海の見える場所

 

大乗寺丘陵公園から見た、金沢市街とその向こうの日本海。

 

「やっぱり、海の見える町はいい。」

僕はつぶやいた。眼下には金沢の街、その向こうには日本海が見える。その朝は七時に起きて、義父母の家を出て歩き始めた。義父母の家は山手で、五分ほど歩くとそこはもう山。最近整備され、「大乗寺丘陵公園」という場所になっている。「最近」と書いたが、僕が金沢を出てから、つまりここ三十五年の間の何時かに、山に散歩道が整備されて、なかなか気持ちの良いウォーキングコースになったのだ。僕がそこを歩くのはその朝が初めて。そして、そこからの景色を眺めるのも初めてである。

「海が見える、そして、海の色はまだ青い・・・」

僕は、海をもっと近く眺めてみたくなった。その日何をするのかまだ決めていなかったが、僕はその時点で、その日海岸へ行くことを決めた。東京でも、何故か海の見えるお台場へ行ったし。

「人はどうして、

哀しくなると

海を見つめに来るのでしょうか・・・」

これ、渡辺真知子の「カモメの翔んだ日」。何せ、日本を出て三十五年経つので、引用する歌も、メチャ古い。別に「哀しい」わけではないのだが、昼前に僕は海を見つめに家を出た。

僕の記憶によると、少なくとも三十五年前は、金沢駅からの小さな電車が、金沢と海岸沿いの内灘町を結んでいた。確か駅に向かって右手から出ていたと思う。それで、バスに乗って、とりあえず金沢駅まで行く。昔の記憶を頼りに、その電車の駅のあった辺りに行くが、それらしいものはない。

「廃止になったのかな。」

確かに、何時潰れても不思議のない、何となく心もとない電車だった。一応、観光案内所で、どうして内灘へ行くのか聞いてみる。案内所のお姉さんによると、

「エスカレーターに乗って地下へ降りると、左側に『浅野川線』の駅があるので、そこから電車に乗ってください。」

とのこと。

「なるほど、地下だったのね。道理で地上を探しても見つからないはず。」

切符を買って待っていると、二両編成のオレンジ色の電車が現れ、それに乗って内灘に向かう。二十分ほどで内灘に着き、そこから海岸、海水浴場に向かって歩き出す。駅から海岸までは一キロほどあることを、どっちへ行っていいかという方向感覚とともに、僕はまだ覚えていた。坂道を上がり切り、下りにかかると、前方に砂浜と海が見えてきた。日本海は、夏の間青く、冬場は緑っぽい灰色をしている。今日の海の色はまだ青い。白い波が、何層にもなって、ベージュ色の砂浜に打ち寄せている。それを見ながら、僕は十八歳のとき、初めて金沢に来たときにタイムスリップしていた。

 

北陸鉄道浅野川線。この電車で海岸へ向かう。所要時間わずか二十分。

 

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