「突然の死」

原題:Sudden Death (突然の死)

ドイツ語題:Infarkt(心筋梗塞)

2015年)

 

 

<はじめに>

 

ノルウェーのミステリー作家、アナ・ホルトが、妹で外科医であるエヴェン・ホルトと共作した作品。心臓外科医のサラ・ツッカーマンが主人公で、専門知識を駆使して事件を解決する筋書きが展開されている。

 

<ストーリー>

 

二〇〇〇年九月、米国オハイオ州にクリーブランド病院に勤める医師、サラ・ツッカーマンは保安官チャールズ・ガーストナーと名乗る男の訪問を受ける。サラはノルウェー出身の、循環器科の医師であった。ガーストナーはサラに写真を見せ、その男を知らないかと聞く。サラは、反射的に知らないと答える。ガーストナーはその写真の男はこの病院にいたはず、自分に協力しないことは、非愛国的な行為だとサラに迫るが、サラは一貫として知らないとはねつける。実は、サラはその男を知っていた。男は心臓発作で病院に運び込まれ、ステントを埋め込む手術を受けた。しかし、手術の翌日姿を消していた。札束の詰まった鞄を持って。

 

二〇〇三年、三月、ロンドン。レバノン・出身の実業家、ナジブ・アイシャの家では、孫の誕生を祝うために家族が集まっていた。ナジブは絵画のコレクターとして知られていて、ヴァン・ゴッホを始めとする、有名な画家の絵を所有していた。パーティーの途中に、三人の男が家に押し入る。彼らは、人々をピストルで脅し、特に有名な三枚の絵を持ち去ろうとする。ナジブの妻はハンドバッグの中にピストルを持っていた。彼女は三人組の強盗を撃ち、ひとりを倒す。男たちも発砲し、写真家、孫の一人、召使いに命中する。男たちは三枚の絵のうち、二枚を持って逃走する。警察の捜査にも関わらず、犯人が逮捕されることも、盗まれた絵が発見されることもなかった。写真家と召使は死亡したが、孫は命を取り止めた。

 

二〇一三年五月、ロンドンのウェンブリー・スタジアムでは、チャンピオンズ・リーグの決勝が、ドイツのバイエルン・ミュンヘンと、同じくドイツのボルシア・ドルトムントの間で行われていた。サラ・ツッカーマンは、ヨハネス・フンケルと一緒にスタジアムの観客席にいた。サラの恋人のヨハネスはドイツ人で、英国サッカーの一部リーグに属する、「ノッティング・ヒル」の監督をしていた。試合がバイエルン・ミュンヘンの勝利で終わった直後、ヨハネスはサラをグラウンドに連れ出す。そこには両チームの選手たちと関係者、それを取材する報道陣でごった返していた。その最中、サラはドルトムントの選手のひとり、十七番を付けた選手がグラウンドに崩れ落ちるのを見つける。サラが駆けつけると、その選手の心臓は停止していた。サラは、競技場のメディカルチームにも手伝わせ、その選手を蘇生させる。その様子はテレビでも放映され、サラはその場の英雄となる。その場を立ち去ろうとするサラに、ひとりの男が近づく。彼は、自分を、ノッティング・ヒルのオーナーであるナジブ・アイシャであると名乗り、サラを翌日の夕食に招待したいと言う。

同じ頃、ロンドン、イスラエル大使館員のアロン・アプターはウェンブリー競技場からのサッカーの中継をテレビで見ていた。アロンの妻は五年前に男を作って出て行き、彼は独り暮らしであった。試合後、サラ・ツッカーマンが、倒れた選手を治療している様子も放映されていた。アロンは、サラが、ナジブ・アイシャと会話しているのを見逃さなかった。彼は、ナジブから絵を強奪した事件に関わっていた。有名な絵を、国外に持ち出すことは困難を極めた。絵は、しばらくの間、イスラエル大使館に保管された後、ほとぼりが冷めるのを待って、外交官手荷物としてテル・アヴィヴに運ばれた。それを知っているのは、アロンを入れて、三人だけであった。アロンは、サラが前年、マーキュリークリニック事件を解決したことを知っていた。彼は、サラがナジブに接触していることに、不吉なものを感じる。

サッカーの試合の翌日、ノルウェー人の医師で、サラのかつての同僚オラ・ファルメンはロンドンの自宅にいた。彼は、ノルウェーで六人の子供を抱え、経済的に困っているところを、サラに助けられ、ノッティング・ヒルのチームドクターのひとりとして迎え入れられた。オラは、ドルトムントの十七番の選手が倒れたのを見ていた。その選手、ジミー・ローリングは数ヶ月前まで、ノッティング・ヒルでプレーをし、最近ドルトムントに移籍した選手であった。

「また人の死ぬ予感がする。」

彼は呟く。

ジミー・ローリングの妻キャロラインは、夫のベッドの傍にいた。深夜、見舞い客もようやく途絶えた。キャロラインには、医者に隠していたことがあった。それは木曜日に起こったことだった。それを知って彼女は、前日の金曜日、プレーをしないように夫に懇願していた。

ノルウェーにいたとき、オラは多額の借金を抱え、破産寸前であった。その頃、ノッティグ・ヒルの監督に招かれたヨハネスは何度もサラに求婚するが断れる。サラはヨハネスにオラをチームドクターとして雇ってくれと言う。サラの歓心を引くためのヨハネスの依頼は、オーナーのナジブに承諾され、オラはロンドンで働き始める。破格の給料で、家も与えられて。オラと妻のグロはロンドンで初めて息をつく。サラはタクシー降りて、オラの家に入る。子供たちは喜んで彼女を迎える。子供が多いため、家の中は散らかっている。サラはオラが悩んでおり、体重も減ってきているように感じる。オラは昨夜サラが救ったジミーは、十年間で心臓発作を起こした三人目のノッティング・ヒルの選手であると言う。通常、若者が心臓発作を起こす確率は四千分の一だが、ノッティング・ヒルに限っては五十分の一であるとオラは説明する。サラは、確率を述べるのには母体が少なすぎること、選手は十分に健康管理をされていることから、オラの思い過ごしであると言う。

「しかし、それだけではない・・。」

とオラが言いかけたとき、外に出ていた子供たちが戻り、ふたりの会話は途切れる。サラがナジブの家に行かなくていけない時間になる。オラはノッティング・ヒルの選手の心臓発作の多さが偶然ではないと思いながらも、自分の立場と、自分を紹介してくれたサラとヨハネスの立場を考えると、どうしてよいかと悩む。

サラはナジブの家に向かう。サラはその日誕生日で、五十一歳になっていた。彼女は十一年前、米国からノルウェーに戻っていた。彼女には子供はなかったが、十七歳になるテアという姪がいて、彼女を自分の子供のように思っていた。

ナジブの家は、ビクトリア風の建築と、現代建築が合体した、豪華なものであった。サラはヨハネスと一緒に門を潜る。ナジブの妻のヨウマナがふたりを迎える。家の中は、著名な画家の作品が、所狭しと架かっており、ナジブが想像もできないほどの金持ちであることがうかがえた。夕食の間、ナジブと彼の妻が給仕をし、使用人の姿は見えなかった。ナジブはサラが、その苗字からしてユダヤ人ではないかと尋ねる。サラは、自分はノルウェーに逃れたユダヤ人の三世代目であることを明かす。ナジブは、自分はベイルートで生まれ育ち、そこには実に雑多な宗教の人々が住んでいたため、宗教には寛容であると話す。

そのうち、ナジブは数年前に受けた残忍な強盗事件について話し始める。最初は、アルカイダ等によるイスラム過激派によるテロであると考えられた。しかし、警察はその線での捜査を諦めた。当時のイスラム過激派は米国、イスラエル関係の人物や建物を狙い、アラブ人がそのターゲットとなったことはないからである。また、一番処分しにくい絵画を狙った犯罪であたることも、テロリスト説に合わないものだった。ナジブは盗まれた絵画が無事であることを願うしかないと言う。ふたりがナジブの家を辞そうとすると、ナジブは明日プライベートジェットでサラをオスロまで送るという。サラはそれを断り、ふたりは外に出る。ヨハネスはその日がサラの誕生日であることを忘れているようで、彼女にはそれまで何も言わなかった。

その夜、オラは自宅のベランダに座っていた。彼が思い詰めた様子だったので、妻のグロが心配して声を掛けた。オラは仕事のことで悩んでいると言って、書類を妻に見せた。それは、チームの選手の体力測定の結果だった。数人の選手が、ノッティング・ヒルに入って、年齢的にはピークを越えているのに、飛躍的に走るスピードが増していた。その中に、昨日心臓発作で倒れて、サラに命を救われたジミーも含まれていた。オラは、一度はドーピングを疑った。しかし、選手たちは定期的に厳しい健康診断を課せられており、その中にはアンチ・ドーピングのテストも含まれていた。しかし、ドーピング意外に、これほど飛躍的な運動能力の伸びは考えられないと、オラは思っている。グロは、

「この生活を続けるためにも、余計な詮索はやめた方がいい。あなたはシャーロック・ホームズではないのだから。」

と夫を諫める。オラは自分の疑念を、サラとグロに話したのは失敗だったと思う。

 ナジブの家を辞したサラとヨハネスは外を歩いていた。ヨハネスは、サラに誕生日のプレゼントとしてダイヤの指輪を贈る。彼は、これまで三度サラにプロポーズをして返事を延ばされていた。彼らの前で、猫が車に轢かれそうになる。ふたりはその猫を飼い主の家に届ける。その家には、九十九歳の、ドロシー・クリューガーという老女が独りで住んでいた。ドロシーはふたりに礼を述べ、茶を入れる。老女は隣人のナジブの家に強盗が入ったときに、ユダヤ人が辺りにいたと言い、そのユダヤ人が犯人だという。

「どうしてそれがユダヤ人と分かったのか。」

という問いに対して、

「ユダヤ人は見れば分かる。ちなみにあなたもユダヤ人だ。」

と老女はサラの素性を見抜く。

十九歳のロバート・アトキンスは、ノッティング・ヒルが本拠とする、ロイズ・アリーナのコンピューター室にいた。彼はチームの情報システムの担当であった。子供の頃からコンピューターの好きな彼は、ハッカーまがいのこともしたが、今ではセキュリティー担当として、ノッティング・ヒルの情報部門で働いていた。彼は、オラのパソコンが警告を発しているのを見つける。オラは、チームの情報の中でも特に機密性が強い医療データに、深夜、自宅からアクセスしていた。ロバートはその内容を調べ始める。ロバートは、調査の結果を上司に報告する。情報システムの課長は、オラに連絡を取ろうとするが、見つからない。彼は連絡をするようにという書置きをオラの机の上に残す。

オラはクリストファー・プライの両親の家を訪れる。クリストファーはノッティング・ヒルで優秀な選手であったが、六年前、二十七歳の時、自宅の近くで車を運転中、道路から外れ、立木に激突して死亡していた。オラの調べでは、重度の身体障碍者である妹がいるはずであった。母親のソフィーが応対に出る。母親はクリストファーの死は交通事故ではないと言う。息子は注意深く運転する性格であり、現場にはブレーキを踏んだ形跡もなかったと、母親は言う。オラは、

「息子さんの死には、おそらく別の理由がつけられるはずだ。」

と述べ、解剖の結果を記した書類を見たいという。母親は、夫と相談して返事をすると言う。ソフィーは夫のアランに相談するが、夫は息子の死について、原因究明を蒸し返すことに反対する。クリストファーの死亡した後、その生命保険で、身体障碍の娘のために家を改築していた。もし、その保険金の返還を求められたら、莫大な借金を背負うことになるというのが、夫の反対する表向きの理由だった。しかし、実はそれはノッティング・ヒルのトレーナーである、デイヴィッド・リー・カリーからの指示であった。ソフィーは、夫に隠れて、金庫の中にある、クリストファーに関する書類を取り出そうとする。しかし、それらの書類を入れていた箱は空になっていた。

サラはナジブのプライベートジェットでオスロに戻る。米国から三年前に戻ったサラは、オスロにある私立の病院で働いていた。彼女は、ナジブの家での強盗事件について、検索してみる。当時の新聞記事を見て、サラは驚く。強盗団のうち一人が殺されていたが、サラにはその男の顔に見覚えがあった。それは、クリーブランド病院で、彼女が処置をした男であった。アーメド・フェレツというのが、その男の名前であった。

プライ家からロンドンに戻ったオラは、過去の医療データにアクセスしようとする。しかし、昨日まで読むことのできたデータが読めなくなっていた。誰かがシステムを変更したのであった。オラは自分の疑いを証明する全てのデータに、手が届かなくなっていることに気付く。

オスロに戻ったサラは病院の自分の診察室にいた。彼女は、殺された男アーメッド・フェレツを診察したのは偶然であったのかと考える。アーメドを捜していたゲルストナーと名乗るユダヤ人は、イスラエルの秘密警察、モサードの人間ではないかと考え始める。サラはグーグルで、モサードについて調べようとする。彼女は、モサードがイスラエルの三つの諜報機関のひとつで、表向きは他国にテロ組織を追求する機関であることを知る。しかし、そのものがテロ組織であるという風評があった。また、アーメドは、イスラエルに占領されたジェリコ出身のパレスチナ人で、政治的な背景は見つからなかった。サラは、当時の様子を思い出そうとする。その際、当時自らを守るために、患者との会話は全て録音していたことを思い出す。

サラは夕方、トリル・ベルクハイムという太った六十代の女性と湖の畔を散歩していた。彼女はユダヤ人で、キブツで働いているときユダヤ人の将校と結婚し、三人の子供をもうけた。夫の死後ノルウェーに戻り、イスラエル大使館で働いていた。サラがモサードについて聞きたいというと、トリルは最初言葉を濁す。一九四九年に創設されえたモサードは、現在千二百人ほどのメンバーがいるとトリルは言う。その中に、「メツサダ」と呼ばれる特殊オペレーション部門があるという。

「その部門は殺人や誘拐についても関与しているの。」

というサラの問いに対して、トリルは明確に答えない。

アロンは、ロンドンのアパートにいた。彼はかつてモサードのメンバーであったが、今は第一線から引退し、かつての関係者たちや同僚たちとはコンタクトを断っていた。彼の任務は、ナジブの家を襲ったことと、自分たちの関係を消し去ることであった。そして、それにこれまでは成功していた。しかし、サラの存在はそれを危うくするものであった。サラはナジブとコンタクトがあるだけではなく、二〇〇〇年に会った患者がフェレツであることにも気付いていた。しかし、サラの掴んでいるのは、まだ細い糸であるとアロンは信じる。アロンは知人のアメリカ人、ハリー・ロングウォーターに電話をする。ハリーはかつてCIAのメンバーであった。アロンはハリーに協力を求める。

ソフィー・プライは昼間から酒を飲んでいた。これまで夫と言い争いをしたことがなかった彼女だが、今回は夫に腹を立てていた。夫はクリストファーに関する書類を隠したのだった。夫は、クリストファーの死の真相が分かったとき、生命保険金が引き上げられ、重度の身体障碍を抱える娘のチェリルを、また施設に戻さねばならないことを恐れていた。

三人が心臓発作で倒れたが命は救われた。三人が事故で死んでいる。クリストファー・プライは運転中街路樹に激突する事故、アダム・ライトはモルジブでダイビング中に死んだ。肺に水がなかったので溺死ではなく、死因不明のままである。もうひとりのプレベン・ウルリク・ヴィンディングは地下鉄のホームに落ち、電車に轢かれて死んだ。そのときヴィンディングは酒を飲んではいたが、血液中のアルコール量は極めて少なかった。そして三人とも、それまで心臓に異常は発見されず、ノッティング・ヒルに来てから、急激に足が速くなった選手だった。オラはサラの力を借りようと決意する。

サラは自宅で、モサードに関する本を読んでいた。何冊かの本を、図書館から借りてきたのだった。それを見て、姪のテアは、サラが「反ユダヤ主義」の本を読んでいると皮肉を言う。サラは、医療訴訟の際、自分を守るため、米国では患者との会話をずっと録音していたことを思い出す。彼女は、フェレツを治療した後訪ねてきた偽保安官との会話も録音していた。彼女は、そのテープを取り出し聴いてみる。しかし、謎は深まるばかり、ナジブの家から強奪された絵画は、元々ユダヤ人の所有のものではない。また、強盗団のひとり、フェレツはパレスチナ人で、ユダヤ人ではなかった。サラは、もう一度老女ドロシーを訪ねてみようと考える。

一九八二年に新しく出来た部署に配属になったアロンは、隠れている人間を捜すことが重要な仕事となった。昔は捜すのに時間がかかった。しかし、昨今の技術の進歩はそれを飛躍的に容易にしていた。彼は元CIAの知り合いに頼んで、サラの携帯をトレースするプログラムを自分の携帯に入れた。それで、サラの居所がたちどころに分かるだけでなく、彼女の受発信するEメールも読めるようになった。彼は今オスロに来ていた。

ナジブは自分の前に座っている、白い麻の服を着た、背の低い男に言った。

「ファルメンはもう要らない。奴の前に何か美味しそうな餌をぶら下げて追い出せ。」

サラはオラからのメールを読む。それは、説得力のあるものであった。サラはオラの疑念を、監督であるヨハネスに伝えるべきかと悩む。彼女はもう一度ロンドンへ行くことを決意する、彼女が家に戻ると、誰かが家の中にいたことを示す、見知らぬ匂いを感じる。

トレーナーのデイヴィッド・リー・カリーは深夜職場にいた。彼はオラのオフィスに入る。カリーはオラが何を知り、何を知っていないのか確定する必要があると考えていた。

オラは早朝、トレヴァー・モリソンの秘書から電話を受け、十時にモリソンのオフィスに来るように言われる。モリソンはナジブの代理人であった。オラがモリソンのオフィスに入ると、白い麻のスーツを着た、小柄な男が座っていた。オラは家を出る前、モリソンについてインターネットで調べていた。ナジブの関わるビジネスに必ずと言っていいほど登場するが、実際モリソンが何を生業としているのかを示すような記事はなかった。

「ナジブはあなたにこれ以上チームにいて欲しくないと思っている。」

とモリソンは切り出す。オラは自分が首になることを覚悟し、家族をどうやって養うかを考えて、暗澹とした気分になる。しかし、モリソンは、ナジブの創設した薬品の研究プロジェクトの主席研究員としての職を用意していることを告げる。

「どうして自分を?」

とオラは訝しく思うが、モリソンは、これはナジブによるリストラであり、新しい部門への投資であると答える。また、家族のことを考えれば、新しい職務を受け入れるのが賢明ではないかと言う。オラは三日後の月曜日に返事をすると言い、モリソンのオフィスを出る。オラは、自分に新しい職を推薦されたのは、自分をチームから追い出すためだと考える。そして、自分がドーピングに対して疑いを持っていることを、チーム人間に気付かれ、それがナジブに知られたことを確信する。不安に駆られている夫を、妻のグロも不安そうに見ている。

同じ日の夕方、再びロンドンに着いたサラは、九十九歳の女性でナジブの隣人である、ドロシー・クリューガーの家に向かっていた。ドロシーはサラを迎え入れ、菓子とワインを勧める。ドロシーは、ナジブの家に強盗が入った日、自分の庭に佇む男を見ていた。それは明らかにユダヤ人だったと主張する。ドロシーは明らかにユダヤ人に偏見を持っていた。その発言に腹を立て、立ち去ろうとしたサラをドロシーは引き止める。ドロシーはその男の写真を撮っていた。サラはフィルムの入ったカメラをドロシーから借り受ける。

トレーナーのカリーはジョギングをしていたが、自分が担当している選手たちの体力、走力が向上しているのは、自分のトレーニングの効果だけなのかと、疑問を持ち始める。

土曜日の朝、オラとサラは街中のスターバックスで会っていた。サラはオラの、先入観に囚われない観察力と、推理力に一目置いていた。サラは、オラにナジブ家の強盗事件とモサードの関係を伝え、彼の意見を聞きたかった。オラは自分の思っているドーピング関する疑念をサラに話す。しかしその方法や使われている薬品について、オラは解明できていなかった。サラは、足の速い一流選手は、尻から太股にかけて独特の筋肉が付いていることを知っていた。サラは、ドーピングの疑いのある選手の写真を携帯電話に写し、その筋肉を観察する。サラはドーピングで筋肉をつけた選手は見破られるが、問題になっているノッティング・ヒルの選手たちには、そのような兆候が見えないと言う。話の途中で、オラの携帯に妻からのメッセージが入り、オラは立ち去らざるをえなくなる。オラは夜にもう一度会ってくれるようにサラに頼む。

ソフィーはコッパーフィールド医師の死亡広告を新聞で見つける。既に引退していたが、彼は長い間、ソフィーの家族の家庭医であった。ソフィーの母親は、クリストファーが死んでから、悲しみのあまり、身体的にも精神的にも弱っていた。コッパーフィールド医師は、その母親と唯一親交のあった人物であった。ソフィーは、クリストファーが死ぬ前に、同医師の診察を受けたことを思い出す。

「チームに優秀な医師団がいるのに、どうしてクリストファーはコッパーフィールドの診察を受けたのだろう。」

ソフィーは考える。息子がコッパーフィールドの跡を継いでいた。ソフィーは診療所を訪れることを決意する。

アロンはロンドンに戻っていた。彼は十三年前、クリーブランドでサラに出会ってから、彼女の魅力に惹かれていた。アロンはオスロでサラを尾行し、彼女の家に忍び込んだこともあった。彼は携帯電話で、サラの跡を追う。そして昨夜、サラがナジブの隣人を訪れたことを知る。そこは確か、荒れ果てた空き家だったはず。アロンはその家の庭から、何度かナジブの家の様子を伺っていた。何故、サラがその家を訪れたのか、アロンは訝しく思う。またアロンは、インターネットの履歴から、サラがサッカーの選手に興味を持っていることを知る。

ソフィーが、コッパーフィールド診療所を訪れると、そこは父親の代から考えもつかないほどモダンなものになっていた。息子の医師は、ソフィーをカルテの保管庫に連れていき、カルテの内容について絶対他言をしないことを条件に、ソフィーにクリストファーのカルテを読むことを許す。

土曜日の夜、サラとオラは車の中で話している。走力が飛躍的に増した選手は、ドーピングのテストに引っかからなかった。そのことから、それらの選手には、筋肉を強くするよりも、脳より平安の信号に早く反応する筋肉が作られたのではないかとふたりは推理する。しかし、そんな薬が本当にあるのかというところで、ふたりの考えは止まってしまう。サラは車を降り、オラは車の中で眠ってしまう。朝帰りした夫に、妻のグロは腹を立てる。グロは、

「あなたが職を失ったら、私たちはもう暮らしていけないのよ。」

と迫る。疲れ切った妻の姿を見たオラは、妻に自分の抱えている問題を全て、正直に話すことにする。自身も医者であるグロは、「脳よりの信号に早く筋肉に伝える」薬があるという。それは、頑固な便秘の患者に処方し、腸の筋肉に信号をより早く強く伝えることに効果のある「レボラン」という薬であった。

カリーは、シーズンの終わった静かなスタジアムにいた。彼は、トレヴァー・モリソンをチームから追い出さなさなければならないと思う。彼が、自分のオフィスに入ると、そこにモリソンが坐っていた。

サラは、オラの追っているドーピングの件と、絵画強奪事件は関係があると考える。「サッカーとドーピング」、「絵画とモサード」、サラはこのふたつに関係する人物の一覧表を作る。そして、両方に関わっているのが、ナジブ・アイシャだけであることを改めて知る。彼女は、更に、二〇〇三年に、アヴェニュー・ロードで車に轢かれた、黒人のサッカー選手コフィ・ヌクルマーに注目する。

「全ては二〇〇三年に始まった。」

サラは呟く。その原因となるもの、それは金以外に考えられなかった。

オラは自分が正しいことをしているのかと妻に問う。妻は、そうだと答える。オラはここ数年で初めて、妻と子供と金以外のことについて話をしたことに満足する。彼は、モリソンからオファーのあった次の仕事の開始時期を三か月延ばして契約しようと考える。そして、その間の時間を、自分の調査に使おうと決心する。

ナジブはモリソンと会っていた。オラがサインした契約書をモリソンはナジブに見せる。その契約書には、専門家でも分からないような「罠」が隠されているとモリソンは言う。

「これでファルメンは片付いた、次はカリーを片付けろ。」

とナジブはモリソンに指示する。

ソフィーは書類入れの中に入れておいた、ノルウェー人の医師の名刺がないことに気付く。ソフィーはノッティング・ヒル・サッカーチームに電話をする。

「その医師は自らの意志で辞めた。それ以外は個人情報なので教えられない。」

受付の女性はそう言って電話を切る。ソフィーはコッパーフィル医師の、手紙をコピーしていた。読み辛い手書きの手紙を彼女は「解読」し、タイプする。それは一種の診断書であった。クリストファーは、心臓の鼓動が時として激しくなり、何度か気を失いかけた、疲れやすくなったと医師に訴えていた。しかし、コッパーフィル医師の診断では、クリストファーは健康でああり、それらの症状は過重なトレーニング、一時的な脱水症状によって引き起こされた可能性が高いとしていた。ソフィーは、ノルウェー人の医者を探し出して、その診断書を見せなければいけないと考える。彼女は手紙を厚い本の中に隠す。

オラはトレヴァーと次の仕事に関する契約を交わす。彼は、妻のグロに、一晩でオスロへ戻ってよいかと尋ねる。妻はそれを許す。彼は、選手へのドーピングに使われた可能性のあるレボランという薬が、ナジブの所有する製薬会社で製造されていることを調査の結果知っていた。

その夜、オラはオスロにあるサラの家を訪れていた。レボランを作っているニューカスル・ファーマ社は、一九五二年に設立され、処方箋の不要な医薬品の製造で成功を収めた。しかし、創業者の死の後、相続問題がこじれ、結局売りに出されてしまう。買ったのはナジブ・アイシャであった。ナジブは更にサウスエンド・ジーンという化学研究会社も買収した。ふたつの会社の業績は数年間低迷していたが、二〇〇三年に開発されたレボランに救われるような形で、業績は回復していた。その話をオラから聞いた後、サラは絵画強奪事件について、オラに話を始める。

深夜、オラの長男であるタリャイ・ファルメンは、パブから家に戻るところであった。酔ったタリャイは、気分が悪くなり、道端で吐こうとする。そのとき、横に車が停まり、降りてきた男が彼を殴りつける。タリャイは走って逃げ、塀を乗り越えて自分の家に辿り着く。

サラとオラは深夜、写真好きの友人の家にいた。ふたりは、その友人に、ドロシー・クリューガーのカメラの中に入っていたフィルムの現像を頼んでいた。現像が仕上がる。そこに移っている男にサラは見覚えがあった。それはクリーブランド病院を訪ねてきた、ユダヤ人の偽保安官であった。彼が強奪事件に関与していたとすれば、二〇〇〇年には「追っていた者」と「追われていた者」という関係であった人間が、二〇〇三年には一緒に仕事をしたことになる。モサードは何かを知っていた。彼女はモサードが扇動、情報操作をもやっていたことを思い出す。サラは大局的な目で見てみようと考える。それは、「イスラエルはどこと最も関係しようとしていたか」という点であった。

ウェンブリーで倒れ、サラに命を救われたジミー・ローリングはまだ病院にいた。妻のキャロラインが彼に付き添っている。少し身体を動かしたらという妻の勧めにジミーは応じない。彼は自分がまた倒れるのではないかと心配していた。事実、彼は試合の二日前に短時間だが意識を失い、それを知ったキャロラインが試合に出ないことを勧めていたのだった。キャロラインは生活費の心配を始めていた。ドーピングをしたのかという妻の問いに対して、ジミーは強く否定する。

カリーはスタジアムで、一冊のファイルを読んでいた。それは、かつてノッティング・ヒルに所属した、ゴードン・シンプソンに関するものだった。ゴードン・シンプソンは、二〇〇六年に十九歳でノッティング・ヒルに移籍してきた、ボールの行方や試合展開を先読みすることに関しては天才的な選手であった。しかし、足はそれほど速くなく、試合勘でそれを補っているところがあった。シーズン中、選手たちはキャンティーンで一緒に食事をすることになっていたが、数人の選手はサプリメントの入った飲み物を摂っていた。ある日、ゴードンの飲み物が、それまでの白い色から、赤い色に変わった。それを見たゴードンは、

「こんなものが飲めるか。」

と言って、それを壁に叩きつけた。結局、ゴードンは二十一歳でチームを去り、彼の経歴もそこで終わった。飲み物が白から赤に変わったのは、カリーが、

「ゴードンの四十メートルダッシュを、もっと向上させる必要がある。」

とコーチに入った直後だった。カリーは、今になってそのことを思い出す。そして、自分が、ファルメン医師と同じ運命に遭うのは何としても避けなければならないと思う・・・

 

 

<感想など>

 

女性は観察力が細かい、つまり細かいところに気付くという。やることが男性より丁寧であるとも言われる。しかし、それにも程度があり、ここまで細かく丁寧に書かれると、正直、読んでいて疲れる。例えば、オラとグロの夫婦の会話。夫婦の間の微妙な感情を移り変わり、遣り取りを描きたいのは分かるが、そもそもそれがテーマでないのであるから、ここまでやる必要はないと思う。このストーリーで、ドイツ語で四百五十ページは長い。もう少し簡潔にお願いしたいところである。また、主人公のサラも、思わせぶりの台詞を吐く。結論を先に言わない。そんな台詞にかなりイライラした。

この小説、完璧にクロニカル、つまり時系列に沿って書かれている。登場人物の回想以外、話が昔に遡ることはない。同じ日の中の出来事も、零時から二十四時まで、時間通りに並んでいる。そう言った意味では読み易い。

ふたつの「事件」が解明される。ひとつ目の事件は、最近イングランドのサッカー、プレミアリーグで、めきめきと力を付けてきた「ノッティング・ヒル」の選手の何人か、心臓発作を起こして、死亡したり、引退を余儀なくされるというもの。このラインは、ノルウェー人のチームドクター、オラ・ファルメンによって問題定義され、解明されていく。

ふたつ目の事件は、二〇〇三年に起こった、絵画強奪事件である。「ノッティング・ヒル」のオーナーであり、絵画の収集家としても有名なナジブ・アイシャの家が三人の男によって襲われる。ナジブの妻が拳銃を発射したことにより打ち合いになり、犯人側のひとりが死亡、ナジブ側も三人が死傷する。二枚の絵が運び去られるが、犯人は捕まらず、絵も発見されることはなかったというものである。この線は、同じくノルウェー人の心臓外科医、サラ・ツッカーマンによって、調査、解明される。

警察ではなく、民間人が事件を解決するという推理小説は多い。しかし、大多数は、私立探偵が主人公になっている。ごくたまに、警察官でもなく、探偵でもない、捜査に対する全くの素人が事件を解決するというパターンもある。例えば、アガサ・クリスティーの「ミス・マープル」のように。この小説はそのごく少ない部類のひとつである。もちろん、ズブの民間人であるから、捜査権も持たないし、逮捕権もない。インターネットの検索エンジンくらいしか情報収集能力もない。そんな、人間が事件を解決できるのは、非現実的という声を抑えるために、サラもオラも心臓外科医、循環器系の専門家という設定になっている。彼らは、専門知識を駆使して、事件に取り組んでいく。また、それらが現実の医学的な知識に基づいているため、読者に説得力を持つのである。

さて、その医学的、薬学的な様々な専門知識を繰りだせるのも当然、この作品は、ホルト姉妹の共著になっているが、妹のエヴェン・ホルトはオスロの病院の循環器部長なのである。元々、姉のアンネ・ホルトは、ヨハンネ・ヴィク、ハンネ・ヴィルヘルムセン等、女性刑事を主人公にした小説を書いていた。彼女が、新たに、これも女性で医者のサラ・ツッカーマンを主人公にしたシリーズを切り開けたのも、医者である妹との共同作業が可能になったからである。

「ユダヤ人」という概念が、結構大切な局面に出て来る。サラ自身がユダヤ系であり、絵画強奪事件に関与したのがイスラエルの諜報機関である「モサード」である。ユダヤ人に対して反感を持つ老女、ドロシー、かれはナジブの隣人なのであるが、

「ユダヤ人は見ただけで分かる。」

と豪語し、自分の家の庭に立っていて、強奪事件に関与した人物がユダヤ人であると見抜く。この辺り、自分もそう思っているだけに、共感を持ってしまった。この作品が日本に紹介されたとき、この辺りの読者の理解が得られるか、興味のあるところである。

正直、四百ページを超える本は長かった。途中で何度も投げ出しそうになった。女性には共感を得られることのできる小説かも知れないが、男性の私にはちょっと退屈な作品だった。

 

20188月)

アンネ・ホルトページ