「死にたくなかった猫」

2000

ドイツ語題:Die Katze, die nicht stereben wollte

原題:Katten som inte dog 「猫は死なず」

 

  

 

<はじめに>

 

「鶴の恩返し」ならぬ「猫の恩返し」の話。作者のインゲル・フリマンソンは、一九四四年、スウェーデンはバルト海に浮かぶゴットランドの生まれの女性。三十年間ジャーナリストとして働いた後、ミステリーを書き始めたというから、かなり遅咲きの人である。一九九二年より小説に転じ、一九九八年に発表された「おやすみ、愛しい人」(God natt min älskade)はその年のスウェーデン推理小説賞を受賞した。ドイツ語では十冊以上の翻訳が出ているが、英語での翻訳はわずかに三冊。英語圏ではまだまだマイナーは人である。

 

<ストーリー>

 

 一人の若者が猫を探して田舎道を歩いている。彼はその猫を四年前にホルガーからもらった。その猫は子供を産み、その子猫と共に彼の家から姿を消したのである。

 彼は幼いときから母親と二人で暮らしていた。その母が数年前に突然亡くなり、彼は独りきりになった。彼は、近くの農夫、ホルガーの家に住み込む若い女性、カーリナと関係を持ち始める。

母親の面影を追い求める若者は、母親が子供の頃住んでいた家に足を向けるようになる。森の中のその家は、既に人手に渡り、今では夏の間だけの別荘として、都会から来た夫婦が利用していた。彼は、隠れてその夫婦を観察するようになる。それだけではなく、彼は夫婦の留守中に、家の中に入り込むようになる。ある日、門の所でその家の中を窺っていた彼は、何者かに殴り倒され、絶命する。

 普段はヘセルビーという町に住んでいるベス・スヴェルドだが、夏の間はパートナーのウルフと一緒に、両親から譲り受けた森の中の別荘で休暇を過ごすのが習慣になっていた。その夏も、そこで彼等はその別荘で過ごしていた。ベスの別荘には、数日前から、母猫が子猫を連れて姿を現すようになっていた。

ある日、外出から戻ったベスは、家の中に誰かが侵入した気配、家の中の何か変わっているという気配を感じる。ウルフにそのことを伝えるが、ウルフはベスの思い過ごしだと言い取り合わない。事実何も盗まれた物はなかった。ベスは誰かに見張られているような不安を感じ始める。

 ベスにはユニという双子の姉妹がいた。ジャーナリストをしているユニは、十年前に同じジャーナリストのウルフをベスに紹介する。四十歳で学校の教師をしているベスは、十年間ウルフと一緒に暮らしていた。途中で一度妊娠するが、流産に終わり、その後、ふたりの間に子供はない。最近になり、ウルフが別れた先妻とよりを戻し始め、ベスとウルフの間はギクシャクしたものになってきていた。ベスの母親は認知症になり、父親が面倒を見ていた。

 休暇のある夜、けんかをしたふたりは痛飲をする。二日酔いのふたりは、翌日ベスの両親を訪れる。母親の認知症は進み、自分の娘さえ認識することができなくなっていた。父親は看病に疲れ果てている様子だった。帰り際、ベスの父親は、近所の刑務所から囚人が二人脱獄したニュースを伝え、くれぐれも気をつけるようにベスとウルフに言う。

 両親の家から別荘に戻ったベスは、また誰かが家に侵入した気配を感じる。不安になった彼女は、物置小屋から薪を割る斧を持ち出し、家の外に出る。ベスは垣根のところに立っている若い男を見つける。その男がベスの方を見たとき、恐怖に駆られたベスは斧を男の頭に振り下ろす。ベスもウルフもその時は、男が刑務所を脱獄した囚人であると疑わなかった。

 休暇に来る際、ふたりとも携帯電話を家に忘れてきていた。また別荘には電話がなかった。翌朝、ふたりは警察に向かう。車の調子が悪く立ち寄ったガソリンスタンドで、ふたりは、脱獄した二人の囚人が捕らえられ、刑務所に連れ戻されたことを知る。

「私の殺した男は、刑務所から脱獄した凶悪犯ではなかった。」

ふたりは、警察へは向かわず、そのまま別荘に戻る。目撃者が誰もいなことを幸い、ふたりは男の死体を埋め、事件を闇から闇へと葬り去ろうとする。その夏は特に雨の少ない夏で、地面は乾燥しきっていた。ふたりは硬い地面に苦労して男の身体が入るだけの穴を掘り、死体を埋め、上から木の枝や枯葉をかけてカムフラージュをする。その様子を例の灰色の猫が見ていた。

 ふたりが死体を埋め終わって別荘に帰ると、訪問者があった。双子の姉妹のユニとその夫のヴェルナーであった。彼等は、自分達の休暇を前に、一晩ベスのところへ泊まりに来たということだった。ベスとウルフが携帯を忘れてきたため、事前に伝わらず、ふたりにとっては突然の訪問になったのである。

 ユニとヴェルナーは犬を連れていた。ベスは、彼等の犬が死体のある場所を嗅ぎつけ、そこを掘り返し始めるのではないかと気が気ではない。翌朝、散歩の途中、死体を埋めた場所を掘り始めた犬をベスは蹴飛ばして、怒ったユニと取っ組み合いのけんかになる。

 ユニとヴェルナーが帰った後、一刻も早く別荘を離れたいベスとウルフは、予定を早めて、ヘセルビーの自宅に戻る。ふたりは隣人の未亡人に留守の間の世話を頼んでいた。隣人はふたりが留守の間に、どこからとも猫が現れ、居つくようになったという。ベスはその猫が別荘に現れた猫と似ているので愕然とする。

その夜から、ベスは突然警察官の訪問を受けるという幻覚と悪夢に悩み始める。ベスとウルフの間で、「あの話」をすることはタブーとなる。ウルフはだんだんと愛想がなくなり、無口になっていき、ベスは孤独感を覚え始める。

 休暇が終り、ウルフもベスも働き始める。しかし、ベスは仕事に身が入らない。歯痛に悩むベスはある日、同僚の紹介で歯科医を訪れる。麻酔をかけられたベスの前で、その歯科医の顔が、突然彼女が殺した男の顔に変わった。彼女は気を失い、病院に運ばれる。

 新学期が始まっても、ベスは仕事に身が入らず、生徒の名前が覚えられず、授業中に何度も気分が悪くなる。同僚達は、彼女がアルコール中毒ではないかと疑い始める。ある日、生徒のした悪戯に彼女は耐えられなくなり、本を投げつけ家に戻る。彼女はそれから病欠を取り、家に引き篭もる。彼女はひたすら雪が降り、死体を埋めた場所が雪で覆われることを祈るようになる。

 ベスが電話を取ろうとする。相手が女性だということは分かるのだが、話をする前にその電話が切れてしまう。そんなことが何回か繰り返される。ベスの母親が、老人ホームに入った。ホームを訪れたベスは、院長の女性から、別荘を売ってくれないかと頼まれる。ベスはいよいよ精神的に追い詰められる。ウルフは警察ではなく、守秘義務のある聖職者に告白することを勧める。

 ベスは自分の目で、別荘と死体を埋めた場所が安全であることを見れば、それで自分なりに納得がいき、気持ちの整理がつくだろうと考える。初冬のある日、ベスは別荘に向かう。車を停めて別荘の周りを歩くと、雪の上に誰かの足跡が残っている。驚いたベスはその足跡を追う。その足跡は、ベスが死体を埋めた場所まで続いていて、その場所には松かさが十字架の形に並んでいた・・・

 

<感想など>

 

 偶然人を殺してしまった「普通の女性」が、成り行きからそれを隠すことになり、自責の念に悩むという話である。読者は、彼女が埋めた死体が、そのまま発見されずにすむということは、物語の展開上あり得ないことを知っている。読者の興味は、死体が誰によって、何時発見されるかということに向けられる。

 また、その殺人を通じて「普通の女性」が冷酷な人間に変わっていくかというのも見ものである。ベスは、常に「誰か」が自分の埋めた死体を発見し、警察が自分の家のドアの呼び鈴を鳴らすこという幻想に苛まれる。しかし、何時の頃から、自身を守るためには、第二の殺人をも厭わない性格へと変化を見せる。

 タイトルにある猫であるが、最初はホルガーが若者に譲る。しかし、猫は若者の家を去り、ベスの別荘の周辺に移り住む。そして、ベスが若者を殺すのを目撃する。もちろん猫は話をするわけではない。しかし、タイトルになるくらいであるから、その猫が物語の中で、ある程度の役割を演じることは予想できる。「猫の恩返し」がいかに行われるのか、それもこの物語のひとつの興味となっている。

 ヘニング・マンケルの小説ではアフリカが舞台になっているものもあるし、スウェーデンが舞台になっているものも、アフリカが絡んでいるものが多い。この小説も、後半四分の一くらいは、アフリカが舞台になっている。北の国スウェーデンでは、「アフリカ」というものは、特別な響きをもつものなのかも知れない。

 この小説、一章が恐ろしく短い。そう言った意味ではページがどんどん進んで読み易い。しかし、その記述は極めて細密で、あったことを全て書き綴った日記を読んでいるような気がする。それで、ちょっとイラつく面もある。

 なかなかよく出来た話なのだが、ウルフとベスが四週間の休暇に携帯電話を忘れてきたという設定には、ちょっと無理があるような気がする。別荘には固定電話もないのだ。この人たちは、四週間の間、一切外界とは連絡を取らないつもりだったのだろうか。普通、そんな状況で旅立つとき、最低携帯電話はチェックするものだと思うし、ふたりともに忘れるという設定は、ちょっと非現実的なのでは。もちろん、ふたりが携帯を持っていたら、殺人が起こった際、すぐに警察に連絡できたわけで、この物語自体が成り立たないのであるが。

 主人公の心理描写が、なかなか面白い作品。

 

201210月)

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