春の嵐

その夜、母の隣には父がいた。

 

銀行と裁判所での仕事が終わり少しホッとする。やれやれ思い家に戻る。そのとたん、姉から電話が入る。

「モトヒロちゃん、悪いけど、もう一回区役所へ行ってくれへん?」

姉に渡した父と継母の住民票の取り直しを依頼される。父の住民票には死亡したことを示す「除票」が必要で、母の住民票には「住民票コード」が必要とのこと。

「は〜い。」

また自転車で北区役所へダッシュをする。区役所は黒いリクルートスーツを着た若者でいっぱい。その日は新年度の最初の日。彼等はきっと転入してきた新入社員なんだ。待合室のテレビではまだ高校野球をやっている。新たに取った住民票持って郵便局行き、姉に送る。

 帰り道、父が昨年倒れるまで通っていた「デイサービス・センター」に立ち寄る。マネージャーに会い、世話になったお礼を言い、父が仲良くしてもらっていた人々に、父が死んだ旨伝えてくれるように頼む。これで、挨拶回りもほぼ終わった。

翌日は激しい雨だった。買い物の帰り道、地下鉄を降りて歩いている途中激しい吹き降りとなり、鴨川を歩いて渡ったみたいに下半身がずぶ濡れになった。

その日は継母と一緒に夕食を取ることになっていた。葬儀の後のバタバタもやっと一段落したので、ちょっとした「ご苦労さん会」をやろうということになっていたのだ。場所は、父が好んで行っていた、平野神社前の和風レストラン。激しい雨は夕方までに止んだが、強風が吹き荒れ、看板や植木があちこちで倒れていた。

強風を避けながら、ふたりバスを待っていると、ふたりの外国人のお姉ちゃんがバスを降りてきた。ひとりが「迷わず」僕の所に来て、英語で道を聞いてくる。僕は教えてあげる。でも不思議。

「彼女、どうして僕が英語喋れるって分かったんやろ。」

「あんたにはそんなオーラがあるねん。」

継母が言った。

僕が京都に帰ると、父は決まって、この平野神社の向かいの店に連れてきてくれた。父は殆ど歩けなくなっても、タクシーから降りて杖にすがるようになっても、この店に来た。その度に驚いたことは、僕と同じ料理を頼み、同じ量をペロリと食べていたことだ。

「その食欲があったからこそ、もうあかんと言われながら、あれだけ長く頑張れたんやろね。」

と継母と言い合った

 その夜、食事をしながら、父と母の馴れ初めについて話を継母から聞いた。父が再婚した当時、僕は大学生で金沢に住んでいた。だから、ふたりがどうして知り合ったとか、詳しいことは知らないのだ。なかなか面白い話だった。その日、僕達の前には、もう一セット料理が並んでいて、それを食べている父がいた。