野原一面のアザミ

アザミの咲く野原を抜けて、山の上のパブに向かう。

 

スミレとバレーを見た翌日、日本へ帰ることを決めた。継母から聞く父の容態ははかばかしくなかった。また、継母は父の治療の方法について色々と決断を迫られているよう。僕も相談を受けるのだが、実際父をこの目で見ることなしに、その決断に参加することは、無責任に感じたからだ。

日本へ発つ三日前の土曜日、ミドリが

「パパ飲みに行こうよ。」

と誘ってくれた。ミドリはアパートを借りて、独りで住んでいる。天気の良い夕方。指定された山の上のパブまで森を横切って歩いて行く。歩いて五十分、一面の濃いピンク色をしたアザミの花の中を歩く。

相手が娘なので、ついつい飲みすぎて、かなり酔っ払って、ミドリにタクシーで家まで送ってもらう。翌日は二日酔いだった。

フランクフルトから関空行きの飛行機に乗る。睡眠剤とワインを飲んで、とにかく眠ろうとする。最初の四時間ほどは眠れた。しかし、その後の六時間が最悪、眠れないのに睡眠剤が効いている状態で、気分の悪いこと甚だしい。目を閉じて、ひたすら時間の経つのを待つ。ミドリと過ごした時間とか、野原一面のアザミとか、楽しいことを思い浮かべようと努力する。しかし、こんなときは、どうしてもネガティブな方向に考えが行ってしまう。

六月の末、日本からロンドンへ戻ってから数日後、僕はナタリーという女性からメールを受け取った。彼女は僕が昔働いていた会社の人で、メールは「アイリーンが亡くなった」という通知だった。

僕はその会社を十六年前に辞めている。アイリーンは僕が働いていた頃の人事課長だった。明るい活発な女性で、家族で当時は見知らぬロンドンへ移住してきた頃でもあり、公私とも色々と大変お世話になった人だ。しかし、十六年前に辞めた僕に、わざわざ通知をくれるというのも、随分丁寧な話しだ。しかし、有り難いことだ。

アイリーンは数年前に定年退職した後、元気で暮らしていたが、突然心臓麻痺で亡くなったという。

「アイリーンは仕事だけじゃなくて、パーティーの時も大活躍でしたね。とっても良いオーガナイザーだったし、第一自分が一番楽しみ、先頭に立ってパーティーを盛り上げてました。僕もアイリーンにはよくダンスに引っ張り出されましたよ。」

と、僕はナタリーに返事を書いた。

 数日後、ナタリーからまたメールが来た。アイリーンの葬儀の日程が決まったので参加しないかとのことだった。僕は少し迷った。僕は会社を辞めてからアイリーンに十六年間会っていない。そんな人間が葬儀に顔を出したら、場違いではないのかと思ったのだ。しかし、沢山出席する中のひとりなのだろうし、昔の同僚に会うのも悪くないと思って、オーケーをしておいた。

 

娘と一緒に飲むのもまた楽しいもの。

 

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