大晦日から元旦、一晩で積もった雪と共に新しい年が来た。

 

十二月三十日、妻と私は昼前に京都から列車で金沢に向かいました。西海岸にある金沢は、妻の故郷で、私も学生時代を過ごした場所です。空気や水はきれいだし、新鮮な魚をはじめ、食べ物が美味しい、良い場所です。もし、あなたが日本を訪れる機会があったら、東京や大阪など東海岸だけではなく静かで落ち着いた西海岸へもぜひ行ってほしいと思います。

でも、西海岸は、冬は天気が悪いのが難点です。冬になると、日本付近では、西から東に季節風、モンスーンが吹きます。つまり、ロシアの方から、太平洋の方に向かって風が吹くわけです。日本の中心部には二千メートルを超える高い山が連なっています。海を越えて湿り気をたっぷり含んだ空気はその山に当たって西海岸の地域に雪を降らせます。山を越えた空気は湿気を失っているので、東海岸の地域は乾燥した天気になります。つまり、山を隔てて対称的な天気になるわけです。鉄道で京都から金沢に向かうと、その天気の境目が良く分かります。その日も、京都では日が差していましたが、長いトンネルをくぐって、西海岸に出たとたんに雲が多くなり、辺りには雪が積もっています。西海岸の沿岸に入った列車は、真っ白な雪原の中を走ります。

 列車は二時間余りで金沢に着きました。金沢では妻の父母が迎えにきてくれていました。妻とふたり揃って金沢を訪れるのは本当に久しぶりなので、父も母もすごく喜んでいるようです。金沢は十二月に入ってから、かなり雪が降ったそうですが、ここ数日は比較的気温が高く、道路に雪はありませんでした。

さて、翌日は二〇一四年最後の日、大晦日です。先にも書いた大晦日恒例の「紅白歌合戦」という歌謡番組を久しぶりに見ました。何と、私の生まれる前の一九五一年から続いている番組です。英国では十二月に「ロイヤル・バラエティ」という番組があり、その年活躍した歌手やコメディアンがロイヤルファミリーの前で歌や話芸を披露しますよね。あれに近いと言えます。僕が日本に住んでいた三十年前には、夜九時から十二時までだったのですが、何時の頃から、七時過ぎからの放送になったようです。この番組に出るということは歌手にとって一種のステータスのようで、初めて選ばれて大喜びをしている若い歌手の姿がいつも報道されています。また、この番組の司会者が、歌手の名前を間違えて、それが彼のキャリア一生の傷になったという話を聞いたことがあります。

私は二十数年ぶりにこの番組を見ました。司会者が素人っぽくて、何か、学校の学芸会を見ているような気分でした。登場する歌手たちは殆ど始めて見る顔ばかりです。歌も知らないものばかり。でも、その中で、ひとりの男性歌手が歌った「東京五輪音頭」だけは知っていました。私が小学校の一年生のとき、つまり一九六四年、東京でオリンピックがありました。そのとき、当時の国民的歌手と言われていた三波春夫がこの曲を歌っていた曲。五十年前の歌なのですが、まだ歌詞を覚えていました。

「四年経ったらまた会いましょうと、固い約束夢じゃない、ヨイショコラ、夢じゃない。」

この意味分かりますか?二〇二〇年に東京で、また四年に一度のオリンピックが開かれんですよね。

大晦日の夕方、風呂に浸かっている時、稲妻が光って、雷が鳴りました。普通、雷は夏のものなのですが、日本の西海岸では冬にも雷が鳴ります。そして、これは雪の到来を告げるものです。元旦、一月一日、朝起きて窓を開けると、辺りは銀世界でした。

 

元旦の朝は、先祖に手を合わせ、今年の幸福を祈る。

 

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