父は晴れ男

 

幸い良い天気になった父の一周忌。寺へ向か継母と姉。

 

十一時過ぎ、姉夫婦と一緒にタクシーで堀川寺之内にある菩提寺へと向かう。門の前で継母と会う。法要は正午から、時間が来るまで、四人で墓に生えた草や苔をむしる。川合家の墓は何基もあるが、江戸時代からある墓石は、砂岩で出来ているため、表面が崩れて、彫ってある名前も殆ど判読できない。微かに「菱屋」という文字が読める。それで、明治になり苗字を名乗るようになるまで使われた、我が家の屋号を知ることができる。その当時、うちは造り酒屋だったそうである。

控室に集まったのは、継母、姉夫婦、姪のカサネと夫のタダシとその娘、従兄弟のFさん夫妻と、従姉妹のタエコの計十人。僕が皆に会うのは、父の葬儀以来である。茶を飲みながら近況を報告し合う。

十二時に本堂へ呼ばれて、ご住職の読経が始まる。床に座るのかと思っていたら、何と椅子が置いてある。小さな机の上に、お経の内容の書いた小冊子が前に置いてある。これはとても良い考えだと思った。お経の内容が分かるし、第一、今どの辺りで、後どれくらいかかるのか見当が付く。読経と焼香が終わった後、ご住職がこちらを向かれて、少し話をする。

「和尚様、この小冊子、これは絶対良いアイデアですよ。」

と僕はご住職に言った。墓に戻り、塔婆を立て、墓石に水をかける。そこでもご住職の読経があり、一時間ほどで法事は終わった。供えた花は、全部持ち帰らないといけないという。それも不思議なルールだ。

皆で、寺の近くの京料理屋へ行き、昼食を取る。いわゆる、「京懐石」というやつ。結構古い料亭なので、絶対畳の座敷だと思っていたら、ここも何とテーブルと椅子だった。

「若い人だけやのうて、最近年寄りでも膝の悪い人が多いから、椅子の方が楽なんやろね。」

と継母が言った。でも、個人的には、座敷で向かい合いながら、「差しつ差されつ」というのも好きなんだけど。「京懐石」というのはフランス料理と似ている。と言うのは、見た目の美しさ、彩、盛り付けに凝っているからだ。味はともかく、まず目で喜ばせるという精神で作られていると思う。

ともかく、驚くほど静かに食事は進んだ。姪の娘カオンが、時々静寂を破る程度。昼食の後、姉夫婦は新幹線に乗るために京都駅へ向かい、僕と姪夫婦は生母の家に行った。料亭でも、生母の家でも、一歳半になるカオンは母親にくっついている。

後で聞いたのだが、タエコとFさんご夫婦は、御所の枝垂桜を見に行ってきたそうだ。天気予報は雨だったのだが、幸いなことに外れて、天気が良くて暖かい日になった。

「お父さんは『晴れ男』やったけど、死なはってからも、それは続いてるわ。」

と継母がポツリと言った。

 法事で皆が寄れるのは良い。法事は死んだ人のためにあるというより、生きている人たちのためにあるのだと、つくづく思う。昼間に酒を飲んだので疲れた。礼服から普段着に着替えた後、生母の家の二階でしばらくウトウトする。

 

正午にご住職の読経で法要が始まる。