「セーヌの夜」

原題:Paris for One(パリまでひとり)

ドイツ語題:Nachts an der Seine

2015年)

 

ジョジョ・モイス

Jojo Moyes

 

<はじめに>

 

何故この本を買ったのか、全然思い出せない。他の本の下から現れた。著者はジョジョ・モイス。耳慣れない名前から、ブラジルかどこかの人かと思ったら、何と英国人の女性だった。読んでみると「ロマンティック・コメディー」、日本で言う「ラブコメ」。ま、たまにはいいか。

 

<ストーリー>

 

ネルは、金曜日の夕方、ロンドンのユーロスターの乗り場で、ボーイフレンドのピートが現れるのを待っている。いよいよ列車の発車時刻が近づくが、ピートは現れない。ネルはピートよりのSMSを受取る。

「仕事が忙しいので、先に出発してくれ。後で行くから。」

ピートはダイビングとサーフィンの店に勤めている。十一月の今、何故仕事が忙しいのかと、いぶかしく思いながらも、ネルは独りで列車に乗る。ネルはがパリを訪れるのは初めてであった。彼女は、ユーロスターの出している、週末の安い切符を見つけ、金曜日から日曜日までボーイフレンドノピートとパリで過ごすべく、切符とホテルを予約しておいたのだった。

独りで知らない町に降り立ったネル。タクシーでホテルに着く。しかし、そこでまたトラブルが発生した。ホテル側がダブルブッキングをして、部屋はひとつしか空いていない。そこにネルとアメリカ人の女性が同時に現れたのだ。ホテルのフロント係は、ふたりがひとつの部屋をシェアしてくれれば、料金を半額にすると提案する。長旅で疲れ切っていたアメリカ人の女性と、フランス語の話せないネルは、しぶしぶその申し出を承諾する。

ネルの携帯に、ピートからのSMSが入る。

「今夜は行けない。」

というものであった。ネルの女友達は、

「楽しんでる?」

と聞いてきた。ネルはそれに、

「楽しんでいるわ。」

と返信する。

ネルは近くのレストランに食事をしに出かける。そこで、ステーキ、フライドポテトとサラダを食べる。ワインを注文したネルだが、そのグラスをひっくり返してしまい、ウェーターの服を汚してしまう。彼女が食事を終えて部屋に戻ると、アメリカ人の女性は、いびきをかきながら眠っていた。ネルはなかなか寝付けない。

土曜日の朝、翌朝目を覚ましたとき、時間は既に十一時だった。アメリカ人の女性とその荷物は消えていた。ネルは、英国に戻ろうと思い、フロント係りの女性に頼み、ユーロスターの切符を変更しようとする。しかし、彼女の持っていたのは「変更不可」の切符だった。彼女は、予定通り、日曜日の午後までパリに留まることにする。アメリカ人の女性が封筒を置いていっていた。その中には、写真展の切符が二枚入っていた。ネルはとりあえずその展覧会に行ってみることにする。

展覧会は人気があるらしく、会場の前には長い列ができていた。ネルは切符を持ってその列に付く。

「これは切符を買う人の列で、もう切符を持ってるなら、直ぐに入れるよ。」

と、同じく並んでいるひとりの男性が声をかけてきた。

「私は二枚持ってるから一枚はあなたが使って。」

と彼女はその男性に切符を渡す。頭を剃った大柄な男、それは、昨日ネルがワインをかけた、レストランのウェーターであった。

写真展を見た後、そのウェーター、ファビアンはネルをカフェに誘う。ファビアンは、自分は作家志望で、

「写真に写っているように、物事を表現した小説を書きたい。」

と彼女に言う。ファビアンは父親に会いに行かなければいけないが、夜は友達と飲みに行くので、一緒に来ないかとネルを誘う。ファビアンは八時にホテルへ迎えに行くと行って、モペッドでカフェを立ち去る。

ホテルに戻ったネルは、ファビアンの誘いに付いて行くべきかどうか悩む。

「知らない男性に付いて行ってはだめ。」

という母親の教えが思い出される。彼女は手帳に、誘いに乗ることのメリット、デメリットを書く。

<デメリット>

 男は連続殺人犯かも知れない。

 セックスを迫られるかも知れない。

等々、多数。

<メリット>

 自分の判断で行動することの意義。

ネルは、フロント係りに

「八時に誰かが迎えに来たら、体調が悪くて寝ていると言って断って。」

と言い残す。しかし、結局八時にロビーに下りていく。そこにはファビアンが待っていた。

 ファビアンは、ネルをモペッドの後ろに乗せ、

「まだパリは何も見ていないんだろ。これから早周り観光をしよう。」

と言って、ノートルダム寺院、エッフェル塔などの名所を廻る。ふたりが食事をしようとしていると、ネルの携帯にSMSが入る。彼女は急いでホテルに戻らなければいけないと言う。

ネルがホテルに戻るとピートがいた。彼女は本能的に、ピートの行動に不可解な点を感じる。そして、彼が昨夜は、自分が電話をした女友達のところにいたことを知る。ネルはホテルを飛び出し、タクシーを拾い、ファビアンがこれから行くと行っていたクラブへと向う。

土曜日の夜の繁華街、ネルはようやくのことでファビアンとその友人たちを見つけ出す。彼らは飲み、踊る。ネルは、バーのカウンターの上で踊りだした。クラブを出たファビアンとネルは、深夜の町を歩いている。ファビアンはネルに自分のアパートに来ないかと誘う・・・

 

<感想など>

 

「よくぞやってくれました。」これぞ「ロマンティック・コメディー」、「ラブコメ」の典型という作品。

    内気な女性の主人公。

    それまで付き合っていた男性との別れ。(大抵はプレーボーイ。その男性が他の女性と関係を持つ。)

    新たな男性との出会い。(一見朴訥としているが実は繊細な男性。)

    その男性を通じて、自分の新たな面を発見する女性主人公。

ここまでステレオタイプに徹して書かれると、もう批判する余地もない。そして、舞台が「花の都パリ」、もうこれ以上のお膳立てはない。

 「ラブコメ」の映画の典型といえば、レネー・セルウィガー主演の「ブリジット・ジョーンズ」、あるいはケイト・ウィンスレットとキャメロン・ディアス主演の「ホリデイ」だろうか。両方とも、上に書いた、「ラブコメのお約束」を見事に守っている。パターンも結末が分かっているのに、読んでしまう。見てしまう。考えれば不思議なものである。

 人間は、余り変革を好まない動物なのであろう。同じ場面で、同じことが起こることを期待し、それが起こると安心する。だから「吉本新喜劇」に今日も観客が訪れる、吉本が流行るのと同じ理由だと考えられる。

 著者の、ジョジョ・モイス。最初、その奇妙な名前から、ブラジルかアルゼンチン、絶対に南米の人だと思った。しかし、生粋のロンドンっ子だった。一九六九年生まれで、ポーリーン・サラ・ジョー・モイス(Pauline Sara Jo Moyes)というのが本名。ロンドンの結構ガラの悪いハロウェーという地区で生まれ、職業を転々とした後、「インディペンデント」紙の奨学金を得てロンドン大学に入学たとのこと。その後ジャーナリストとしての活動を開始。二〇〇二年より、ロマンティック・コメディーを発表し、現在はその分野の第一人者であるという。ちなみに、本好きの真ん中の娘は彼女の名前を知っていた。

主人公のネル(Nell)も奇妙な名前である。これまで聞いたことがない。原則的に欧州では、子供に名前を付けるとき、その名前が、人間の名前として過去に使われたことを証明する必要がある。だから「机」とか「猫」とかいう名前は付けられない。(もちろん外国人はその限りでないが。)ネルはチャールズ・ディケンスの「骨董屋」(The Old Curiosity Shop)の主人公の名前。ネル・トレント(Nell Trent)に由来するもの。

「ディケンス好きの両親にそんな名前をつけられて迷惑している。」

という主人公のコメントが会った。

普段の私ならば手を出さない種類の本。どうしてこの本を買ったのか、どこで買ったのか、全然思い出せないのが、非常に気になるところである。

 

20168月)

 

<書評のページに戻る>