キャプテン・トム

 

木曜日の夜、拍手をする家族。(The Manchester Evening News紙より)

 

ロックダウンが始まって一カ月半。五月に入って、英国内での閉塞感が強まる。毎日平均して五百人を超える死者が出ていて、一向に減る気配がない。

「ひどいことになっている。」

と、最初衝撃と同情の目で見ていたスペインやイタリアでの感染が収束の方向に向かうにつれ、感染者数でも死者数でも、英国は両国を追い抜いてしまった。ダントツでトップを走っている米国は別格として、英国は欧州最悪の感染スポットになってしまったのである。

「ロックダウンになったときに感染していた人は、回復するか、もう死んでいるはず。どうして一カ月以上経っても死者が減らないんだろう。」

僕も不思議でならなかった。何となく、ロックダウンの効果が懐疑的に思われてくる。テレビをつけても、死者や遺族の話題ばかり。また、疲れ切った医療関係者の姿も頻繁に放映された。ロックダウンが長引けば長引くほど、経済に対する影響も懸念される。最初は真剣に見ていたニュースも、僕は何時しか見なくなっていた。

そんな中、テレビで放映されたふたつの明るいニュースがあった。それは、「サーズデイ・ナイト・クラップ」と「キャプテン・トム」の話題だった。イタリアで、都市封鎖で外に出られない人たちが、時間を決めて、窓やバルコニーから拍手をしたり音楽を演奏したりして、互いに励まし合うという風景が流れていた。ロックダウンの始まった翌週、

「頑張ってくれている医療従事者に感謝するために、国民皆が一斉に拍手をしよう。」

と呼びかけたアネマリー・プラスさんという人がいた。僕は朝のニュースでそれを聞いた。夕方八時一分前、ちょっと半信半疑な気持ちで、窓を開けた。BBCニュースでは、各地の様子を中継している。八時になり拍手を始めると、パラパラと拍手の音が窓から聞こえた。

「う〜ん、田舎は家と家の間隔が開き過ぎていて、どうも盛り上がらん。」

僕はそう思いながら、一分間拍手を続けた。木曜日の夜八時の拍手は、ロックダウンが部分解除される五月末まで続いた。テレビで拍手する人々を見ていると、何となく胸が熱くなり、涙ぐんでしまう。

 トム・ムーア退役陸軍大尉、通称キャプテン・トムは、今年四月三十日に百歳になった。彼は、コロナ禍で苦労しているNHS(国民健康システム)をサポートするために、ファンドレイジングを思いつく。自分の誕生日までに、自分の庭を百往復するという。結構広い庭で、片道三十メートルはありそう。足が悪く、普段は車椅子、歩くときも歩行器が必要なトムさんだが、彼が何日もかけて歩行器を押しながら頑張る様子は、インターネットを通じて配信された。そして、四月十六日に遂に百往復を達成。その様子はBBCニュースで中継され、軍隊から派遣された兵士が並んで敬礼をする中、彼はゴールインした。トムさん自身、最初は、五千ポンド(七十万円)も集まれば上出来と思っていたそうだが、最終的には五百万ポンド(七億円)を超える寄付が集まったということである。そして、彼への応援歌、「Youll Never Walk Alone」は、全英シングルチャートの一位になった。

 

四月十六日、家族と兵士たちに見守られ、百往復のゴールインをするキャプテン・トム。(BBCニュースより)