武士の台所

 

武家屋敷の並ぶ通り。江戸時代にタイムスリップした気分になる。

 

「ふ〜ん、昔の武士はこんな家に住んで、こんな生活をしたんだ。」

僕は、武家屋敷の中を巡りながら納得した。映画の中に、武家屋敷はそれこそ数限りなく出て来る。でも、それは大抵「悪代官」と「越後屋」が密議をしているような奥座敷。

「越後屋、おぬしも悪よのお。」

「いえいえ、御代官様ほどでは。」

さて、武家屋敷にも、当然、台所、便所、風呂場があっただろうが、それらが出て来るシーンは少ない。「たそがれ清兵衛」、「武士の家計簿」の映画に少しあったくらい。

高梁市では、公開されている旧武家屋敷が二軒ある。折井家と埴原(はいばら)家である。そこを訪れると、玄関、座敷、台所や、便所、風呂までも見学できる。当時の暮らし向きが分かって、とても興味深かった。僕は料理が好きなので、特に台所が面白い。京都で「おくどさん」と呼ばれる、土で出来たかまどがあり、水を入れる大きなかめなどが置いてある。でも、その配置が、使いやすい、プラクティカルなものなので驚く。風呂は、木を丸く組んだ、深い樽であった。

 金沢でも、長町に、一般公開されている武家屋敷があるが、廊下から見るだけで、座敷には上がり込めない。しかし、高梁の武家屋敷は、

「おじゃましまんにゃわ〜」

と言って、上がり込めば、後はどこへ行っても自由。当時の衣装を着た等身大の人形が置いてあるほど、臨場感を高めるサービス付き。見学者は、奥座敷の床の間の前に座ろうが、縁側で日向ぼっこをしようが、どうぞご勝手にという感じ。実際に住んでいる人の視点で家を観察できたのが、とても良かった。江戸時代の家は、周囲に縁側が多く、現在の家よりも、遥かにオープンだったことが分かる。何より良かったのは、両家とも、訪問者が僕ひとりだったこと。静けさを、魅力を独占できた。

 最後に、頼久寺(らいきゅうじ)という寺に行く。江戸初期の大名であり、造園家でもあった小堀遠州の作った枯山水の庭園が有名とのこと。枯山水の庭では、水を使わず、砂や石で、水を表している。「枯山水」と言うと、何となく地味な、渋い印象を受けがちだが、頼久寺の枯山水は、ツツジの植え込みをふんだんに使い、空間もたっぷりと取って、明るい感じの庭だった。そして、ここも「借景」が使われており、背景の山が重要な役割を果たしている。綿密な計算の基に造られた庭園で、「自然であって自然でない」と言うことが出来るだろう。

 ボチボチ帰りの電車の発車時刻が近づいてきたので、駅に向かって歩き出す。一軒の家の前には、収穫した赤い唐辛子が干してあった。真っ赤な色が、青い空に映えている。駅前のコンビニで、ビールとタラコスパゲティーを買って、遅い昼食を取る。ホームで待っていると、列車が近づいて来たことを示す、沿線の踏切の遮断機からの「カンカン」という音が聞こえて来る。間もなく、岡山行の特急「やくも」が現れた。汗ばむほどの陽気だったが、夕方に近づくにつれ、ホームには涼しい風が吹き始めた。

 

当時の暮らしを再現する人形が、屋敷の中に臨場感を与えている。

 

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