スミレのお仲間

 

六千人収容の野外劇場の跡にひとり佇むマユミ。素晴らしい風景を独占できるのは贅沢な気分。

 

本日二回目に「劇場」の跡に辿り着いたが、今回そこにいるのは妻と僕とのふたりだけ。こんなに良い場所をふたりで独占できるのは、贅沢な気分。ティリアにガイドをお願いしたのは正解だった。色々な歴史的背景が聞けたし、勉強になっただけではなく、それを知ったが故に、その後の僕達だけの観光もより楽しいものになった。

早めに船着場に行く。三時の船に乗り遅れると、明朝まで、この遺跡の他何もない島で野宿をしなくてはならないのだ。桟橋で、先ほど捻った右足首を海水につけて冷やす。気持ちが良い。疲れが取れる。

三時の船に乗ったのは、ほんの十五、六人だけだった。船が岸を離れると、パラパラと雨が降り始める。この雨、僕がエーゲ海の島で経験する、初めての雨だった。

オールドポートで船を降り、土産物屋で絵葉書を買ってペンションのあるアギオス・ステファノスまで二キロ半の道をまた歩いて帰る。今日はよく歩いた。ミコノスタウン往復の五キロに加え、デロス島でも丸四時間、ほぼ歩き続けていた。最低でも十二キロくらいは歩いたと思う。途中ニューポートの横を通ると、今朝見た大きな客船は去り、また別の、これも巨大な客船が接岸していた。ペンションの前で、クリスティーナと出会う。彼女は小さな黒い犬を二匹連れていた。うちのコーディに似た犬。一匹は彼女の犬、もう一匹は兄弟のひとりの犬だとのこと。

部屋に戻り、シャワーを浴び、ビールを飲んで一息つく。歩いた後はビールが美味い。その後、夕食の時間まで、絵葉書を書いたり、洗濯をしたりして過ごす。夕食は昨日と同じ三軒隣の「伯父さんのタヴェルナ」。今日はタチウオとたれに浸した牛肉を食べた。マユミはタチウオに醤油をかけて食べている。今日は水平線付近に雲があり、日没は見えない。

夕食後クリスティーナと話す。台所の付いたスタジオフラットがひとつ明日空くので、見るだけでも見て欲しいとのこと。クリスティーナがその部屋をノックすると、日本人の若い女の子がドアを開けた。独りで世界一周旅行中だという。同じくバックパッカーとして旅行中のうちの末娘と雰囲気のよく似た娘さんだった。

「散らかっていて恥ずかしい。」

と、その娘さんが言っていたが、リュックサックの中の物が、ベッドの上に山になっている。

「スミレの部屋もあんなのだったわ。リュックサックって、上の物を全部出さないと、下の物が取れないのよね。」

インドで三週間スミレと過ごしたマユミがそう言った。

クリスティーナに、明日その部屋に移りたい旨を告げる。

ベランダに出ると、ニューポートに停泊中の船に灯りが点き、そこから賑やかな音楽が聞こえてきた。夕食後のダンスの時間なのだろうか。よく歩いたので、ふたりとも疲れ果てて、また九時半には眠ってしまう。本当に健康的なホリデーだ。

 

アギア・ステファノスの村の隣にニューポートには、常に巨大な客船が停泊していた。いわば動くホテル。

 

<次へ> <戻る>