「驚きの岸」

原題;Furðustrandir(驚きの岸)

ドイツ語題:Eiseskälte(厳寒).

2010年)

 

<ストーリー>

 

アイスランド、レイキャビク警察の警視、エーレンデュルは、休暇を取って、故郷に帰って来ていた。そこは彼と家族にとって、辛い思い出のある場所であった。エーレンデュルが子供の頃、弟ベルギュルと一緒にフィヨルドに入った彼は悪天候の中で道を見失う。吹雪の中ふたりは凍死しそうになるが、エーレンデュルは捜索中の地元の人々によって救助される。しかし、行方不明になった弟は、遺体も発見されなかった。彼の家族は、その土地を去り、レイキャビクに移り住んだのだった。

レンタカーのジープを降りて、フィヨルドに沿って歩き始めたエーレンデュルは、狐を撃つ猟師、ボアスに出会う。ボアスは、エーレンデュルと弟の捜索に駆り出されたひとりで、エーレンデュルのことを知っていた。ボアスは、エーレンデュルの弟のように、行方不明になって二度と見つからなかったケースがもう一件あるという。一九四二年、マティルデュルという若い女性が、悪天候の中、山を越えようとして行方不明になり、その後遺体が発見されることがなかった。全く同じ日、占領中の英国陸軍の兵隊約六十人が山越えを試み遭難、多くの兵士が凍死した。地元の人々で結成された救助隊が英国の兵士を助け、遺体を回収したが、マティルデュルの遺体だけは見つからなかったということであった。

その件に興味を持ったエーレンデュルは、マティルデュルの妹、フルンドがまだ生きているとボアスから聞き、彼女を訪ねる。フルンドは八十歳前後、独り暮らしであった。エーレンデュルは彼女に、姉のマティルデュルについて聞きたいと言う。フルンドは、自分たちは四人姉妹であり、自分は一番下で、他に姉妹は全て亡くなったという。姉のマティルデュルは漁師のヤコブと結婚、結婚して数年後に行方不明になったと話す。夫のヤコブが話したところによると、マティルデュルは、その日、山を越えて向こう側に住む母親に会いに行くといって家を出た。そして、その後天候が悪化したということであった。マティルデュルが行方不明ななった当日、彼女を見たものは夫のヤコブ以外には誰もいなかった。当時の人々は、マティルデュルが夫の下から逃げ出したのだと噂した。

そのヤコブも数年後、海難事故で死亡する。人々は、それをマティルデュルの呪いであると噂した。それどころか棺桶の中で、死んだヤコブが嘆いていたという話も出た。フルンドはそれらの噂を、オカルトの好きなアイスランド人の馬鹿話であると一笑に付す。ヤコブに興味を持ったエーレンデュルに、フルンドはかつてヤコブの友人であったエズラを紹介する。

エーレンデュルはエズラを訪れる。エズラも九十歳近い老人であった。彼は、貝を取り、身を塩漬けにして売っていた。エーレンデュルはその貝を買いに来たと言って、エズラと会話を始める。エズラは、長身で傷跡のある醜い顔をしていた。フルンドはエズラがこれまでずっと一匹狼で、他人とは余り交わらず、生涯独身であると言っていた。エーレンデュルは、自分は過去の山岳事故に興味があり、遭難した英国の兵士について調べているという。エーレンデュルは同じ日に行方不明になった女性とその夫について知っているかとエズラに水を向ける。エズラはふたりとも良く知っていると答える。エズラによると、ヤコブは妻を失ってからしばらく酒浸りになっていた。ある冬の日、ヤコブの乗った船が悪天候の中でエンジンが故障、船は岩に叩きつけられ沈没、乗っていたヤコブともうひとりの男は、海に投げ出されて溺死したという。

エーレンデュルはエズラの家の棚に、赤い金属片を見つける。それは、エーレンデュルの弟ベルギュルが、行方不明になったときポケットに入れていた、赤い自動車のおもちゃの一部のように思われた。エズラはそれを、キツネの巣に中で見つけたと言った。

「キツネの巣の中では、時として思わぬものが見つかる。」

エーレンデュルは、漁師ボアスに言っていた言葉を思い出す。

 エズラの家を出たエーレンデュルは、どうしてマティルデュルの遺体が見つからなかったのかも考える。足を滑らせてフィヨルドに落ちたことも考えられる。しかし、ひょっとして、マティルデュルは山へ向かわなかったのではいか、そう考え始める。エーレンデュルは老人ホームに、キアタンを訪ねる。彼は、マティルデュルの姉のインギュンの息子、つまりマティルデュルの甥であった。エーレンデュルはキアタンに、母親から叔母のマティルデュルについて何か聞かなかったかと尋ねる。キアタンは、母親が死んだときに、書類の入った箱を残したという。そしてその箱の中身を見れば、何かマティルデュルについて書かれたものが入っているかも知れないという。エーレンデュルは、キアタンの息子を訪れ、その箱の中身を見せてもらう。その中に、マティルデュルから姉のインギュンに宛てた手紙があった。その中で、マティルデュルは、友人のニナと一緒に行動していることが書かれてあった。また、最近ヤコブという漁師と出会ったことも書いてあった。英国の兵士と、マティルデュルが行方不明になったこと伝える新聞記事も見つかった。そこには「けだもの」という文字が鉛筆で書きなぐってあった。

 エーレンデュルは再びフルンドを訪ね、彼女の甥に会ったことを伝える。そしてマティルデュルからの手紙を発見したことを話す。マティルデュルに関する手紙等がないかという問いに対して、フルンドは四人姉妹が一堂に会した写真を見せる。その写真が取られた後、姉妹は別れ別れで暮らすことになっていた。フルンドはマティルデュルの友人のニナがまだ存命であると言う。エーレンデュルが色々質問するうちに、フルンドは最後には腹を立て、

「これ以上私たちの家族のことを嗅ぎまわるのはやめて。出て行って。」

そう言って、エーレンデュルを家から追い出す。

 次にエーレンデュルはフィヨルドで会ったキツネ猟師、ボアスを訪れる。エーレンダーは、ヤコブの葬儀の際に追悼の辞を書いた、ピエテュル・アルフレッドソンを知っているかと聞く。ボアスは知っているが、ピエテュルはとうに死亡し、三人の子供たちのうちひとりの娘がまだこの土地に住んでいると答える。また、ニナというマティルデュルの女友達には記憶がないと言った。エズラについては、戦争中に漁師を辞め、その後は港の氷室で働いていたという。エーレンデュルは、ヤコブと同僚の遺体が、しばらく氷室に保管されていたと新聞記事に書かれていたことを思い出す。そして、当時、エズラはヤコブの遺体を自分の職場の氷室で見ていたのではないかと想像する。

 エーレンデュルは、ピエテュル・アルフレッドソンの娘グレタが、近くの温水プールで働いていることを調べ上げる。エーレンデュルは、グレタに会い、自分が遭難で命を落とした人のことを調べていると言う。グレタは父親がヤコブの事故のことについてよく話していたことを覚えていた。そして、当時、人々がヤコブの死は妻の呪いであると噂していたことを話す。グレタは、ヤコブが閉所恐怖症で、狭い場所、閉じられた場所を極度に恐れたと父親が話していたという。また、グレタは、ニナという女性が町の老人ホームに住んでいることを知っていた。

エーレンデュルは老人ホームにニナを訪れる。エーレンデュルは、グレタに言ったことと同じことを訪問の理由として述べる。ニナは、マティルデュルとヤコブのことをよく覚えていた。ニナは、当時マティルデュルの親友であったという。ニナは、マティルデュルと彼女の姉のインギュンが両方ともヤコブと関係を持っていたという。ヤコブは最初インギュンと付き合っていた。そして、ヤコブはインギュンと別れた後、マティルデュルと知り合い結婚したという。しかし、インギュンは、当時ヤコブの子供を身籠っていた。ヤコブはその子供を認知することを拒否、インギュンはヤコブを恨んでいたという。インギュンは自分のヤコブのかつての関係について、最初は妹に黙っていた。しかし、マティルデュルが死ぬ一年前に、インギュンは手紙を書き、自分とヤコブの関係を暴露した手紙をマティルデュルに送っていた。そして、ニナはその手紙をマティルデュルに頼まれて今も保管していた。エーレンデュルはその手紙を読む。インギュンはその手紙の中で、ヤコブの過去の自分に対する行いを告白し、ヤコブが正直な人間でないことを警告していた。

エーレンデュルは、三度目にフルンドを訪れる。ドアをノックするが誰も出て来ない。彼が家の中にはいと、台所にフルンドが倒れていた。エーレンデュルは救急車を呼び、一緒に病院へと向かう。糖尿病によるショックにより気絶していたフルンドは意識を取り戻す。フルンドは、過去の亡霊を呼び起こすことはやめたほうがよいと、エーレンデュルに警告する。そして、マティルデュルの死は、本来ならば警察が関与するものだと言う。

翌朝、フルンドを訪れたエーレンデュルに、彼女は命を助けてくれた礼をいう。そして、ヤコブの主張していたマティルデュルが遭難したという話は、信じ難いものがあるという。マティルデュルはインギュンの手紙に大きなショックを受けた。しかし、その前から、マティルデュルが密かにエズラと会っていたと、フルンドは言う。

エズラは当時、ヤコブと一緒に「チゴリーナ」と船に乗り、漁をしていた。彼はそのため、ヤコブを通じてマティルデュルと会う機会があった。大男であるが、人付き合いが苦手で、控えめなエズラであったが、マティルデュルに対しては積極的であった。エズラはヤコブの留守を見計らってマティルデュルを訪れる。ある日、マティルデュルが興奮した様子で彼の家に駆けこんで来る。彼女は、姉のインギュンから来た手紙をエズラに見せる。マティルデュルはインギュンとの関係を夫に問い質すが、ヤコブは否定し、彼女に暴力を振るったと話す。エズラは、ヤコブの行動に腹を立て、マティルデュルに同情する。ある夜、エズラの家の叩く音がする。ドアを開くとマティルデュルがいた。ヤコブは留守であるという。その夜、ふたりは関係を持つ。

数日後、嵐の日、エズラの家の扉を叩く音がする。開けると、ヤコブが立っていた。ヤコブは、マティルデュルが山を越えて徒歩で母親に会いに行くと言って出て行ったことを告げる。その後天候は急変し、嵐になった。ヤコブはエズラに捜索に協力してくれるように依頼する。ふたりは雨具を付けて外に出るが、激しい風雨のために引き返さざるを得なくなる。同じ夜、英国の兵士も山で遭難し、人々がその捜索に出ていた。彼らもマティルデュルを見つけることができなかった。そして、その後もマティルデュルは見つかることがなかった。フルンドの母親は、ヤコブの言うことを疑っていたが、ヤコブも死んでしまった現在、それを確かめることはできないと、フルンドは言う。

エーレンデュルは自分と弟のベルギュルが遭難したときのことを思い出していた。父親と三人で外に出たが、激しい吹雪になり、弟が手袋を落として探している間に父親とはぐれてしまう。その手袋の中には、父親が土産に買ってきた赤いおもちゃの自動車が入っていた。エーレンデュルは弟の手を離さないようにとそれだけを考えていた。しかし、気が付くと弟の手がない。エーレンデュルは必死で弟を探すが、最後は雪の中で倒れてします。エーレンデュルが気付くと、自宅のベッドで隣に母親が坐っていた。弟はまだ見つかっていないと言って、母親は再び外へ出て行こうとする。

「見つかるよね?」

というエーレンデュルの問いに対して、

「必ず見つかる。」

と答えながら。

 エーレンデュルが二度目にエズラを訪れたとき、エズラの態度は大きく変わり、非協力的になっていた。ニナがエズラに電話をし、警告したという。

「マティルデュルがどうなったか知りたくないのか。私は、あなたとマティルデュルとの関係を知っている。ヤコブについて知っていることを教えてくれ。」

と、エーレンデュルはエズラに話す。

エズラは自分とマティルデュルとの過去を話し始める。マティルデュルがインギュンか、ら手紙を受け取る前から、ヤコブとマティルデュルの関係は悪化してきた。ヤコブの女漁りの過去が分かって来たからである。エズラはヤコブが閉所恐怖症であることを知っていた。マティルデュルとエズラは、ヤコブに自分たちの関係について話し、この場所を去ることを計画し始める。そして、それを何時実行するかを考え始める。ふたりの心配は、嫉妬深いヤコブの復讐であった。行方不明になる数日前から、マティルデュルが来なくなったとエズラは言う。

マティルデュルが行方不明になってから数週間後、エズラは墓地でヤコブに出会った。ヤコブは数日後の葬儀のために墓場を掘っていた。ヤコブは、最近自分と漁に出るのを辞めて、陸地で働き始めたエズラにその理由を尋ねる。ヤコブは、証拠はないが、自分の妻が他の男と関係を持って、自分を去ろうとしているのではないかと思っていたことをエズラに言う。

「そんな気分はとは独り身のおまえには分からないだろうが。今は忙しいが、また夜にでも寄ってくれ。」

と言うとヤコブはまた穴を掘り続けた。

「それで、結局ヤコブの家に行ったのか?」

というエーレンデュルの問いに、エズラは行ったと答えた。

 マティルデュルがどのようになったのか知りたいエズラは、ヤコブの家を訪れようかと迷う。彼は、自分とマティルデュルの関係が、ヤコブと彼女の不仲を招き、それが原因でマティルデュルが嵐の日に家を出たのではないかという、良心の呵責にさいなまれていた。ある夜、彼の家のドアを叩く。ヤコブは既に酒を飲んでいた。酒を飲むと攻撃的になるヤコブとのこれからの会話にエズラは不安を感じる。

「俺が、おまえとマティルデュルの関係を知らないと思っていたのか。」

と酔ったヤコブは言う。

「マティルデュルはあんたが姉のインギュンを妊娠させて捨てたことに腹を立てていたが。」

とエズラが言うと、

「あの女を二、三回寝たことが、あったが子供やその他のことは、あの女の大嘘だ。」

とヤコブは叫ぶ。ヤコブは、マティルデュルの変化に気が付いていた。彼女は、数か月自分を避けるようになっていた。

「おれは、数日間仕事に行くと言って家を出た。しかし、家の近くに留まって、お前とマティルデュルがやっていることを全部見た。『全部』だ。マティルデュルは、俺から離れて長い旅に出たがっていた。だからあいつを長い旅に出したのだ。」

ヤコブは帰って来たマティルデュルを責める。彼女の首を絞める。気が付くとマティルデュルは死んでいた。ヤコブはエズラにそれを語る。エズラは、

「マティルデュルはどこだ。」

とヤコブに迫るが、ヤコブはエズラを殴り、彼を家から叩き出す。

エズラはそのことを誰にも話さなかった。それを、エズラは初めてエーレンデュルに語った。エズラは村を出てどこかに行こうかと何度か思った。しかし、結局、彼はマティルデュルのいるこの場所を離れられなかった。 エーレンデュルは、エズラにヤコブが溺死したときのことを尋ねる。エズラはヤコブの死体が安置されていた氷室で働いていたと言う。

 エーレンデュルは、エズラが言っていた、ルードヴィヒというキツネ専門の猟師を訪れる。そして、キツネが自分の巣の中に引き入れたものについて尋ねる。ルードヴィヒは、キツネは、人間の持ち物や時には骨を自分の巣の中に引っ張り込む習性があるという。ルードヴィヒは、自分より年長の同じくキツネ猟師のダニエル・エドモンソンが、もっと詳しいと言う。エーレンデュルは次にエドモンソンの家を訪れる。しかし、エドモンソンは死亡し、息子がその家に住んでいた。息子は父親がキツネ猟の際、キツネの巣の中で発見した、膨大な事物を残していると話す。そして、それをエーレンデュルに見せる。エーレンデュルはその中に、人間の子供のあごの骨を発見する。エーレンデュルは遂に、弟の遺物に出会ったのだ。エーレンデュルはその骨を持ち帰る。

その夜、エーレンデュルは墓地を訪れる。そして、ヤコブの墓を掘り返し始める。エーレンデュルは、溺れたヤコブが意識を取り戻したが、生きながら埋められたのではないかと考える。そして、当時氷室で働いていて、ヤコブの「遺体」に直接触れることができたエズラそれを知っていたのではないかと考える。果たして、棺の中のヤコブの死体は、内側から何とか蓋を開けようとしてもがいた跡があった。

エーレンデュルは何故自分が、マティルデュルに関する過去に事件を掘り返しているのかを考える。彼には誰かを罰したいという気持ちはなかった。また真実が分かってもそれを公にする気持ちもなかった。「真実が知りたい」その気持ちだけで、彼は行動していた。

エーレンデュルは三度エズラを訪れる。エズラは、

「知っていることは全て話した。帰ってくれ。」

とエーレンデュルを追い返そうとする。

「ヤコブが溺れて氷室に運ばれたとき、ヤコブは本当に死んでいたか。」

とエーレンデュルは話し始める。彼は当時、経験の浅い見習いの医師が死亡診断書を書いたことを知っていた。そして、長時間冷たい水に浸かっていた人間が時として仮死状態になり、それを死亡とした誤って診断されることがあることも。自分は何も知らないというエズラに、エーレンデュルはヤコブの墓を掘り返し、ヤコブの棺の蓋を開けたことを語る。そして、ヤコブがどのような状態で、棺の中にいたかを説明する。そして、ヤコブの墓から取って来たヤコブの歯を机の上に置く。

エズラは、観念して話し始める。ヤコブともうひとりの漁師が氷室に運び込まれた後、医者が訪れ、ふたりの死亡診断書を書いた。ヤコブには身寄りはおらず、もう一人の男も親戚が早い埋葬を望んだので、ふたりとも翌日には埋葬されることになった。エズラが氷室に戻ると、ヤコブの姿勢が変わっていることに気付く。彼はヤコブに脈が戻り、口を動かしているのに気づく。

「助けてくれ。」

というヤコブに対して、

「マティルデュルはどこだ。それを言ったら助けてやる。」

とエズラは尋ねる。しかし、

「地獄に落ちろ。」

ヤコブはそう答える。エズラはヤコブを棺に移し、蓋を釘で打ち付ける。

 エズラがヤコブを見殺しにしたことは分かったが、マティルデュルの行方は結局分からなかった。エーレンデュルは墓場に戻る。彼の目はうっすらと雪に覆われたひとつの墓石に注がれる。彼の目が輝く。彼にはマティルデュルがどこにいるかの見当がついた・・・

 

 

<感想など>

 

事件が起こってから、何十年も経ってから、優秀な探偵が、状況証拠とわずかな証言だけで事件を解決してくという、アガサ・クリスティーの時代からよくあるパターン。エーレンデュルが休暇を取って久々に故郷を訪れた理由は、本来子供の頃にフィヨルドで行方不明になった弟について、「何か」を見つけるためだった。そこで、エーレンデュルは、弟と同じように、フィヨルドで行方不明になったとされ、結局遺体も発見されなかった若い女性、マティルデュルの話を知る。第二次世界大戦中の一九四二年というから、もう六十年以上も前の話である。その事件に興味を持ったエーレンデュルは、プライベートで調査を開始する。

彼の調査は容易ではない。何しろ六十年以上も前、関係者の大半は鬼籍に入っており、生存している人々も皆八十歳を超えている。僅かに生き残っているのは、フルンドというマティルデュルの一番下の妹、エズラというマティルデュルの夫ヤコブの友人(彼は九十歳近い)。そして、ニナというマティルデュルのかつての親友、この三人のみである。しかし、エーレンデュルにはもうひとり(というのも可笑しいが)協力者がいた。それは辺りに住むキツネである。キツネは見つけたものを自分の巣に引っ張り込む習性があるらしい。キツネの巣を暴いてみると、中には思いもかけないものが見つかると、物語の冒頭でキツネ猟師のボアスが述べる。この物語でも、キツネの巣の中で発見された事物が、真相解明の鍵となっている。気候の厳しいアイスランドでも、キツネが多く住んでいるらしい。ちなみに、私の住んでいる英国では、キツネはごくごく普通に見ることの出来る動物である。

この小説を読んで、まず、物語の展開に無理がないと感じた。ミステリーを読んでいると、「この設定はちょっと無理なんじゃない」とか「こんなことは実際に有り得ないんじゃない」と感じる点が出て来る。物語の進行上必然的なことなのだが、普通では有り得ない、無理だと読者に思われてしまう、特に私が感じてしまう点だ。それがこのストーリーにはない。自然な展開なのだ。いや、不自然な展開もある。例えば、嵐の日遭難した英国の兵士の遺体が全員発見されたのに、同じ日、同じ山中で行方不明になった女性の死体が何故見つからなかったのかという点。それは「不自然」である。しかし、それを「偶然」と考えないことが、エーレンデュルの調査の出発点なのである。彼は、ちょっとした「不自然さ」に注目し、それに対する回答を求める。その繰り返しにより、彼の調査が進展するのだ。したがって、解決された後の真相は、不自然さ、有り得ない偶然が全て排除された、自然なものになっている。

しかし、最近は、過去の長い時間に起こった数々の出来事が、現在に帰結をもたらすというパターンが多い。偶然かも知れないが、最近読んだミステリーの殆どがそのパターンである。物語に歴史的な背景を与えることで、確かにストーリーに深みが増すことは事実だが、最近このパターンが多用され過ぎているように思える。

一言でまとめるならば、「復讐の物語」である。妻は自分の姉を裏切った現在の夫に復讐、夫は不倫をしている妻に復讐、妻の不倫の相手は妻を殺した夫に復讐・・・私の経験から言っても、復讐心ほど自分の心を苛むものはない。そして、復讐心ほど自分を普段しないような行動に駆り立てるものはない。動機を「復讐」にまとめたことにより、動機に対する読者に対する説得力が増している。また、アイスランドの厳しい気候、切り立ったフィヨルドに風景を巧みに取り入れている。アーナルデュル・インドリダソンのエーレンデュルシリーズの第十一作で、二〇一〇年に発表されたこの物語、犯罪小説、ミステリーとしては、傑作に属する作品だと思う。

 

20178月)

 

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