味噌作り

 

大宮では梅が満開。三月に入り、早咲きの桜がボチボチ。まだ寒いが春はそこまで。

 

松本から京都に帰って、二日間寝込んでいた。疲れが出て風邪を引いたらしく、寒気がして、洟が出て、頭が痛かった。

「ちょっと無理して動き過ぎたかな。」

と反省するが、後の祭。日本に着いた翌々日から、五日間で、京都>金沢>京都>大宮>松本>京都と動いたのである。時差ボケ、英国からの長距離移動、気候の差で、身体が既に相当疲れているところに、無理して動き回ったのだから、体調も崩すはず。

「ジャパン・レイル・パスが悪いねん。」

と僕は自分のことを棚に上げて言った。「七日間JR使い放題」なので、どうしても、その間に詰め込んで動いてしまう。間にきちんと休めばいいのにね。

 僕が二階で寝ている間も、母は色々なことをしていた。朝台所に、大豆を水で浸したボウルが並んでいる。昼前に起き出して台所に行くと、母が茹でた大豆をフードプロセッサーで潰していた。味噌を仕込んでいるという。見ていると、母は潰した大豆に米麴(こめこうじ)を混ぜ、洗い桶で良く練って、甕(かめ)に詰めた。洗い桶に一杯のつぶした大豆を練るのも、かなりの力作業。ちょうど口まで大豆を詰めた甕を、母は床の板を上げて、縁の下に仕舞っている。そこが一番温度の変化が少なく、味噌の熟成に向いているという。

「お母ちゃん。それで、このお味噌、何時頃から食べられるの?」

「半年寝かせなあかんし、今年の九月頃かな。」

「ひえ〜っ。」

味噌作りはサイクルの長い工程なのだ。

 母は料理なら「何でも自分で作っちゃう人」である。一月、義父の葬儀を終えた後、まずスミレが英国に戻り、数日後に妻と、真ん中の娘のミドリが帰って来た。

「日本で食べた物の中で、何が一番美味しかった?」

と、迎えに行った帰りの車の中で、僕はミドリに尋ねた。ミドリは日本の食べ物が大好きで、いつも日本へ帰ると、色々美味しいものを食べることを、楽しみにしている。

「京都のお祖母ちゃんの作ってくれた豚まん!」

と彼女は言った。

「中に、具が沢山入ってて、美味しいんだよね。四つか五つ食べた。」

母もミドリが信じられない食欲で、信じられない量の豚まんを食べたと言っていた。

「あれ、売ったら、皆が買うよ。」

とミドリ。僕が京都にいる間にも、母はその「噂の豚まん」を作ってくれた。母は毎週パンを焼くのだが、パンと同じ生地を作って、具を入れた後、焼くのではなく、蒸すのだという。確かに、母の豚まんは、ミドリの言うように、中に具が沢山入っていて、とても美味しかった。その他に、母はパンも焼いたし、うどんも自分で打っていた。「美味しいものを安く食べる、そのための手間を惜しまない」その精神には何時もながら頭が下がる。

 

麹と混ぜた大豆を甕に詰める。この後甕は床下へ。

 

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