切られたナースコール

早朝の鞍馬口通り。生母は「鞍馬口のお母さん」と僕達夫婦に呼ばれている。

 

D君のところから戻り、病院に着く。父は、

「この病院の扱いには頭に来た、退院したい。」

と言い張っている。病院や看護婦の態度はごく普通だと思うが、父も看護婦もお互いに信頼感が薄れてきたようだ。

その日も昼食が少し遅れた。父が催促のためにあまりも頻繁にナースコールを押すので、看護婦長が僕に、

「仕事になりませんので、ナースコールを切っていいでしょうか。」

と聞いてきた。一応継母に連絡して、継母の同意も取ってから、

「どうぞ切ってください。」

と答える。父はナースコールを押しても反応がないので、

「おまえ、見て来い。」

ということになる。

「今壊れてるねんて。」

と適当に答えると、

「何時直るんや。」

と聞いてくる。

「知らんがな、そんなこと。」

父の意識がはっきりしていることは喜ぶべきことだが、その日はそれを少し呪った。

「ここの病院は最悪や。」

とブツブツ言いながら、ナースコールが効かない分、父は僕を「伝令」に行かせようとする。三回に一回くらい、適当に外に出て、更に三回に一回くらい、ナースセンターで用件を伝える。

 そんなこともあり、精神的にかなり疲れているところ、幸い、昼過ぎにサクラが見舞いに来てくれた。彼女は病室に入れないので、病院の向かいの蕎麦屋で、蕎麦を食いながら(彼女はウドンだったが)話をする。外に出ると、熱気で一瞬クラッとする。

 サクラは自分が困っているときも、いつも他人のことを心配してくれる。また、別れる時、僕が角を曲がって見えなくなるまで、ずっと手を振ってくれている。会って話すとホッとする人だ。その日も、それまであったことを聞いてくれた。少しすっきりする。

 彼女にフランクフルトで買った、「アイスヴァイン」を渡す。「アイスヴァイン」は、ブドウの実を摘まないで残しておいて、冬になって凍ってから収穫し、それを絞り、ワインにしたもの。半分干からびたブドウなので、ポタポタとしか汁は採れないのだろう。しかし、その汁は糖分が高く、食後酒として飲まれるワインも甘い。そんな「ウンチク」をサクラに述べた。一時間ほど一緒にいて、彼女と別れる。

「お互い頑張ろうね。いや、頑張りすぎないで、ほどほどにしておこうね。」

 

生母が赤紫蘇のジュースを作ってくれた。梅干の味がする。

 

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