アーネスト・ヘミングウェー 

Ernest Hemingway

 

 

陽はまた昇る」

原題:The Sun Also Rises

ドイツ語題:Fiesta (祭)

1926

 

闘牛の始まる前、街に放たれた牛と一緒に走る男達。

 

<はじめに>

 

 若い頃読んで感動した作品を今読んでみたらどう感じるか、また日本語で読んで面白かった本をドイツ語で読んだらどうなるか、そんな実験をしてみた。「青春時代の懐かしの名作」シリーズ、第一弾。 

 

 

<ストーリー>

 

物語は私、ジェイク・バーンズによって語られる。ジェイクはパリに住むジャーナリストである。彼はパリで作家などの自由業の友人たちと、奔放な日々を送っていた。彼の趣味は「闘牛」、スペインから取り寄せた「闘牛新聞」を読み、休暇にスペインで闘牛を見ることを楽しみにしていた。彼は第一次世界大戦中、イタリアで戦い、負傷して「子供の出来ない身体」なっていた。

ジェイクのテニス友達の一人にアメリカ人の作家、ロバート・コーンがいた。ロバートはユダヤ人、大学でボクシングをやり、一度結婚、離婚を経験した後、現在は「次の作品の構想を練る」という口実で、パトロンの女性、フランシスに庇護され、パリでの生活を送っていた。

ジェイクとその友人たちは、毎晩のようにパリの街に繰り出し、戦争中の生活を忘れようとするかのように、酒を飲み踊っていた。ジェイクはある日、ジョゼットという若い女性と知り合い、彼女と食事をする。彼等はそこでいつもの飲み友達と会い、彼等は一緒に踊りに行く。そこにブレット・アシュレーが取り巻きを連れて現れる。それを見たジェイクは、自分が誘ったジョゼットや友人たちを残してそこを立ち去る。

ブレットは、三十四歳、ジェイクとその友人たちの「アイドル」、「女神」とも言える存在であった。英国人のブレットは、これまで二度離婚し、過去の夫が英国貴族であったために、貴族の称号を冠して「レディ・アシュレー」と呼ばれていた。ジェイクとブレットは、彼女が従軍看護婦をしているときにイタリアで知り合っていた。彼女は、現在、スコットランド人のマイケル・キャンベルと婚約している。

ジェイクはブレットを愛していた。ブレットも事あるごとにジェイクに相談を持ちかけた。しかし、ブレットに好意を持っているのは、ジェイクだけではなかった。ロバート・コーンも真剣にブレットを愛し始めており、そのために、自分の庇護者であるフランシスの下を去ることを考えていた。またギリシア人の大金持ちミピポロウス伯爵も彼女に熱を上げ、惜しみなく金と時間を使っていた。

ブレッドはスペインのサン・セバスティアンで休暇を過ごしていた。ロバートも彼女を追ってスペインに向かった。彼女の休暇が終りパリに戻って来たとき、ジェイクの友人で記者のビル・ゴードンがアメリカからやって来て、パリを訪れていた。また、ブレットの婚約者、マイケルもパリにやって来ることになっていた。ジェイクとビルはスペインのパンプローナで、釣三昧と闘牛見物の休暇を過ごす計画を立てていた。ふたりはブレットとマイケルにも一緒にパンプローナへ来ないかと誘う。

ジェイクとビルはロバートも誘ってスペインに出かける。パンプローナに落ち着いた後、ジェイクとビルは更に山の中へと泊りがけで釣りに出かける。ふたりはロバートも誘うが、ロバートはパンプローナに留まってマイケルとブレットの到着を待ちたいと言う。

ジェイクとビルは楽しい五日間の釣りを終えてパンプローナに戻る。そこではロバートが落ち着かない様子でいた。マイケルとブレットの到着が遅れていたのだ。ロバートにとって、マイクはどうでもよく、とにかくブレットに会いたかったのだが。

明日から祭、「フィエスタ」が始まるという夜、ようやくマイケルとブレットがパンプローナに到着する。集まった皆は、闘牛に使われる牛を見に行く。闘牛に使われるのは去勢牛だ。酔ったマイケルはロバートに、

「おまえはあの金玉を抜き取られた去勢牛みたいなものだ。」

と挑発し、ふたりの間に一触即発の空気が流れるが、ふたりは他のメンバーによって宥められる。

「フィエスタ」が始まる。パンプローナの街は近郷近在ら集まった人々と踊りと音楽で埋め尽くされる。一度は不穏な雰囲気に包まれたジェイクたち一行も、また仲直りをし、スペインの祭を楽しむ。彼等は飲み、かつ食う。街に牛が放たれ、人々はその牛と争って街を走り回る。死者も出るが、そんなこととは関係なく、祭は続く。

いよいよメインイベントの闘牛が始まるというので、闘牛士たちが町にやって来る。その中にペドロ・ロメロという十九歳の闘牛士がいた。彼は、若いながら、ケレン味のないストレートな闘牛で、観客を魅了していた。ロメロをはじめ闘牛士たちは、ジェイクたちと同じホテルに泊まっている。食事の後、ジェイクはブレットをロメロに引き合わせた。ブレットはロメロの美しさの虜になってしまう。その夜、ブレットはロメロとどこかへ消える。

ブレットがロメロと消えたことを知ったロバートは嫉妬に荒れ狂う。彼は、ブレットの行き先を知らないと言ったジェイクを殴り倒す。また、ブレットがロメロと一緒の部屋にいるのを見つけ、ロメロをも殴り、怪我を負わせる。

自責の念と自己嫌悪に襲われたロバートは独りで街を去り、嫉妬に苛まれるマイケルは酒を飲み続ける。そして、闘牛の最終日。ロバートに殴り倒され傷を負ったロメロが闘牛場に立つ。負傷した彼は、牛と戦うことができるのか。ブレットとジェイクが見守る中で、闘牛が始まる・・・

 

舞台となったパンプローナ周辺。スペインと言っても、フランスとの国境だ。

 

<感想など>

 

高校生の頃に読んで、感銘を受けた作品。どんな「感銘」?、それは「酒を飲むこと」に関して。僕はこの本から「酒を飲むことは楽しいこと」ということを学んで、「実行」し始めた。とにかく、登場人物たちは、パリでもスペインでも常に飲んでいる。それが彼等のライフスタイル。肝臓のことや身体のことなんて全く考えていない。僕自身が酒飲みになったのはこの小説のせいだと、責任転嫁をしておこう。

パリの風物、スペインの風物が巧みに織り込まれている。特に、スペインの祭り、闘牛の興奮がよく伝わってくる。ジェイクの眼を通した描写が実に即物的で簡潔なだけに、なおさら効果的。文章を書く上でのお手本となるような文体だ。

男と女の友情について考えささせられる本でもある。「昔の恋人同士が本当の友人になれる」と語っている。

 

「女性と素晴らしい友人になることは可能だ。まずその女性に恋をする、そのときに友情の基礎が作られる。ブレットは私の友人だ。彼女が私についてどう思っているのか考えたこともない。私は友人として現在ブレットから何か只で得ているのだ。しかし、それは後で来る請求書を先延ばししているにすぎない。請求書はやって来る。それは日を見るより明らかなことだ。」(167ページ)

 

この引用の後半の「只で得るもの」、「後でやって来る請求書」の解釈は難しいが。

この「昔の恋人同士が本当の友人になれる」ということに共感を覚えた。自分でも、今本当に「良い友達」として付き合っている女性に、昔恋愛感情を抱いていたことが多いのに気付いたからだ。好きだったけど、色々な事情でその女性と一緒になることには至らなかった。しかし、そんな女性と今も「良いお付き合い」をさせていただいていることは確かだ。

確かに、主人公のジェイクとブレットとは固い友情で結ばれているようだ。そして、ジェイク、マイケルなど、ブレットを巡る男性たちには、それぞれ「ブレットの自由と意思を尊重する」というルールが存在する。その「掟破り」がロバートだ。彼はブレットと一緒に休暇を過ごした後、自分を「大勢の友人の中のひとり」として位置づけることができない。その結果、ブレットが他の男といることに耐えられなくなり、暴力に訴える。

ロバートはジェイクと好対照として描かれ、マイケルの口を通じて何度も「女々しい奴」、「あきらめの悪い奴」とこきおろされている。ロバートのやっていること自体、非難されても仕方がないことのだが、彼がユダヤ人であることにひっかかる。「あのユダヤ人めが」という言葉が何度も飛び交うからだ。一九二六年当時、まだナチスによるユダヤ人弾圧は始まっていなかった。ロバートという人物、ナチス登場以降だったら、現在に至るまで登場できないキャラクターであったろう。

最後、ロメロと駆け落ちしたブレットを、ジェイクがマドリッドまで迎えに行くエピソードがこの物語に、暖かい、そしてやるせない余韻を残している。

 

20114月)

 

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