Forbrydelsen

2007年、デンマーク国営放送

 

<はじめに>

 

Forbrydelsen」はデンマーク国営放送が二〇〇七年から製作した犯罪ドラマである。この最初のシリーズを、ドイツ語版DVDで見た。主人公はソフィー・グロベール演じるコペンハーゲン警察の女性警視のサラ・ルンド。このシリーズと彼女は、ドイツ、英国等でも大きな人気を博した。英国ではルンドの着ている手編みのセーターが、女性の間で流行するほどの社会現象となった。現在までに三シリーズが作られ、第一シリーズは、エミー賞外国ドラマ部門や、BAFTA(英国映画アカデミー賞テレビ部門)の候補作となった。

二〇〇七年製作の第一シリーズは、全二十時間で、デンマークや英国では一時間ずつ二十回に渡って放映された。ドイツでは二時間ずつの十回のシリーズで放映されている。原題のForbrydelsenはデンマーク語で「犯罪」という意味、ドイツ語ではそのままのDas Verbrechenというタイトルが付けられている。英語版はThe Killing「殺人」というタイトル。二〇一二年に、日本で放映された際も英語版を踏襲し「キリング」いうタイトルになっている。

ドラマはひとつのシリーズでひとつの事件をテーマにし、第一シリーズでは十一月三日の第一日から、十一月二十二日までの第二十日までを、一日毎に描いている。毎回新たな人物が容疑者として浮かび上がる設定となっている。

このドラマとヘニング・マンケル原作の「クルト・ヴァランダー」シリーズが、英国において、北欧の推理ドラマの人気に火をつける役割を果たし、この後、数多くのスカンジナビア諸国のドラマが、英国で放映されるきっかけとなった。

 

社会現象にまでなった、サラ・ルンドの手編みのセーター。

 

<ストーリー>

 

コペンハーゲン警察の警視サラ・ルンドは、恋人の転居に伴い、一人息子を連れ、スウェーデンのストックホルム警察に転勤することになっていた。彼女の後任にはヤン・マイヤーが決定、彼女の部屋には、後任者の荷物が運び込まれていた。送別会も終わった最後の日、十九歳の高校生、ナナ・ビルク・ラルセンが行方不明になる。彼女は川に沈められた車の中から、死体で発見される。彼女は、殺される前に暴行を受け、レイプされていた。この殺人事件の捜査を担当するために、ルンドの転勤は延期となる。彼女はどうもソリの合わない後任のマイヤーと組んで、捜査を進めることになる。

ナナは行方不明になる日の夜、高校で開かれたハローウィンのパーティーに同級生たちと参加していた。友人たちによると、彼女はそのパーティーを途中で抜け出したということであった。

彼女の発見された車は、市長選挙に立候補しているトレルス・ハルトマンの選挙事務所が借りたレンタカーであった。警察は、当時車を管理していたハルトマンの事務所を訪れる。ハルトマンの党は、市内にアパートを借りていた。そこには殺されたナナの血が飛び散っていた。捜査はハルトマンと自身と、その選挙本部のメンバーに及ぶ。

殺されたナナの両親、タイスとペニレは引越し会社を経営していた。そこでは、長年タイスの片腕として、ヴァグン・スケルベックが働いていた。彼らは悲しみのどん底に突き落とされ、父のタイスの復讐心は燃え上がる。

容疑は、パーティーの席でナナと性的な関係を持っていた高校生、殺された夜ナナが訪れた高校の教師、ファウストというコードネームで「出会い系サイト」に登録していた候補者のハルトマン、その秘書であり愛人であるリー・スコヴガールド、犯行の夜ナナを乗せたという運転手、どんどん広がっていく。浮き上がっては消えていく容疑者の中で、最後に残るのは誰なのだろうか・・・

 

  

コペンハーゲン市長選挙の候補者を演じるラールス・ミケルセンと被害者の両親を演じるアン・エレウノーラ・ヤーゲンセンとビャルネ・ヘンリクセン。

 

<感想など>

 

余りにもたくさんの容疑者が出てくる。捜査が進むにつれ、ほぼ毎回、容疑者が浮かび上がる。皆どこかで嘘をつくか、真実を隠している。そして、誰か最終回まで分からない。

しかし、最終回まで真犯人を知らなかったのは、視聴者だけではないのである。出演者にも知らされていなかったのである。英国、オブザーバー紙とのインタビューの中で、主演のグロベールは、台本が渡され、その回の撮影が始まるまで、次回の内容や、真犯人が誰であるか知らされていなかったという。

「自分が犯人でないことだけ、知らされていた。」

とグロベールは語っている。この辺り、脚本、監督のゼーレン・スヴェイストルプの作戦は成功している。容疑者に迫る警察官の演技も、それを否定する容疑者たちの演技も、迫力がある。このドラマの魅力は何と言っても、演技力の極限まで要求された出演者たちの真剣さ、迫力が視聴者に伝わってくることであろう。特に父親タイス役のビャルネ・ヘンリクセンの演技は光る。

同時にソフィー・グロベールの個性で魅せるドラマでもある。脚本がそもそも、彼女が主役を演じることを前提に書かれたのでぴったりくるのも当たり前。いつまでもスウェーデンにやって来ないことに不満を爆発させる婚約者、登校拒否に陥った息子、その他家族に愛想を尽かされ、同僚のマイヤーや上司と対立しながら、何日間も休むことなく、寝る暇もなく、ルンドは捜査を続ける。役作りの際、監督からは「女であることを忘れろ、男になりきれ」と指示されたとのこと。まさにその通りに演じている。サラの熱意と、グロベールの好演が感動を呼ぶ。

サラの格好はいつも手編みのセーターとジーンズである。先にも書いたが、このセーター、英国では女性の間で流行となった。このセーターを、グロベールは自分自身で選んだと、インタビューで述べている。彼女自身、「女性らしさ」を排除するファッションを考えたところ、これに行き着いたという。サラのファッションと対をなすのが、市長候補者トレルス・ハルトマンの秘書兼愛人、リーのファッションである。彼女はまさに女性らしさを強調した「お嬢様」ファッションをしている。

殺人事件の捜査とともに、コペンハーゲン市長選挙戦がプロットとなっている。新たに市長を目指すトロレス・ハルトマンと老獪な現市長ブレーマーの戦いである。殺人事件への関与をネタに挑戦者のハルトマンを追い落とそうとするブレーマーとそれに耐えるハルトマン。その選挙戦の模様が、第二のプロットとなっている。

コペンハーゲンの街が何度も映し出される。朝焼けの市街や、夜景はそれなりに美しい。しかし、それほど魅力的な街とも思えない。あくまで平らで、山がない。ちなみにデンマークで最も高い場所は標高百七十三メートルである。また、季節が十一月ということで、どの場面も暗い。昼間の場面であっても、常に暗さがつきまとう。ドラムを中心にした音楽が、暗さを強調している。

ひとつの殺人事件で二十時間のドラマを構成するのは、かなり難しいと思う。視聴者を引き付けるために、毎回それなりに盛り上げ、次回に続けなくてはいけない。その結果、十人以上の人物が容疑者として登場する。そして、彼ら全てが、嘘をついているか、何かを隠している。ちょっとありえない設定なのであるが、最初も述べたが、そこを主人公の魅力と迫真の演技でつないでいくというのがこのドラマの優れたところだと思う。

 

ぶつかりながらも一緒に捜査を進める、サラ・ルンドとヤン・マイヤー

 

20145月)

 

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