ヨルダンはアラブの京都

 

何となく、「不健康な」イメージを持つよう作られている酒屋。

 

JICA事務所の近くの、彼と同僚の行きつけのレストランで夕食。彼は昨日も送別会でこの店に来たという。もう八時を過ぎているのに、それでもまだ早すぎるのか、客は僕達しかいない。

前菜が珍しいので色々と注文したら、それだけで腹が膨れて、メインコースを食べるのがかなり辛くなった。三週間前、ヴッペルタールでアラブ料理を食べたときは、もっと一品の量が少なかった。幸いこのレストランは酒を出していて、スパイスの効いた肉が冷たいビールによく合う。イスラム教でアルコールがご法度のヨルダンでは、ビールを出すレストランは少数派だという。

 スーパーマーケットでも酒類は一切売っていない。酒やビールは、専門の酒屋へ行かないと買えない。そして、他の飲み物と比べると、アルコール飲料の価格は格段に高い。食事の帰り道、月曜日のパーティーに備えて、G君が酒屋でビールを買っている。店員はそのビールを黒い袋に入れた。

「ヨルダンではビール持って歩いていると、ときどき石を投げられる。そやから、酒屋ではこうして中身が見えないように黒い袋に入れてくれるんや。」

とG君の説明がある。

「日本では、女性がスーパーで生理用品を買うたとき、別に紙で包んでくれるやろ。つまり、それと同じ発想やね。こっちでは、酒を持って歩いていること自体が恥ずかしいことやねん。」

と彼は続ける。英国で妻や娘が生理用品を買っても、全然別扱いしてくれなかったように思うんだけど。

 買ったビールを下げて九時半ごろにアパートに戻り、十時過ぎには眠る。英国ではまだ八時過ぎだが、それは考えないことにする。今日は、一体何キロ歩いたのだろう。よく歩いて快く疲れた。

 ヨルダンの第一日目の印象、それはアンマンの街が清潔で、車も綺麗で、交通ルールは守られ、人々の表情が穏やかだということ。同じアラブ社会でも、喧騒とカオスの渦巻くエジプトとは随分違う。エジプトでは、ボコボコの車が、滅茶苦茶な運転で道路を走り、人々の表情はもっと荒々しく、ギスギスしていたように感じる。カイロは道路を渡るだけでも命がけで疲れる街だった。それを予測してきた僕に、アンマンは良い意味で「拍子抜け」の感を持たせる。僕の感想をG君に伝えると、

「それは当たってる。日本人の中には、エジプトはアラブの大阪で、ヨルダンはアラブの京都だって言う人もあるくらい。」

と彼は言った。なるほど、言い得て妙。僕の印象をこれほど端的に表わしている言葉はないような気がする。

 

アンマン城をのんびり散歩する家族連れ。

 

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