ヨット

 

船はバティの港に入る。オデュッセウスもこの湾から船出をしたのだろうか。

 

船は、十一時頃、イタカ島の「首都」バティに着いた。イタカ島の人口自体が三千人とのことなので、首都と言っても、小さな町である。ここも、一九五三年の地震で、建物は殆ど崩壊したが、その後、ほぼ元通りに再建されたとのこと。オレンジ色の屋根のベージュ色の建物が並ぶ、可愛い港町である。船着き場に、ホメロスさんの胸像があった。彼は盲目であったという。一緒に記念撮影をする。太陽が戻り、気温がグッと上がって来た。日陰を見つけて、そこで持って来たサンドイッチを食べる。船着き場には、ギッシリとヨットが並んでいる。中をのぞくと、どのヨットも、結構広くて居住性はよさそう。ちょうどお昼時、ヨットの中で、昼ご飯を食べている人、読書をしている人がいる。このヨット、借りられるそうである。もちろん、運転には免許が必要とのことだが。

僕は、友人のブライアンのことを考えていた。彼はヨットが好きで、何度か、友人や家族を乗せて、地中海をヨットで回っていた。彼がヨットを操縦している写真が飾られていた。彼の棺の前に・・・

ブライアンの息子と僕の娘が一緒の小学校に通っていた関係で、僕たち夫婦は、彼の家族と二十数年前に知り合いになった。彼と僕は同い年。ブライアンは当時から徹底した楽観主義者。否定的なこと、悲観的なことを一切口にしない人だった。よく言えば、「常に前向きな人」、悪く言えば「ヘラヘラ生きている人」。彼は、数年前、自分が不治の病に侵されていることを知った。その時点で、彼はそれまで正式に籍を入れていなかったパートナーと結婚した。僕たち夫婦は、彼の結婚式に出席し、証人を務めた。その後、彼の病気は徐々に悪くなり、歩けなくなり、話せなくなり、周囲とのコミュニケーションは特殊なマウスを使ってコンピューターの画面で行うようになった。今年に入ると、食事も出来なくなり、栄養を直接胃に送り込むことに。それでも、彼は最後まで明るく、前向きだった。一言も否定的なことは言わなかった。その傍ら、彼は自分の葬儀の準備もしていた。彼は今年三月に力尽きた。葬儀の席で、彼自身のメッセージが読まれた。

「俺はみんなよりちょっと早くパーティーを去る。でも、まだまだパーティーは続く。きみちたちは、引き続きパーティーを楽しんでくれたまえ。」

彼の棺を担ぎながら、僕も明るく別れを告げようとしたが・・・無理だった。白いヨットを見ると、彼を思い出す。

 昼食を終えた客を乗せて、船はバティの港を出発。次の目的地はキオニという村である。そこは、バティより数段小さく、小さな湾を取り囲むように十数軒の家が立っているだけ。村のデジタル温度計は「三十四度」を表示している。村の外れの小さな浜で泳ぐ。

「ぎゃあ、クラゲだ!」

小さなクラゲがそこここに浮いている。これには少し参った。しかし、ここも、海の色が素晴らしかった。

 

バティの船着き場で、ホメロスさんのお出迎えを受ける。

 

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