旅に出る家族

 

タージ・マハールを訪れたスミレ。

 

五月十二日午前四時、妻のマユミと僕は車で家を出発、百キロ余り離れたガトウィック空港へ向かう。車の中の温度計は零度と表示され、スコットランドでは季節外れの雪の予報が出ている。ロンドン近郊の野原も、一面に白い霜で覆われている。

 末娘のスミレが二月から東南アジアを旅行中。マレーシアを出てカンボジアとラオスに入ってから、しばらく娘から便りがなかったので、妻も私も少し心配していた。二日前にベトナムから元気にしているとメールがあり一安心。毎日四十度近い暑さでちょっと参っていると書いてあった。どこへ行っても汗、汗、汗の毎日らしい。

しかし、暑いのも応えるが、寒いのも応える。今年の英国はずっと寒いが、それにしても、五月も中旬になって霜が降りるとはちょっと異常。これから行くギリシアのミコノス島、気温は二十度を超えているらしい。何でもポジティブに考えるようにしている僕は、

「英国の気温と、休暇先の気温にギャップのあった方が、休暇先での嬉しさが増すものね。」

と妻に言う。

 メールの中で、スミレはカンボジアでは、アンコール・ワットを見たと書いていた。

「インプレシブ(印象的)だけけど、とにかく暑かった。」

とのこと。

僕:「でも、あそこは一度見たら病みつきになり、また行きたくなるらしいね。」

妻:「そんなに良い所なの。」

僕:「何せ『アンコール』って言うくらいだから。」

妻は、朝からしょうもないことを言わないで、という顔をした。

 最近、飛行機はきちんと飛んでいるので、今日も無事出発はできそう。ご存知のように、四月の後半、アイスランドの火山が爆発し、その火山灰がヨーロッパの上空に達した影響で、ヒースローを始め、ヨーロッパの主要空港は閉鎖された。その結果、何百万人という人々が、世界各地で動けなくなったのだが、息子もその何百万人の中の一人。大学の研修で中国へ行っていた彼は、帰国予定の四月十九日からずっと北京で足止めを食い、結局九日遅れてロンドンに帰って来た。

車の中で、妻とそんな話をしながら、

「うちの家族は、本当に、『旅に出る』、『世界を飛び回る』ことに対して、全然『抵抗』のない家族だね。」

ということで妻と意見が一致する。数日前、京都の友人、イズミと電話で話したが、とにかく僕達家族が常にあちこちに行っているので、イズミは呆れていた。

「皆最低英語が喋れて、言葉の問題が少ないというのが、その『抵抗』をなくしている、一番大きな原因なんだろうね。」

と僕は妻に言う。十九歳のスミレだが、世界中どこでも英語がある程度は通じるので、コミュニケーションについては全然心配していないみたい。

 

英国の五月、森の中ではブルーベルが美しい。

 

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