涅槃西風

父の亡骸の前に集合した親族の中で、生まれて半年の姪の娘が愛嬌を振りまいている。

 

「涅槃西風(ねはんにし)夫(つま)のもとへとひた走る」(弘子)

 

僕とワタルが到着して間もなく、義兄、甥のヨウ、姪のカサネと夫のタダシ、彼らの娘で父の唯一の曾孫のカオンが次々と到着した。狭い部屋は満員。家で作る祭壇の件で葬儀社と打ち合わせを終えた継母も戻る。余りにも人数が多く、足の踏み場もなくなってきたので、若い連中には先に帰ってもらう。

継母から父の亡くなった夜のことを聞く。零時過ぎに、父の呼吸が止まっているとの連絡を受け、継母とFさんは大急ぎで病院へ向かった。幸い、母の実家は病院まで歩いて十分もかからない。ふたりが病院に着くと、父はまた自主呼吸を始めていた。それで母はFさんに送られて一度家に戻った。その後午前三時半、再び病院からの電話。母は臨終に立ち会えたが、Fさんがタクシーで駆けつけたときに、父はもうこと切れていたという。

父の亡くなる前日の夕方、いつものように母が病室を出るとき、父の手を握った。そのとき、父はその日に限り、長い間母の顔を見ていたそうだ。父なりに何かを感じていたのかも知れない。そう言えば、父は見舞いに来た人間が帰るとき、必ず握手をした。

 

「また明日と 握手に終わる 冬の暮れ」(弘子)

 

通夜と告別式の段取りを従兄弟のFさんと、姉と継母とで決める。通夜と告別式が一日ずつ遅れたのは、お寺の住職の都合で、土曜日はどうしても和尚の都合が悪かったからだという。

しかし、決めなくてはいけないことが多いことに驚く。伊丹十三の映画に「お葬式」というのがあった。義理の父親の葬式を自分の家で挙げようとする男の話。文句ばかり言うおっさんは出てくるし、妻に隠していた愛人が弔問に現れるし、香典が強風で舞い散るし、しっちゃかめっちゃかなお葬式のコメディーである。

海外に住んでいて、日本で葬式に参列した経験のない僕は、その「お葬式」の映画の主人公と同じくらいか、それ以下しか「葬式はどうあるべきか」という知識がない。つまり、予備知識ゼロ。父の遺志でふたつは決まっていた。葬儀は「家族葬」つまり家族と親戚だけの参加で行うこと。また香典はどなた様からもご辞退すること。

父の兄弟姉妹は皆先に亡くなっているので、一応継母が「喪主」であるが、段取りは父の甥に当たるFさん、姉、僕という第二世代が行うわけだ。例えば、焼香の順番ひとつとっても、結構厳密なルールがあるらしい。Fさんが「冠婚葬祭事典」と首っ引きで順番を決め、僕がそれを紙に書き写していく。花、提灯、お供養の品物や数、食事の手配、火葬場へのタクシーの配車等々。決めなくてはいけないことって本当に多い。

僕は「初七日」というのは死んで七日目にやると信じていたが、火葬場から帰ってからすぐに「繰上げ初七日」というのをやってしまうという。知らないことばかりだ。

 

(注:「涅槃西風」(ねはんにし)とは、冬の季節風のなごりで春の彼岸の前後に吹く風だそうです。)