姥捨て島?

 

ガイドのティリア(左)について遺跡を巡り、説明を聞く。

 

船は四十五分でデロス島に着く。船着場から見ると、なだらかな斜面いっぱいに、石を積み上げた古代の建物の跡が広がっている。その規模の大きさにはただただ圧倒されるばかり。船を降りて、島へ入る入場券を買うために並んでいると(島自体がひとつの博物館になっている)、

「英語のガイドツアーはいかがですか。」

と聞いている女性がいる。

「こういう歴史的な場所は、やっぱり説明がないと面白くないよ。」

と妻を説得し、一人十ユーロを払って、そのガイドツアーに参加することにする。

 ティリアと名乗る細身の女性ガイドに付いて来たのは、僕達夫婦を含めて十人ほど。ティリアは広大な遺跡の中の、いくつかの重要なポイントへ僕達を連れて行ってくれた。

 ティリアの説明によると、この島はアポロンの神殿がある「聖なる場所」であった。その聖なる島で死ぬことは許されず、死期の近づいた人々や、分娩の間近い女性は、向かい側の島に運ばれて、そこで最期を迎えるか、子供を産んだという。

「姥捨て山ならぬ、姥捨て島ね。」

とマユミが言った。どうも意味が違うような気がするのだが。

島は今で言う「タックス・ヘブン」(非関税特区)で、貿易の中心として栄える。人口も三万人近くいたそうだ。しかし、紀元前八十七年、外部からの侵略を受け、徹底的に略奪、破壊され、その後約二千年間、島は顧みられることがなかった。二十世紀になり発掘調査が始まり、現在僕達が見ることのできる古代の都市の跡が掘り出されたという。

ティリアによるツアーと、彼女の説明は実に面白かった。当時の家の構造、下水道などのインフラストラクチャーがよく分かった。二千数百年前の人々が、すごく文明的な生活をしていたのには驚いた。しかし、当時はもちろん自動車がなかったわけで、道は狭い。

「おそらく、ミコノスタウンの『迷路』みたいな町並みだったのね。」

と妻が言った。

 当時の大きな商人の家の跡、床のモザイクが美しい。玄関には「受付」の窓まである。

僕:「なるほど、ここで宅急便なんかを受け取ったわけね。」

妻:「あなたの会社、当時からあったの?」

大阪のおばちゃんと話した後は、ボケもツッコミもスムーズだ。

 その横の溝はトイレの後。写真に撮る。どうも昨日から僕はトイレにこだわっているようだ。

 感動したのは、広場にあった大理石に刻まれた文字が読めたこと!そこにはギリシア文字で「マケドニア・フィリップ」と書いてあった。当時の王の名前、アレキサンダー大王の父だ。二千数百年前に書かれた文字が、まだ現在でも使われ、しかも読んで理解できることは、信じ難いこと。それだけ、ギリシア語が当時から洗練された言葉だったのだろう。

 

道路、下水道、上水道・・・二千年以上前のインフラストラクチャーの完璧さにはただただ感嘆するばかり。

 

<次へ> <戻る>