落ち着かない毎日

 

ロンドンでは一足早く桜が咲いた。

 

 明るい知らせを待ちながら毎日を過ごすのは楽しみなものである。しかし、暗い知らせを待ちながら毎日を過ごすのは、何とも落ち着かないものだ。

二月の末、父の主治医と会った姉からメールが来た。

「弟さんは何時英国から帰ってくるの。」

と主治医が姉に聞き、

「四月です。」

と答えると、

「それまでお父さんは持たないでしょう。」

と言われたというのだ。姉の言うように、僕は四月に父の見舞いにまた日本へ戻る計画を立てていた。

昨年の後半、奇跡的に持ち直した父の容態は、今年に入ってから悪化してきていた。肺炎による発熱が続き、熱が上がると意識が朦朧となる。しかし、それまで熱を下げるために使っていた抗生物質が、もう効かなくなってきているという。二月に入り、父は継母や姉の話しかけにもほとんど反応を示さなくなっていた。

姉からメールを受け取ったとき、僕は直ぐに日本へ帰ろうかどうか、非常に迷った。

「今すぐ日本に戻れば?」

と妻も勧めてくれる。しかし、僕は父の死まで日本行きを待ち、父の葬儀のために日本に帰ることにした。その日は、早ければ数日後、遅くても数週間後にやってくるだろう。その旨を上司や同僚にも告げた。

三月の第一週、妻と僕はカナリア諸島で休暇を過ごすことになっていた。それもキャンセルする。もし、その間に何々かあっても、カナリア諸島からでは、そう簡単に戻って来られないもの。

 僕は毎日昼休みに、会社の近くの運河沿いを散歩している。いつも同じ時間に同じ場所を歩くと、同じ人物に出会うから面白い。ぼくは近くの会社で働くスティーブと友達になった。彼のお父さんも、高齢で健康を害しておられ、最期が近いとのこと。

Any news about your dad?(お父さんのことで何か知らせがあったかい?)」

がふたりの挨拶になった。

「悪い知らせを待って生きているのは何とも落ち着かない気分だね。」

ふたりでそう言い合った。

僕のそんな気分とは全然関係なく、季節はどんどんと春へ向かっていく。まずクロッカスが野原に彩を沿え、その後水仙が野原や公園を覆い尽くした。毎年のことながら清冽な風景だ。

妙に非現実的な毎日だった。常に目の前に霧のかかっているような、歩いていても、自分は止まっていて、周りの風景だけが後ろに流れていくようなそんな気分だった。