスには数人しか働いていなかった。

会社を辞めることは、ほぼ予定通りの行動だった。僕は、十二月初旬から「ストレス障害」で病気欠勤していた僕は、その期間が終わったら、会社に辞表を出すつもりでいた。まとまった時間ができたら、しばらくは次の仕事を捜さず、「放浪の旅」に出るつもりでいた。

小学校と中学校で同級生だったKさんは、ご主人とニュージーランドで、「B&B」つまり民宿をやっている。これまでずっと、一度来ないかと誘ってくれていた。しかし、ロンドンから地球の裏側にあるニュージーランドまで行くには、二週間以上の期間が必要、そんな長い休みを取ることは、会社勤めの身には不可能だった。会社を辞める決心した後、僕はKさんに一ヶ月ほど世話になれないかと頼んでみた。彼女は

「是非おいで。」

と快く言ってくれた。十二月二十七日会社を辞めた僕は、具体的にニュージーランド行の計画を立て始めた。

 一月二十日の朝、僕はロンドンのヒースロー空港を旅立った。会社を辞めてから、旅立つ日まで、かなり忙しい日々だった。僕は妻と別居をすることに決めており、これまで住んでいた家を売りに出していた。その家を出て、多くの家財道具を処分してから、妻のアパートへ引っ越しをし、その片付け。その後、北の町、ダーラムで行われた、末娘の学位授与式に出席。ダーラムから戻って二日後の旅立ちだった。

 ニュージーランドのKさんに連絡したとき、彼女は、

「ナギサを一緒に連れて来てくれない?」

と聞いてきた。ナギサも僕たちの同級生、Kさんとは仲が良く、一度ニュージーランドを訪れたがっていた。しかし、ナギサは海外旅行の経験がない。それで、Kさんは僕にナギサを日本からニュージーランドまでエスコートすることを頼んできたのだ。ナギサにニュージーランド行きを打診すると、意外にあっさりオーケーの返事が来た。彼女の都合で、関空を発ってニュージーランドへ向かう日は、一月二十二日になった。僕が日本に着く翌日である。関空からニュージーランドへの直行便はなく、シンガポール経由だ。僕は、ロンドン>ヘルシンキ>関空>京都>関空>シンガポール>クライストチャーチ>ネルソンを四日で移動することになった。四日で距離的に地球を三分の二周する、かなりの強行軍である。

 

シンガポール、チャンギー空港で乗り換える。季節は一度に冬から夏へ。

 

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