消えた原風景

 

金沢城の石川門、毎日この門を潜って場内のキャンパスへ通学した。

 

かつて、日本で周囲に僕以外の日本人が何人もいるときに、外国人が迷いなく僕に近づいてきて、道を尋ねることが不思議だった。同じことを別の旅行記に書いたと思う。母は、

「あんたからは外国語を話すというオーラが出ている。」

と言われた。「オーラ」ねえ。色々自己分析していると、外国人が近づいて来たとき、目をそらさないで相手の目を見るからではないかな、と思うようになった。いずれにせよ、金沢の町では、沢山の外人さんに道を尋ねられた。もうそれは慣れっこになった。

金沢の広坂で外国人だけではなく、栃木県のおばさん二人組にも道を尋ねられた。

「すみません、地元の方ですか。」

ちょっとちょっと、リュックサックをかついて、カメラを首に掛けているのに、そう来るか。でも、

「半分そんなようなものです。」

と答えておく。金沢は学生時代八年間住んだ土地、だからら、まだ半分くらいは地元民と言っても良いかもしれない。基本的な地理は分かっているし。

「兼六園の正面口と、お城の門、どう行ったらいいんですか。」

僕もちょうど久しぶりに兼六園へ行くところだったので、その「栃木のおばちゃんたち」としばらく一緒に歩いた。

「おたく、ここに住んでおられるの。」

「いえ、大学の頃金沢に住んでいたんですが、卒業以来金沢に住んでないんです。家内はここの出身ですけど。」

当時は、金沢城跡の中に大学があり、兼六園も入場無料だったので、毎朝、兼六園を通り抜けてお城の門を潜って通学していたと言うと、

「いいわね〜、うらやましいわ。」

とおばちゃんはたち言った。僕たちは兼六園に着いた。久しぶりに。紫色のカキツバタはほぼ終わっていたけれど、ピンクからオレンジ色のツツジがきれいだった。ここは春夏秋冬楽しめるお庭である。

兼六園から、石川門を潜って金沢城址に入る。栃木のおばちゃんにも言ったようん、実際、僕が金沢大学に通っていたころ、文学部、法学部、経済学部、教育学部、理学部と教養部は、城の石垣の中にキャンパスがあった。毎日が登城気分。なかなか良い雰囲気で、今でもときどきそのときのキャンパスのことを夢で見る。僕が卒業した後、大学は郊外に移り、旧キャンパスは城址公園として整備された。大学の建物は全て取り払われ、「新しい昔風の建物」が建てられた。今回、文学部はこの辺りだったとか、図書館はこの辺りだったとか、学食はこの辺りだったとか、昔の建物と今の場所を当てはめてみようとした。しかし、無理だった。新しい石垣、盛り土などで、地形さえすっかり変わっていたからだ。昔の思い出に満ちた場所が、自分の原風景が今は跡形もなく存在しない。それは寂しい。

 

四校(第四高等学校=金沢大学の前身)の建物と、記念碑。井上靖の「北の海」に当時の様子が詳しく書かれている。

 

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