「赤い雄鶏」

原題、ドイツ語題とも:Coq Rouge

1986

 

 

ヤン・グィユー

Jan Guillow

1944年‐)

 

 

<はじめに>

 

一九七〇年代、東西の冷戦を背景にした、「古色蒼然」としたスパイ小説である。出版が一九八六年、そろそろ東西の壁の崩壊が近づいているころなのだが、その気配すら感じられない。ジェームス・ボンドをショーン・コネリーが演じる、初期の頃の「〇〇七」の映画を見ている気がした。

 

<ストーリー>

 

車の中で発見された死体は、至近距離から発射された弾で、右目が撃ち抜かれていた。一目見ただけで、通常の殺人でないことが分かる。殺された男はストックホルム警視庁、治安警察部長であるアレックス・フォルケソン。犯行は朝の七時から八時の間、被害者が出勤しようと家を出た直後であった。犯行に使われた銃は助手席に残っていた。それは、AK-47と呼ばれるソ連軍が使っていた武器で、アラブの武装組織にも、ソ連から大量に供給されていたものであった。ストックホルム警視庁では、特別捜査班が結成される。捜査班は、通常の暴力犯罪課と治安警察の混成部隊である。治安警察の課員は、自分たちの上司の殺人を捜査することになる。捜査班の長になったのはネスルンドであった。

警察の上層部による捜査会議が始まる。治安警察、つまりテロリストを担当する部の長がテロに遭ったことは、直ぐにマスコミに知れ、夕刊に子細に報じられた。警視総監は夕刊を読む。新聞の中には、事件がパレスチナ武装組織「黒い九月」によるものと、断定して報道しているものもあった。ヨーロッパではパレスチナ人武装組織によるテロが多発していたが、スウェーデン人がその標的になったとすると、それは初めてであった。警視総監はその日、テレビ局のインタビューを受けていた。しかし、放映されたものは、長官が犯人をパレスチナ武装組織と断定しているように巧妙に編集されていた。総監は、二度とテレビのインタビューに応じないことを決意する。

 

スウェーデンで警察官の殺人が起こったのと同じ朝、ノルウェーのオスロで、警察官のオラー・ヘステネスは張り込みを続けていた。彼は、向かいのカフェからホテルの入り口を見張っていた。そのホテルでは、明日からイスラエルの代表団が投宿することになっており、アラブ人によるテロを警戒したオスロ警察は、出入りをする人間の監視を続けていたのである、

ヘステネスは、ホテルの前で、緑のジャケットを着た男がタクシーを降りるのを見る。そして、その男が「テロリストとして警戒すべき人間」のリストに載っていることを気づく。ヘステネスは別の場所で見張りをしている同僚にそのことを告げ、本部に増員を要求する。

三時間半後、その男はタクシーに乗ってホテルを出発する。ヘステネスを始め、警官たちは車でそのタクシーを追う。しかし、その男は突然タクシーを降り、人ごみの中に消える。警官たちは彼を見失う。警官たちの失態が上層部に報告され、話が大きくなる。

男は午後になってホテルに戻る。そして、その後ホテルにとどまる。翌朝、男は再び外出する。今回は徒歩である。ヘステネスは男を尾行する。男はパレスチナ支援組織の人間から、ビラを受け取る。男はその後、手芸店に入り造花の花束を買い、デパートに入って行く。人ごみの中、ヘステネスは見失いういまいと、男の数メートル後を歩く。ガラス用品売り場で、ヘステネスと男の目が合う。男はかすかにヘステネスに微笑む。デパートから男はムンク美術館に入り、何人かと言葉を交わしたあと、ホテルの近くの電話ボックスから電話をする。ホテルに戻った男は荷物を持ってタクシーに乗り込み空港に向かう。そして、一六時三十分発のストックホルム行きの飛行機に乗り込む。男が座っていた待合室のテーブルに警官が駆け付けると、新聞の上に

「付き合ってくれてありがとう。メリークリスマス。」

という警官向けのメッセージが書かれていた。

警察官たちは男のいたホテルの部屋を捜索するが、指紋は全て拭い去られていた。警察は、男が一体何のためにオスロに現れたのか、理解に苦しんでいた。その男は、実名で飛行機やホテルを予約していた。その名前はエリク・ポンティであった。

 

同じ朝、カール・ハミルトンはストックホルムの旧市街にある、自分のアパートで目を覚ます。彼は二十九歳。二年前からストックホルム警視庁で働いている。ハミルトンは、六年前、スウェーデン海軍の潜水部隊で働いているとき、週末、上官の一人に連れられ、DAとよばれる男の自宅に呼ばれる。そこで、彼は、秘密警察の特殊工作員、つまりスパイになることを打診される。当時、ハミルトンは左翼、共産主義者であった。上司は、現在の警察には、左翼の思想、行動を理解する人間がいない。そして、左翼思想の持主、それを理解できる人間を、特殊工作員としてリクルートしていると告げる。それを受けたハミルトンは、米国のカリフォルニアへ送られる。五年間、表向きは留学生だが、実際はスパイとして、射撃、格闘技、その他の訓練を受ける。五年後、ハミルトンは特殊工作員の訓練を終了し、スウェーデンに戻る。しかし、その間にスウェーデンの政権が変わり、警察の運営も大きく変化していた。ハミルトンには工作員としての仕事は与えられず、ネスルンドの下で、治安警察の一捜査官として働くことになる。

その日、ハミルトンが警察署に着くと、署内が騒然としている。ハミルトンは、治安警察の長、フォルケソンが暗殺されたことを知る。彼は、秘書に、直ぐに上司のネスルンドのもとに行くように言われる。

ハミルトンが、会議室に入ると、そこには既にネスルンドの他に六人の警察官がいた。半分が治安警察のメンバー、残りが暴力犯罪課のメンバーであり、ハミルトンから見ればいずれもベテランの、ハミルトンから見ると一世代前に属する人々であった。捜査班長はネスルンド、リーダーがフリステッド、それにアペルトフト、ハミルトンが治安警察側から参加していた。彼らがフォルケソン殺人事件の捜査班のメンバーであった。

捜査会議の後、フリステッド、アペルトフト、ハミルトンの三人は、フォルケソンの部屋に入り、机の引き出しを開け、中のものをチェックする。治安警察最大の問題は、機密保持のために、お互いの課で、現在担当している任務の情報を交換していないことであった。捜査班の誰もが、フォルケソンが直前に、何をしていたのか知らなかった。

フォルケソンの手帳の中に、数日前、イスラエル大使館の治安警察の代表者の名前と、「ダレット計画」という言葉が記されていた。また、殺される前日のページに、電話番号が書かれていた。また、「テロリズムの現状」という小冊子が入っていた。

カールは早速イスラエル大使館を訪れる。そして、治安警察部長のシュラミト・ハネグビに会いたいと告げる。ハネグビは予想に反して若い女性であった。ハミルトンは、

「イスラエル大使館は、フォルケソンと一緒に何をしていたのか。」

と彼女に尋ねる。ハネグビは自分には答える権限がないという。しかし、彼女がフォルケソンに警告を発したことは否定しない。そして、「ダレット計画」の「ダレット」とは、ヘブライ語で「D」を意味すると言う。

 警察署に戻ったハミルトンは、上司のネスルンドに、イスラエル大使館での遣り取りについて報告する。ネスルンドは、何故、捜査班にハミルトンを加えたかを説明する。ネスルンドは、古手の刑事の、十年一日の捜査方法に満足していなかった。ネスルンドは、ハミルトンと、ふたりの同僚に、これから射撃訓練に行くように命じる。武器を携行する警官は、定期的に訓練を受けなければいけないという規則があった。ハミルトンは、通常のスウェーデン警察の使用するピストルではなく、自分が米国から持ち帰った、大型のピストルの携行許可を求め、ネスルンドもそれを認める。

 ハミルトン、フリステッド、アペルトフトの三人は車で警察の射撃訓練場に向かう。道中、古参のふたりはネスルンドの悪口を言う。ネスルンドは、マスコミ受けするスタンドプレーで何度か容疑者を挙げたが、その後、裁判の際、証拠不十分で無罪判決が出されたことが何度もあるという。訓練場ではハミルトンが最初に撃つ。彼は全弾を瞬く間に命中させてしまう。そして、最後の薬莢が地面に落ちる前に銃をホルスターにしまう。

「どこで習ったんだ。」

と同僚や教官が驚いて尋ねる。ハミルトンは「ノーコメント」としか答えない。

 署に戻った三人は、暴力犯罪課のリュンダールと会う。リュンダールは、犯行に使われたソ連製の銃についての調査結果を報告する。指紋は発見されなかったという。ハミルトンは、その武器を手早く分解する。そして、銃の内側に刻印されているシリアルナンバーを見つける。

 リュンダールの報告によると、目撃者を名乗る電話があったという。それは、犯行のあった朝、犬を散歩させていた老女であった。また、フォルケソンの手帳に書かれていた電話番号は、ストックホルム市内の手芸用品店のものであるという。

リュンダールは、事件を目撃したという老女の家を訪ねる。彼女は朝七時に家を出て、犬の散歩に出かけた。そして、犯行のあった車から降りてくる男を見たという。男は、外国人のようで、ガッチリとした体格の若い男、緑のジャケットを着て、ジーンズを履いていた。老女は銃声を聞いていないと言った。

 フリステッドは、ソ連大使館に電話をし、KGBの部長と面会の約束をつける。一時間後、フリステッドは大使館に赴き、KGBの部長に、事件の顛末を話し、犯行に使用されたソ連製の銃の追跡を依頼する。しかし、それはソ連側によって拒否される。

ハミルトンは、コンピューターで手芸用品店の関係者を調べる。店の所有者は五十代の女性であるが、彼女には二十代の娘がいた。そして、その娘は、共産主義者で、パレスチナ人支援組織の活動家である、イヴァー・グスタフ・スンドという一緒に住んでいた。娘自身は、警察のデータに登録されていない。ハミルトンが更に調べると、娘とスンドが住んでいるアパートの数階上に、パレスチナ人支援組織の別の活動家が住んでいた。共産主義者であるハミルトンは、これまでパレスチナ人を支援し、ベイルートに訪れたパレスチナ人の代表と会ったこともあった。その自分が、今回、その組織の人間を捕まえる立場に立たねばならない。彼は運命の皮肉を感じる。

 アペルトフトは、妻が心臓を病んでから、いつも早めに家に帰り、家事を引き受けていた。夕食の片付けが終わり、彼はフォルケソンの机の引き出しにあった「テロリズムの現状」という本を開いて、読み始める。そこには、色々なテロリズムの可能性が記されており、フォルケソンは、いくつかの箇所に下線を引いていた。その箇所は「国外から送り込まれたテロリスト」、「国内でのロジスティック(兵站)の構築、それらを見つけ出し潰すことの大切さ」であった。フォルケソンは、スウェーデン国外からの暗殺者を予期し、それを準備するためのスウェーデン国内での組織について探っていたようだった。その小冊子には、イスラエル側のテロ組織と、アラブ側のテロ組織の一覧が挙げてあった。アペルトフトは更に、フォルケソンがかつて内部密通者を利用し、ドイツから送り込まれたテロリストを大量に逮捕したことがあること思い出す。フォルケソンはその功績で、昇進を果たしていた。

翌朝、フリステッド、アペルトフト、ハミルトンの三人は、それぞれの成果について話し合う。「ソ連大使館は全くの非協力」、「フォルケソンは外国からのテロについて何かを知っていた」、「手芸用品店の娘がパレスチナ人支援組織と関係している」、などが発表される。フリステッドは、社会主義国の大使館のパーティーを調べ始める。

その後、ネスルンドを囲んで、正式の捜査会議が始まる。ネスルンドは、前日、緑のジャケットを着た男が、ノルウェーのオスロで目撃されていたことをメンバーに告げる。その男はエリック・ポンティ、スウェーデン国営放送で、ラジオの報道番組を担当するジャーナリストであった。ネスルンドは、フォルケソンを殺害したと思われる男が、やはり、緑のジャケットを着ていたことで、ポンティが犯人であるのではないかと考えていた。しかし、もちろん、それだけでは逮捕状の請求に持ち込めない。また、誰もが、ジャーナリズムを敵に回すことに神経質になっていた。フォルケソンとポンティが知り合いであったことが明らかになる。ロッフェ・ヤンソンという、かつてのフォルケソンの同僚が呼ばれる。彼は、かつてフォルケソンと一緒に、パレスチナ人支援組織を訪れ、そこでポンティと知り合ったと証言する。その後、フォルケソンとポンティは一種の相互協力関係にあったと、ヤンソンは言う。

ネスルンドは、オスロの件についてもっと詳しく知るために、刑事をオスロに派遣することを決める。ハミルトンがその任務を帯びて、オスロに飛ぶ。オスロの空港で、ヘステネスがハミルトンを迎える。ヘステネスはハミルトンを上司のマティアセンに引き合わせる。マティアセンは、ポンティがテロリストとしてブラックリストに載っていたのは、スウェーデン警察からの連絡によるものだと言う。ヘステネスによると、ポンティは緑のジャケットを着ていたが、下はコールテンのズボンであった。スウェーデンの殺人現場で目撃された男は、ジーンズを履いていた。ハミルトンはそこに引っ掛かりを覚える。マティアセンは、ノルウェーにおいて、暴力的な活動をしているのは、ネオナチなど右翼が多く、左翼組織は比較的穏健だとハミルトンに言う。ハミルトンは、ポンティを尾行したのと同じ道を辿るようにヘステネスに頼む。そして、デパートなどで、現場の様子を綿密に調べる。ヘステネスは、ハミルトンは警官として只者ではないと感じ始める。

その夜、ハミルトンはポンティが泊まったのと同じ部屋に泊まる。ホテルはイスラエル関係者で溢れていた。ハミルトンはホテルの部屋から外を見て、警察が張り込んでいれば、窓から簡単に発見できることに気付く。そのとき、ハミルトンは部屋に誰かがいることに気づく。彼は浴室に隠れ、浴室のドアを開けたその男を拳銃で殴って取り押さえる。その男は、ノルウェー警察の刑事であった。ハミルトンがスウェーデン警察の関係者であることの連絡が不徹底で、不審人物として警察が動いたというわけだった。

その頃、フリステッドとリュングダールは、ヘーゲルステンにいた。彼らは、車の中から、パレスチナ人支援組織のメンバーである、四人のスウェーデン人が住むアパートを見張っていた。警察は同時に、四人にスウェーデン人とポンティに対する電話の盗聴を行っていた。新聞は、フォルケソンの暗殺は、パレスチナ人、アラブゲリラの犯行であると断定的な記事を書いていた。

アペルトフトは自宅で、ポンティに関する資料を読んでいた。かつては、ジャーナリズムで働く人間は、左翼思想の者が多かった。一九七五年ごろ、左翼運動が下火になったとき、活動家がジャーナリズムに隠れたからである。ポンティもそのひとりであった。ポンティは、自らパレスチナ人支援組織を立ち上げ、その機密保持の責任者としての役割を担っていた。そして、ジャーナリストになってからも、取材と称して、何度も中東を訪れていた。また、米国の兵役拒否者がスウェーデンに亡命を求めたとき、その人物を第三国に出国させるための、身元保証人になっていた。その他、「黒い九月」によりスウェーデン大使館襲撃未遂事件、ノルウェーリレハンメルにおけるテロ事件でも、スウェーデン国内で兵站を担っていたと思われていた。そして、狩猟用としての武器も所持していた。

「もしポンティが、フォルケソン殺害の犯人なら、一体何のために、その後おおっぴらに実名を使ってオスロへ飛んだのだろうか。」

とアペルトフトは考える。ハミルトンは、深夜オスロのホテルで報告書を書き上げる。

翌朝、ストックホルムに戻ったハミルトンは、フリステッドとアペルトフトにオスロでの様子を報告する。

@    オスロ警察の尾行はアマチュアレベルで、ポンティはかなり早い段階から、尾行されていることに気づいていた。

A    ポンティはそのとき、緑のジャケットを着ていたが、ジーンズは履いていなかった。

B    何故オスロに行ったか、何故警官にメッセージを残したか、動機は不明である。

その後、ネスルンドの招集した捜査会議が始まる。手芸用品店の娘と、彼女と同じアパートに住む四人のパレスチナ人支援組織のメンバーについて、捜査班のメンバーはまだ十分に証拠が集まっていないことから逮捕は無理だと考えるが、ネスルンドは、この四人と、ウプサラのパレスチナ人七人の住居に突入し、逮捕することに固執する。突入は翌朝の未明に予定され、準備が進められる。パレスチナ人支援組織のメンバーのひとり、スンドと、ポンティの電話での会話が盗聴され、その内容が明らかになる。心配するスンドに対して、「ポンティは新聞に載っていることは嘘八百であるから気にするな。」

と言っていた。ポンティは、

「警察は証拠を握っていない。警察が焦って失敗を犯すまで待て。」

と言う。ポンティは、スンドが何らかの行動を起こすことを知っているようであった。ハミルトンは、「警察は証拠を握っていない」と何故ポンティが言い切ったのか、不思議に思う。

フリステッドは一度家に帰った後、フォーマルな服に着替えてルーマニア大使館に向かう。そこでは、建国記念日のパーティーが行われており、在スウェーデンソ連大使館の諜報部長である、ユーリ・チヴァルシェフも出席していた。フリステッドはチヴァルシェフに近づき、自分の身分を明かし、「重要な話がある」と持ちかける。チヴァルシェフは、その日遅くの、時間と場所を指定する。数時間後、フリステッドは指定されたレストランに出向く。そこに、

そこにチヴァルシェフが現れる。フリステッドは、犯行に使われた武器のシリアル番号から、その流れを知りたいと言う。チヴァルシェフは四十八時間以内に、情報を提供することを約束するが、これは「ギヴ・アンド・テイク」であるという。ふたりはフォルケソンの殺害の犯行現場で再会することにして別れる。

  翌朝の四時、ネスルンドの率いる武装警官の一隊が、ストックホルムと、ウプサラのアパートに突入する。ストックホルムでは四人のスウェーデン人の男女が、ウプサラでは七人のパレスチナ人が逮捕される。逮捕されたのは、手芸洋品店の娘であるアンネリーゼ・リュデン、パートナーのニッセ・スンド、別の部屋に住むペトラ・ヘルンベリと、そのパートナーのアンデルシュ・ヘドルンドであった。警察は逮捕から六時間以内に、証拠を提示し、逮捕者の拘留を裁判所に申請しなければならない。逮捕の後、警察の係官が、彼らのアパートで、証拠物件の発見と押収に努めた。リュデンとスンドの部屋からは麻薬と盗品のステレオが見つかり、彼らは麻薬取締法と窃盗罪で拘留が決定、ヘルンベリとヘドルンドの部屋からは、ライフルと銃弾が見つかり、彼らは武器不法所持で拘束されることになる。警察としては、それで時間を稼いで、テロリストとの関係を見つけようというものであった。ハミルトンは発見された銃弾を見る。中国製で古く、既に使い物にならないものだった。

フリステッドとアペルトフトがアンネリーゼ・リュデンの尋問を担当する。

「フォルケソンを知っているか。」

という問いに、リュデンは、

「知らない。何故、自分の母の店の電話番号がフォルケソンの手帳に書いてあったのかも分からない。」

と答える。麻薬と盗品のステレオについて、最初、リュデンは出所を明かすことを拒否するが、最終的に、ズーデルタイエに住むパレスチナ人、アブデルカダー・マシュラフから買ったと話す。アペルトフトとハミルトンはそのマシュラフの住むアパートに向かう。アパートに侵入したハミルトンたちは、マシュラフが武器に手を出そうとする直前に銃を向け、彼を逮捕することに成功する。マシュラフはマグナム銃を保持しており、武器不法所持で拘留される。しかし、ハミルトンは、彼は犯罪者であるが、フォルケソン殺人とは関係ないことを直感し、ここで捜査の糸が切れてしまったことを知る。上司のネドルンドは、ハミルトンが独走して、容疑者を逮捕してしまったことが気に入らない。しかし、ネスルンドは、年配の捜査官よりも、ハミルトンの行動力に期待し始める。

フリステッドは、ソ連の将校、チヴァルシェフと約束した時間に、フォルケソンが殺された現場に向かう。そこに、チヴァルシェフも現れる。チヴァルシェフはフォルケソン殺人に.使われた武器の経路を明かす。その交換条件として、イラン人に対して、金を受け取って不法にスウェーデン滞在のヴィザを発給している、スウェーデン外務省の高級官吏を逮捕することを要求する。フリステッドは交換条件に応じる。武器は、ソ連が一九七三年に、シリア軍に輸出したものであった。チヴァルシェフは引き続き武器の流通経路を調べてみると約束する。

武器不法所持で逮捕された逮捕されたアンデルシュ・ヘドルンドは、犯行に使われた銃に一致する銃弾を所持していた。ヘドルンドは、スウェーデン国内では著名な弁護士を雇い、その弁護士を通じてのみ尋問に応じるという。そして、その弁護士も、やっかいな人物で、直接容疑に関する質問以外は、一切答えない。ヘドルンドを尋問して、パレスチナ人支援組織の全容と、犯行への関係を洗い出そうとした警察のもくろみは失敗に終わる。

翌朝出勤したフリステッドは、武器の出所と、ソ連側が要求してきた対価について伝える。ハミルトンは、武器はおそらくシリア軍から横流しされたものであろうし、その情報から何も得るものはないと判断する。武器の出所、窃盗で逮捕したパレスチナ人、リーダー格のヘドルンドから何も得られないということが分かり、フリステッドとアペルトフトは、ペトラ・ヘルンベリを尋問することにする。彼女の持ち物の中から、銃弾が見つかり、武器の不法所持で逮捕されていた。ヘルンベリはかつて、ベイルートのパレスチナ難民キャンプで、ボランティアの看護師として働いていた。そして銃弾は、スウェーデンに帰る際、首飾りを作ろうと持ち帰ったと主張する。しかし、彼女は殺人事件との関係は否認する。フリステッドとアペルトフトは他の三人からも証言を得ようとするが、リュデンは憔悴し、スンドは混乱し、ヘドルンドは弁護士のガードが固く、何の証言も得られない。

ハミルトンは四人のスウェーデン人の住んでいるアパートを見る。彼はそこにある本に注目する。かつて同じように共産主義者であったハミルトンには、本を見ると、その人物の傾倒する事項や人物が分かるのだった。彼はヘドルンドが大量のドイツ語の本を持っているのに注目する。ハミルトンは、ヘドルンドがテロリストのシンパであることを確信する。

フリステッドは、帰り道、夕刊を買う。新聞記事には、犯行がアラブ人のテロであること、逮捕された者の中に犯人がいるということが、断定的に書かれていた。その頃、アペルトフトは、ヘドルンドから押収した手紙類を読んでいた。ドイツ語が多く、彼はその解読に苦労していた。アペルトフトは、ヘドルンドが手紙を遣り取りしていた人物のリストを作る。殆どがドイツ人であった。

ハミルトンは、ポンティについての資料を読んでいた。そして、ハミルトンにとって、ポンティは自分より一世代前の共産主義者であることを知る。ポンティは中東の重要人物に取材を敢行し、アラファトを含め、多くのアラブ側の指導者と会っていた。捜査が行き詰ってしまったと感じたハミルトンは、意を決して外に出る。彼は途中で何度も地下鉄を乗り換えた後、一見の家のドアベルを押す。ドアが開き、老人が顔を出した。老人は、ハミルトンの過去を知っていた。ハミルトンは、捜査の概要を話、特にポンティのオスロ訪問と、スンドとポンティの電話会話について老人の見解を聞く。ネスルンドが、何とか理由をつけて、ポンティを逮捕しようとしていることを聞いた、老人は一計を案じる。

「ポンティに会って、どうしてオスロに行ったのか、直接聞いてみろ。」

というのが老人のアイデアであった。そのアイデアはハミルトンにとって意外なものであったが、彼は承諾する。ポンティと会えたら、その内容を報告することを約束して、老人の下を去る。老人は、三十年間警察で働いていた。彼はスウェーデン国内で、外国の人間がやりたい放題やっていることを危惧していた。また、これまでの警察の能力には見切りをつけ、新しい世代に期待していた。ハミルトンは、彼にとって、希望の星であった。同時に、老人はハミルトンの存在が公になることを怖れていた。

翌日、ハミルトンはアペルトフトの作ったリストの人物を、コンピューターで調べてみる。西ドイツのテロリストとして見なされている人物が、リストの中には多数存在した。ハミルトンは公衆電話からテレビ局へ電話をし、ポンティを呼び出す。そして、

「あんたがオスロに行って一泊した件で話したい。」

と切り出す。

「俺は今尾行されている。今晩十一時四十五分に中央駅から出る、ヴェリングビュー行きの地下鉄に乗ってくれ。」

そう言って、ポンティは電話を切る。

警察の捜査官は、アペルトフトの作ったリストをヘドルンドに見せ、その人物たちとの関係を説明するように求める。しかし、またもや弁護士が、

「本来の武器不法所持容疑とは関係がないので、答える必要はない。」

そう言って、尋問を中断してしまう。捜査官たちに、このままでは拘留期限の延長は無理ではないかという焦りが生まれる。ハミルトンは、もし、逮捕者に事件と関係のある人物がいるとすれば、それはヘドルンドしかないと考える。彼はコンピューターで、ウプサラで逮捕された七人のパレスチナ人について調べる。彼らはかつて、全員が武装組織に属しており、同じ学生寮に住み、頻繁にスンドに電話をしていた。逮捕されたスウェーデン人とパレスチナ人は、互いにコンタクトを取っていたのである。

ハミルトンは、深夜、中央駅から地下鉄に乗る。隣の車両にはポンティが乗っていた。ハミルトンはポンティと一緒の駅で降りる。そこの駅で降りた乗客はふたりの他になかった。ふたりは階段を上がり、深夜の公園を歩きだす・

「どうして、あんたはオスロへ飛んだんだ。」

とハミルトンはポンティに尋ねる。ポンティは、アフガニスタンのルポルタージュの企画をノルウェーのテレビ局に売り込むためだと答える。ポンティは、オスロに着いた日、ホテルでノルウェーのテレビ局の人間と会い、交渉をしていたと言う。

「どうして、ノルウェーの警察にメッセージを残したんだ。」

というハミルトンの問いには、

「自分が泊まっているホテルにイスラエルの代表団が泊まることを知り、自分がテロリストと間違われていることを知った。そうでないことを示したかっただけだ。」

とポンティは答える。

「どうして、俺と会う気になったのだ。」

とポンティは尋ねる。ハミルトンは、ポンティの線をクリアにして、他の線に集中したいからだと答える。

「フォルケソンを殺した犯人に心当たりがあるか。」

とハミルトンが聞くと、ポンティは「ない」と答える。しかし、中近東と関係のあることは容易に想像できるという。ただし、パレスチナ人による犯行である可能性は低いという。ポンティは、フォルケソンとは取材で知り合ってから、二十年近く、互いに情報交換をしていたという。ハミルトンとポンティは、同じ左翼、共産主義者として、これまでの活動を振り返る。六十年代に活動していた左翼の人間は、その後、左翼活動が下火になると、多くがジャーナリズムに転身していた。

フォルケソンの殺害が、パレスチナ人の犯行でないことを明確にするのに一番良い方法として、ポンティはパレスチナ解放戦線の情報組織にコンタクトすることを提案する。そのトップのアブ・アルホウルに聞いてみればよいという。そして、そのために、自分の知り合いで、ベイルートの難民キャンプで働くスウェーデン人の医師を紹介するという。ポンティは医師に紹介状を書き、ハミルトンに送ることを約束する。

翌朝、ハミルトンが出勤すると、西ドイツの治安警察から大量のテレックスが入っていた。ハミルトンが提供したヘドルンドのコンタクトリストから、多くのテロリストの行方が明らかになり、西ドイツの警察は、その逮捕に成功したという。また、オスロ警察のヘステネスから、ポンティがハミルトンに語った足取りは正しいことが伝えられる。ポンティが犯人である線は完全に消えた、残るは、ハミルトンの持ってきた、パレスチナ治安警察と話をするという線だけである。折しも、ネスルンドは海外出張で留守であった。フリステッドは、「ハミルトンがドイツ人の医師に会う」という口実を作れば、ドイツと関係があることは何でもオーケーするネスルンドを説得できるという。ハミルトンはベイルートに向かうことが決まる。

ハミルトンはストックホルムからアテネ経由でベイルートに向かった。西ドイツでは大量のテロリストが逮捕されたが、スウェーデンでは、ほとんど何も進展がなかった。ポケットの中には、ポンティがスウェーデン人の医師宛に書いた、紹介状が入っていた。ハミルトンは、ビジネスマンという身分で出国し、武器を携行していなかった。彼は、出発前、かつてベイルートの難民キャンプで看護して働いていたペトラ・ヘルンベリから、難民キャンプと、その医療施設に関する情報を仕入れていた。

ベイルートに着いたハミルトンは、タクシーでスウェーデン大使館に向かう。街は内戦の傷跡が生々しく残り、タクシーは武装した男たちにより何度も検問された。ハミルトンは、スウェーデン大使館に入る。館員の一人が応対するが、極めて非協力的であった。館員は、スウェーデン人の医師の居所は把握していないので、自分で探せとハミルトンに言う。

ハミルトンはホテルからタクシーで難民キャンプへ向かう。病院の中に入り、

「ドクター・グナー・ベリストレームを探している。」

と職員に言う。現れた医師に対して、ハミルトンはポンティからの紹介状を見せ、手を貸して欲しいと頼む。ふたりは、数時間後に、街のカフェで会うことにする。夕方になり、カフェに現れた医師に対して、ハミルトンは事情を説明。パレスチナ人組織が犯行と関係のないことが分かるだけでよいと、訪問の目的を告げる。そして、医師にはパレスチナ解放戦線の情報部ラザートの接点になって欲しいと頼む。ハミルトンが、アブ・アルホウルに会いたいと言うと、それを聞いた医師は驚愕する。そして、

「そのような人物がいるかどうか、それも疑わしい。」

と述べる。ともかく、医師はラザートにコンタクトすることを約束する。

ハミルトンがホテルに帰ると、部屋のドアを開けた痕跡があった。彼が中に入ると、ピストルを突き付けられる。部屋の中にはミケルと名乗る男と、モウナと名乗る若い女性がいた。彼らはパレスチナ情報部ラザートの人間であった。

「パレスチナ人がフォルケソン殺害の犯人でないことを証明したいだけだ。それを証明しないと、逮捕されたパレスチナ人が犯人にされてしまうだろう。」

とハミルトンはふたりに訴える。そして、

「証言に真実味を与えるためには、トップのアブ・アルホウルに会うのが一番だ。」

と言う。ふたりは、それには、障害が多く、ハミルトンが殺される可能性もあると警告する。最終的に、ふたりはハミルトンに目隠しをして車に乗せ、彼を郊外の建物へと連れて行く。

建物の中で、ハミルトンは裸になるように言われ、医者と思われる男に、肛門の中まで調べられる。そして、衣服と所持品を取られ、米軍の軍服を与えられる。ミケルは数日待てとハミルトンに言う。

「私が行方不明、大使館やホテルが騒ぎ出す。」

というハミルトンに対し、大使館には電話を入れ、ホテルはチェックアウトを済ませたとミケルは言う。

「アブ・アルホウルが何処にいるかを、まず調べなければならない。」

と、ミケルは言う。ハミルトンは、長期戦を覚悟して、じっくりと待つことにする。

スウェーデンでは、フリステッドが、七人のパレスチナ人の背景を追っていた。七人とも本国に戻ると迫害が待っていると、政治亡命を申請していた。パレスチナ人は互いに連絡を取り合っていたが、四人のスウェーデン人との関係は証明できなかった。フリステッドはハミルトンの連絡と、彼の成果を心待ちにしていた。その頃、出張中のネスルンドは、ドイツを訪れたが、今回スウェーデンからの情報で、ドイツのテロリストを大量に捕獲できたの、彼は鼻高々であった。彼は、その後、パリで行われる、欧州各国の治安警察の情報交換のための会議に出席する。その会議には、英独仏等の他に、イスラエルの関係者も出席していた。

ハミルトンが拘束されてから二十八時間後、武装した男たちを連れてミケルが現れ、彼は再び目隠しをされて、外に連れ出され、車に乗せられる。着いたところは、建設中の建物の一室であった。そこで、ハミルトンは、伝説の人物、パレスチナ諜報部の長、アブ・アルホウルと会う。

「我々の敵のひとつが、ベイルートで我々の重要人物を暗殺しようと計画を立てている。その実行はスウェーデンで準備されている。あんたは知っているか。」

とアルホウルはハミルトンに尋ねる。ハミルトンは知らないと言う。

「それでは、あんたが、その計画と無関係であることを証明しろ。」

とアルホウルは言う。考えたハミルトンは、身をひるがえし、同席する男の銃を奪い、その先をアルホウルに向ける。アルホウルは、顔色一つ変えず、眉一つ動かさない。

「もし、俺があんたの敵なら、ここであんたを殺している。それをしないのは、おれが暗殺計画と無関係である証拠だ。」

とハミルトンは言う。アルホウルは微笑みを浮かべる。

「分かった。その銃には弾が入っていない。」

ハミルトンが、銃のカートリッジを抜くと確かにその中は空だった。

 アルホウルは、自分たちの組織は、スウェーデンでの警察幹部の暗殺事件とは無関係であるという。そして、その真犯人が誰であるか、おおよそ見当が付くという。アブ・アルホウルが暗殺者として挙げた名前、それはハミルトンにとって、実に意外なものであった・・・・

 

<感想など>

 

 最初に「古色蒼然」、「初期の頃の〇〇七のよう」と書いたが、「あんな時代もあったのね」と、今では過去になってしまった時代に思いを馳せた。東西冷戦、イスラエルの建国後のパレスチナ人問題、パレスチナ人武装組織(当時はアラブゲリラと呼ばれていたが)とその支援組織の存在、ソビエト連邦それ。今ではもう死語となりつつある「共産主義」や「左翼思想」という言葉がまだ現実味を持っていた時代。しかし、驚くのは、この小説が書かれたのが、一九八六年と、かなり遅い時期であることだ。三年後の一九八九年にはベルリンの壁が崩壊、五年後の一九九一年にはソ連が崩壊している。しかし、この小説は、そんなことは予期せぬかのように、一九六〇年代、一九七〇年代「東西冷戦」、「米国とソ連の軋轢」の世界が背景として描かれている。おそらく、作者のギィユー自信が、左翼思想の持ち主であるが故に、そのような時代の流れを認めることを拒否しようとしたからではないだろうか。

 ヤン・ギィユーはこの小説に登場するエリク・ポンティと同じように左翼思想を持ったジャーナリストである。彼は国家権力と徹底的に戦う姿勢を貫いた。例えば、彼は、同僚記者と一緒に、一九七三年に、『インフォメーションズビューレン』(Informationsbyrån:情報局または略して IB)と呼ばれるスウェーデンの秘密情報機関を暴く記事を雑誌に掲載した。しかも、その組織の人物の実名を写真入りで「スパイ達」として公開した。国家権力がそんなことを見過ごすはずはなく、ギィユーと同僚の記者は「スパイ罪」で訴えられ、有罪判決を受け、服役する。思想的には、筋金入りの人物なのである。

 しかし、余りにも思想的に「筋金入り」の人が小説を書くのもどうかと思った。つまり、自分の思想に沿った説明の部分に、どうしても力が入り過ぎてしまうからである。この小説、米国で特殊工作員、つまりスパイとしての訓練を受けたハミルトンの物語である。つまり、ジャンルとしては「スパイ小説」なのである。米国の後押しによるイスラエル建国によって、多数のパレスチナ人難民が生まれた、パレスチナ人を、ソ連を含む東側の国が支援していたというのが背景。つまり、作者としては、パレスチナ人に同情的な立場に居たわけである。その政治的背景を説明する記述が実に長いのである。

「スパイ小説、アクション小説なんでしょ?そこまで掘り下げなくても・・・」

と何度も思ってしまった。そして、その政治的な記述が、この小説を、長いと同時に、大変読みにくいものにしている。正直、このストーリー展開で、ドイツ語訳だが、四百ページ越えというのはちょっと長過ぎる。

ギィユーの小説はどれも長い。歴史小説も書いているので、それもと思って買ってみたのだが、一冊で何と八百ページである。(Brobyggarna、仲介者」2011) これは、ちょっと手を出す気になれない。

 最初は、読むのに非常に忍耐の必要な本だと思った。ハミルトンがベイルートに旅立つ辺りから、どうやらテンポが出始め、後半四分の一くらいは、リズミカルに読めた。最近の犯罪小説は、スウェーデンのみならず、章立ての短い、速い展開のものが多くなっており、読者にとっては読み易いものになってきている。この小説は、それ以前、読者がもっと辛抱強かった時代に属するものであろう。

 この本は「赤い雄鶏、ハミルトン・シリーズ」の第一作である。人気が出て、この後、全部で十三作が作られることになる。そして、このシリーズがギィユーの作家としての地位を不動のものにする。一九八八年には、三作目で、「スウェーデン犯罪小説作家アカデミー賞」を受ける。映画化もされた。

「赤い雄鶏」とは、ハミルトンが共産主義者であるところか来ている。彼は学生時代、「クラルテ」という社会主義者学生組織に所属(共産主義と社会主義は何処に線を引くのか知らないが)、その後も何度か中東を訪れ、パレスチナ人を支援する活動に加わっていた。その後、兵役中に、「共産主義者である」という理由で選抜され、米国のカリフォルニアで「特殊工作員」としての訓練を五年に渡って受けたということになっている。彼が選抜されたという理由が振るっている。

「共産主義者と戦うには、共産主義者の物の考え方のできる人間が必要。」

確かにその通り。「共産主義者のスパイ」というのが、このシリーズのユニークさであり、人気の源でもある。

元々、「赤い雄鶏」というのはフランス産の赤ワインの銘柄であるとのこと。あるイスラエルの高官がが、ハミルトンの上司、ネスルンドとワインを飲みながら話している際、ハミルトンが共産主義者であることを知った。

「じゃあ、『赤い雄鶏』と呼べば?」

とそのイスラエル人が言い、それがハミルトンのあだ名と、このシリーズの名前になった。(ドイツ語訳320ページ)

 歴史的な価値のある小説であるが、今読んでみると、余り面白いものではない。それにつけても、同じ共産主義者であり、しかも十年以上前に作品を発表し、今も色あせない、シューヴァル/ヴァールーの偉大さが分かる。

 

20195月)

 

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