王様の死

 

カーテンコール、出演者の皆さんのホッとした顔つきがよい。

 

最後のシーンは王様の死である。(ネタバレになるが、有名な話なんでお許しいただきたい。)自分の死を予期した王様は、息子のチュラロンコンに王位を譲ることを告げ、息子に、

「自分が王になったら何をしたいのか述べよ。」

と言う。それを受けてチュラロンコンは、

「地面にひれ伏して挨拶する習慣を廃止する。」

そう言い出し、平伏していた周囲の家来たちを立たせる。有言即実行。今の政治家は見習ってほしい。実際、ラーマ五世となるチュラロンコンは、旧来の習慣の多くを廃して、国家の近代化に成功した名君なのだ。そんな歴史的事実を暗示しつつ、ストーリーを終えるのは憎い。さすがは、名劇作家、ハマースタイン二世である。王様が亡くなった瞬間、舞台は暗転する。

数秒後にライトが点き、カーテンコールが始まる。アンサンブルの面々や端役から順に重要な役割の人々が舞台に登場し、挨拶をしていく。最後はもちろんアンナ役のケリー・オハラと王様役の渡辺謙さんが手を取り合って現れる。渡辺さんは数十秒前までは白い死衣装だったのに、もう赤い本来の王様の衣装に着替えている。この早業は見事。観客は立ち上がってスタンディングォベーション。

「よかったね。」

と隣で同じく立って拍手を送っている妻と言い合った。

劇場を出て、夜のウエスト・エンドをオックスフォード・サーカスに向かって歩く。久しぶりの雨。頭の中では、「王様と私」の音楽が鳴っている。昔、東映のヤクザ映画をやっている映画館から出てきた男性は、歩き方が「けんさん」風、つまり高倉健風になっていたという。余韻に浸りきって歩いていたわけだ。今日も「けんさん」だけど、今日は渡辺謙さん。

ミュージカルは面白い。はまってしまう人も沢山いる。けれど、どうしても好きになれないと言う人も何人かいた。その理由は、

「突然歌いだすのが不自然だ。びっくりする。」

というのが多かった。確かに、日常生活で、それまで普通に会話をしていた相手が、突然唄い出したら驚くよね。

「歌い終わった後の微妙な沈黙、静寂で白けてしまう。」

という人もいた。歌いだすことだけでも非現実的、非日常的なシチュエーションなので、それが終わったとき、確かに、

「ええっ、これからどうしたらええねん。」

という気分になってしまう。それも分かる。その点、今日の「王様と私」にしろ、有名なミュージカルは、会話から歌への導入、歌から会話への戻りが、できるだけ自然に流れるように工夫してあると思った。しかし、あくまで作り事、エンターテインメントなのである。「非現実的」、「非日常的」なんて言い出したら、そもそも、ミュージカルそのものが成り立たない。皆、「現実」や「日常」を忘れるために劇場へ通うのだから。

 

主演のおふたりの素顔。渡辺さんは役と全然変わらない。

 

写真は、自分で撮ったものの他は、プレス発表として、英国のメジャーな新聞に掲載してあったものを使用しています。

 

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