「精神破壊者」

Der Seelenbrecher

2008

<はじめに>

 

セバスティアン・フィツェック「サイコスリラー」の四冊目。今回も、超自然的な、現代科学で証明できないような事象が起こり、最後にそれが「なあ〜〜んだ」と説明されるパターン。この人の小説、書いてあるからと言って「鵜呑み」にはできない部分がある。書いてあることが、誰かの心の中の幻想であったりするので要注意。

 

<ストーリー>

 

ヴァネッサ・シュトラスマンはホテルの一室に裸で横たわっている自分に気付く。警官がやってくる。自分は生きている、自分の名は「ヴァネッサ・シュトラスマン」、彼女は意思表示をしようとするが、身体も口も動かない。警官が呼んだ医者が現れるが、医者も彼女の状態を把握できない。医者はヴァネッサの手に紙片が握られているのを見つける。そこには、「捨てるためだけに買う物は何か」という謎が書かれていた。

大学の精神分析学の講義室、教授の前には六人の学生が集まっている。教授は、ある「実験」をしようと、報酬を払うことを条件に学生を募集した。その応募に応じたのが男性二人、女性四人であった。彼らの使命は、ファイルにされた診断、治療記録を読むことであった。その記録は、精神分析医、ヴィクトール・ラレンツが遺したものであった。

「この内容って、診断、治療記録というよりは、スリラー小説じゃないですか。」

とひとりの学生は言う。ともかく、六人の学生たちは、そのファイルを読み始める。

 

クリスマスイブの前日、カスパーは、ベルリン郊外の、私立の精神病院で、患者のグレタ・カミンスキーと話していた。彼女は「なぞなぞ」、「クイズ」の愛好家で、カスパーに色々なクイズを出し、彼はその謎に挑戦していた。街では、三人の若い女性が、魂を抜き取られたような状態で発見されるという事件が続いていた。医者も、どのようにしてその状態が作られ、どのように治療してよいのか分からないでいた。マスコミはその犯人を「精神破壊者」と名付けた。最初の犠牲者がヴァネッサ・シュトラスマン。次の犠牲者が弁護士のドリーン・ブラント、三人目の犠牲者が小学校教諭のカチャ・アデシであった。カスパーとグレタが見ているテレビのニュースショーでは、「精神破壊者」の最初の犠牲者のヴァネッサ・シュトラスマンが死亡したこと、また、今晩からベルリン周辺は激しい吹雪に襲われることを告げられていた。

 その豪華な私立の精神病院はザミュエル・ラスフェルトが院長で、バッハマンが管理人をやっていた。その日の夕方、カスパーの担当医、ゾフィア・ドルンが彼を訪れる。カスパーは十日前、記憶を失ってこの病院に運び込まれていた。彼は時として、自分の心の中に現れる、十一歳の金髪の少女が自分の目の前に横たわる姿に悩まされていた。カスパーはその少女が、自分の娘ではないかと考え始める。ゾフィアは、カスパーに、彼の持ち物や、少女の写真を見せる、しかし、彼の記憶は戻らない。ゾフィアは自分がこの病院を去るため、その夜が最後であることを告げる。カスパーは「自分の前に横たわる少女の姿」が、犯罪につながっていることを恐れ、警察に出頭したいとゾフィアに言うが、ゾフィアは明日まで待つよう説得する。

外は、激しい吹雪になっている。突然犬が激しく吠える。外を見ると、救急車が雪でスリップし、電柱に衝突していた。その救急車からふたりの人間が助け出される。ひとりは救急隊員のシャデック、もうひとりは患者で、気管を切開された大男であった。ふたりは、病院に運び込まれる。また、救急車が衝突した電柱が電話線につながっており、病院内から外部への電話が使用不能になってしまう。カスパーは雪上車を使って、外界とコンタクトを取ろうとするが、雪上車も何者かにより使用不能にされていた。運び込まれた患者は、循環器系の専門医、ヨナタン・ブルックであることが分かった。

 深夜、カスパーは燃え上がる車の中に、自分が取り残されているという悪夢で目を覚ます。気が付くと、患者のリヌスが自分の前に居る。言葉の不自由なリヌスはカスパーに何かを訴えようとしている。ことの緊急さを感じたカスパーは、階下へ駆けつける。そこにはゾフィアが倒れていた。窓の外には、雪の中を走り去るブルックが見えた。院長のラスフェルトがゾフィアを診察する。外傷はないが、外からの刺激に答えない。カスパーはゾフィアの手に、紙片が握られているのを見つけた。

「名前は違っていても、それは真実だ。」

とそこには書かれていた。

「『精神破壊者』の仕業だ。」

ラスフェルト医師はつぶやく。ゾフィアを正気に戻すためのヒントが紙片に書いてあると考えたカスパーは、クイズとパズルの名人、グレタを起こし、解析を依頼する。

 次にラスフェルト医師が行方不明になる。またもや謎の書かれた紙片が落ちている。グレタは紙片の謎の言葉を見て、「F」という文字がやたらと多く、六つ余分に書かれていることを見つける。果たして、病院の霊安室である「六F」という部屋に、カスパーたちが行ってみると、その死体保管用の冷蔵庫の中に、ラスフェルト医師が死んでいた。彼の口の中には、新たな紙片が隠されていた。仮死状態のゾフィアがわずかに反応を示す。彼女は、何かを訴えようとするように口を動かせる。

「ノポール・・・・」

そのような言葉が彼女の口から洩れる。病院内に殺人鬼と共に閉じ込められた人々の緊張は高まる。カスパーが「精神破壊者」と思い込んだシャデックは、カスパーを麻酔銃で撃つ。

 カスパーが意識を取り戻すと、彼は、縛り付けられて、目の前にはシャイデックがいた。シャイデックは麻酔薬によって、カスパーを意識はあるが、身体の自由の効かない状態にしていた。

「お前は誰だ。『精神破壊者』は誰だ。白状しろ。」

とシャイデックは問い詰める。そのとき、カスパーは自分の置かれている状態から、「精神破壊者」が被害者に用いた方法を知る。

「催眠術・・・」

精神破壊者は犠牲者を催眠にかけていたのだ。あるきっかけを与えないと容易に解けない催眠に。彼は、同時に自分の素性をも思い出す。自分が「催眠治療の専門家である、精神分析医、ニコラス・ハーバーランド」であることを。彼は、シャイデックに、自分の意思を伝えようとするが、シャイデックは耳を傾けない。そのとき爆発音が起こり、シャイデックは部屋を出て行く。カスパーは起き上がり、麻痺した身体に鞭打って、階段を上がる。そこには、ゾフィアを乗せていた車椅子が横たわっていた。そして、看護婦のヤスミン、グレタも意識を失って倒れていた。そして、横たわるゾフィアの上に、覆いかぶさるように座っている人物がいた。その人物とは・・・

 

このストーリー、舞台化されている。

 

<感想など>

 

 この小説は「枠構成」である。大雪に閉じ込められ、外部との接触を断たれた精神病院で起こる殺人事件、またその数か月前から起こった若い女性を「生ける屍」にしてしまう、言い換えれば「生きたまま棺桶に閉じ込めてしまう「精神破壊者」、それらの記録されたファイルを学生が読むという形式になっている。フィツェックの小説の常だが、「書かれていることが本当に起こったとは限らない」という一面がある。書いてあることが、誰かの幻想だった、なんてこともあるわけだ。枠構成にしておけば、物語はある人物によって記録されたものであり、そこに主観や思い込みが入り、その内容が「事実」でなくても許されるわけだ。これは、一種の逃げ道を作っているともいえる。

 例によって、一見して科学では説明できない、「超自然的な」事件が起こり、それを精神分析学によって解決されていくというストーリーである。人間を、一切外部からの暴力に訴えることなく「生ける屍」にしてしまう、あるいは人間を生きたまま棺桶の中に閉じ込めてしまう、「精神破壊者」のトリックが、物語の中で明らかになっていく。

 カスパーは記憶喪失であるが、ふたつのトラウマを持っている。ひとつは、自分の前に意識不明で横たわる少女で、その原因を自分が作ったと彼は感じている。ふたつ目は、燃える車の中に閉じ込められたトラウマである。彼は、時として、医者しか知らないような知識が呼び覚まされることから、自分が医者ではないかと感じ始める。この辺り、記憶喪失について十分調査したうえで書いてあるのだろう。そもそも記憶を喪失した人間がどうして言葉を話せるのだろうかと、不思議になったことがある。この本は、記憶喪失とは何かをしる勉強になる。しかし、それ以上に「催眠術」とは何か、「催眠療法」とは何かという勉強になる。ポテトチップしか食べられなかった英国の青年が、「催眠療法」で普通の食生活に戻ることができたという記事が最近英国の新聞に出ていた。「催眠療法」とは普通に行われている治療のようだ。「催眠」に「眠、眠る」という字が用いられるが、これが、誤解であることも知ることができた。

 雪の中に閉じ込められて、電話も不通になり、外部と一切の接触を断たれた密室という、「オリエント急行殺人事件」的な状況である。そして、誰であるか分からない凶悪な犯罪者「精神破壊者」がその中にいるということで、内部にいる人間の緊張と、ストレスは極限まで高まっていく。ともかく、例によって色々な極限的な状況が次々に作り出され、読んでいる者を飽きさせることのない構成になっている。

 

20149月)

 

<戻る>