時代祭

 

出番を待っている人たちは暇なんで、結構相手になってくれる。

 

東京、金沢、備中高梁、比良山、修学院離宮は、日本に着く前から行くことが決まっていた。それに対し、当日の朝まで行くこと決まっていなくて、急遽浮上したのが、時代祭である。平安神宮の祭礼である時代祭は、毎年、十月二十二日に行われる。今年は、山に登った日の翌日の月曜日であった。朝食のとき、母にその日が祭であることを知らされる。

「せっかくだから行ってみようっと。」

インターネットでコースと時間を調べる。京都御所の中にある、仙洞御所の建礼門を十二時にスタートした行列は、街を練り歩き、二時半に平安神宮にゴールする予定であった。それで、僕はスタート地点で見ることにした。アナウンスもあるし。

時代祭は「京都三大祭」のひとつである。しかし、他のふたつ、祇園祭、葵祭に比べると、「格」がガタっと落ちる。成立年代が遥かに新しいからである。明治の中期、一八九五年に、平安神宮が創建された時から続いている、つまり「わずか」百二十年の歴史しかないからだ。

ある京都のおばさんが言った。

「あのお宅はまだ新参者どす。『戦争』の後に、この場所においやしたんでっさかい。」

そう聞くと、ある家が第二次世界大戦後に引っ越してきたと思うだろう。ところがよく聞くと、相手のいう「戦争」とは「応仁の乱」だったのである。京都では、百二十五年くらいでは、「歴史」として認められないのだ。観光客の数も、断トツで祇園祭、水が空いて葵祭、更に大きく水をあけられて時代祭だと思う。

 とは言え、僕の滞在中に京都三大祭りの一つが行われるという、この偶然を逃がすのも惜しい。僕は珍しく、地下鉄で京都御所に向かった。人出が多いと、自転車を引いているとヒンシュクかと思ったからだ。でも、全然そんなことはなかった。

仙洞御所の前に陣取って、スタートしていく行列を見る。京都の、つまり、ひいては日本の歴史の勉強になる。江戸末期から、千年の歴史を行列で絵巻風に遡っていく。江戸時代までは、京都に関りを持たなかった歴史上の人物は皆無だと思われる。幕末勤皇の志士の一隊が通り後、坂本龍馬、高杉晋作、吉田松陰、皇女「和宮」などが続く。織田信長、羽柴秀吉も登場。しかし、徳川方の将軍は誰も出て来ない。この辺り、

「京都を中心に宇宙は回っていると自負する京都人の、『都と天皇さんを東京に持って逃げられた』の恨みなんだ。」

と感心する。かつては男性を中心に歴史が回ってきたわけで、女性の登場人物は、限られる。和宮、千姫、淀君、巴午前、静午前、紫式部、清少納言、小野小町、ザット・イット。それだけでは行列に色気がないので、白河女(しらかわめ)大原女(おはらめ)等、数を配した女性の集団が組織され、バランスを取っている。

 行列の歩く白砂利の両側には四列の有料観覧席が設けられている。一般観光客はその後になるので、行列までの距離が遠い。僕は、行列での出番を待っている人々を訪れた。参加者の人々と近い感じ。お茶目なおじさんがいて、写真に一緒に入ってくれた。

 

僕もこの石の上で写真を撮っていた。上が膨らんでいるので、バランスが取りにくい。

 

<次へ> <戻る>