「血に飢えたゲーム」

原題:Amokspiel

2007

<はじめに>

 

2006年に出版され、大きな反響を呼んだ「Die Therapie」に次いで2007年に発表された作品。やはり、精神分析医と犯罪心理学者が主人公となっている。前回は、完全に精神的な内面の世界を描く作品であったが、今回はかなり派手なアクションが登場する。

 

<ストーリー>

 

精神分析医である彼は、婚約者のレオニ・グレゴールが来るのを自分のアパートで待っていた。そこに、レオニから電話が入る。電話は雑音が多くて良く聞き取れない。彼女は、

「彼らが・・・何を言っても・・・信じてはいけない。」

と言う。会話の途中、警察官がドアの呼び鈴を鳴らす。

「お友達のレオニ・グレゴールさんは、今から一時間前に、交通事故でお亡くなりになりました。」

と警官は彼に告げる。その直前までレオニと話していた彼は、警官の言葉を信じない。

 

イラ・ザミンは、自宅で拳銃を口にくわえ、自殺を企てようとしていた。犯罪心理学を専攻した彼女は、警察の心理捜査班の一員で、これまで犯人との交渉役として働いてきた。娘のザラを亡くした彼女は、絶望し、自殺を考える。死を一層確実なものにするため、彼女は薬を飲もうとする。しかし、何故か「コーラ・ライト・レモン」でその薬を飲み下したくなる。彼女は近くの店へ、コーラ・ライト・レモンを買いに行く。トルコ人の主人が経営するその店で、店主とロシア人と思われる男が、お互いに拳銃を相手に向けて向き合っていた。イラは、

「どうでもいいから、コーラ・ライト・レモンをちょうだい。」

と叫び、向かい合う二人の注意を引く。

キティは、FMラジオ局、「101プンクト5」の見学ツアーの客たちを引き連れて局の中に入る。その中に、松葉杖を付き、身体障害者を装った、ヤン・マイが入っていた。彼は、爆弾を腹の周りに括り付けていた。彼はDJのティンバーを杖で殴り倒し、自分の言うことを聞くように要求する。

トルコ人とロシア人がピストルを持って対峙する店に、警察特殊部隊のオリヴァー・ゲッツが突入する。彼は、ふたりの男の武装を解除する。ゲッツは、イラを自宅から連れ出すためにここへ来て、たまたまこの騒ぎを発見したのだった。ゲッツはイラを無理矢理車に乗せ、その後ヘリコプターに乗せ、「現場」へ連れて行く。その道中、何が起こっているかを、彼はイラに説明する。

ベルリンの中心にある高層ビルの十九階にあるFMラジオ局、「101プンクト5」は「キャッシュ・コール」という企画をやっていた。DJが無作為に選んだ番号に電話を掛け、正しい「合言葉」を言えた相手には現金が送られるというものだった。職員と一緒に見学ツアーに参加した人たちを人質にスタジオに立て籠もった男は、一時間に一度無作為に選んだ番号に電話し、電話の相手が、

「人質を解放してくれ。」

という「合言葉」を言えた場合は人質をひとりずつ解放、言えなかった場合は人質をひとりずつ殺すと言う。犯人は自らマイクロフォンを握り、彼の声はラジオを通じて、万人の聴くところとなった。警察ではイラの上司のシュトイヤーが対策本部の責任者となり、イラはその犯人との交渉役として、駆り出されたということであった。

ラジオ局のあるビルと周辺のビル、道路は閉鎖され、そこにいた人々は避難をさせられる。その中で、犯人の立て籠もるビルに居続ける奇妙な人物がいた。局の編成局長のディーゼルであった。彼は、自分の仕事部屋をおもちゃ箱のように飾り立てた奇妙な人物であり、自分がいないと放送が続けらないと、立ち退きを拒否する。

シュトイヤーは犯人逮捕、人質救出のために、警察特殊部隊の局への突入を指示する。しかし、犯人の目的は、人々の注目を浴びることであり、犯人の目的と背景が分かるまで、多少の人命を犠牲にしても待つべきであり、「突入」は得策でないと、イラは主張する。シュトイヤーは犯人を射殺させるために、換気ダクトを通じて、警官をスタジオに送り込む。

犯人は、自分の脈拍が八秒以上停止すると、爆薬の起爆装置が作動すると言う。狙撃を試みた警官は、武器を捨てて退却を余儀なくされる。犯人は、最初の「キャッシュ・コール」の電話を掛ける。電話を取ったウェートレスは正しい「合言葉」を言うことができない。犯人は人質の一人、UPSの職員を台所にやり、彼を撃つ。

その台所の流しの下には、局の職員のキティが隠れていた。キティは、イラのもう一人の娘であった。ゲッツだけは、キティが局内いることを知っていた。イラはそのことでショックを受けるが、娘を救うためにも、犯人との交渉を成功させなくてはいけないとの決意を新たにする。二人目の娘は絶対に死なせてはいけないと。

 

イラは、犯人が知能の高い人物であること、人と話すことを職業としていること、局の誰かを知っていると推理する。シュトイヤーは電話を操作し、「キャッシュ・コール」を警察の用意した「サクラ」につなぐことを計画するが、イラはそんなことをしても直ぐにバレる、今は犯人の背景、動機を知ることに専念しなくてはいけないと主張する。

そこに犯人から電話が掛かる。イラはその電話を取り、犯人と話し始める。犯人は「人質事件」の犯人に対する警察の対応を既に熟知していた。また、イラと、自殺をした娘のザラについても知っていた。イラは犯人との信頼関係を作るためにも、正直に話そうと決意する。ふたりの会話はラジオによって生中継されている。

ヤンと名乗る犯人は、自分の婚約者であったレオニ・グレゴールを自分の前に連れて来ることを人質解放の条件とする。その話が出た途端、シュトイヤーを始めとする、警察の首脳部に動揺が走る。

上席検事のヨハネス・ファウストは、シュトイヤーから電話を受ける。

「犯人が『彼女』を要求している。」

という言葉を聞き、ファウストは即座にそれがレオニ・グレゴールであることを知る。

イラは、レオニが八か月前に交通事故で死んでいるという資料を受け取る。犯人のヤンから再び電話が掛かる。イラはヤンに、

「レオニは死んだ。」

と言うが、ヤンは、レオニは国家権力により、誘拐され、死んだことにされていると主張する。そして、レオニが「死んだ」とされる際の、不自然な出来事を語る。彼女の最後の電話のこと。精神分析医であった彼が、レオニの消息を捜すための活動を始めた後、自分の車の中に覚えのない麻薬が発見され、患者からいわれのない罪をかけられ、職を失ったこと等。ヤンは、イラの身辺も詳細に調査をしており、ザラの死が事故死ではなく、自殺であり、イラが娘の死に対する自責の念に駆られていることも知っていた。

ディーゼルは犯人をどこかで見たことがあるという気がしてならなかった。彼は、「聴取者クラブ」のファイルを調べる。そして、犯人が、ヤン・マイという精神分析医であり、数週間前に自分を訪れていることを思いだす。ヤンを知っている局内の人間というのは「自分」であったのだ。ディーゼルは、人質として犯人と一緒に居る人たち全員が、聴取者クラブの新入りであり、今回の局内ツアーの参加資格のない者ばかりであることを知る。ディーゼルはそれらの発見をゲッツとイラに伝える。

イラはシュトイヤーに屋上へ呼び出される。そこには、ヘリコプターで乗り付けた上席検事のファウストが待っていた。ファウストはイラがアルコール中毒で、禁断症状に苦しんでいることを知りながらも、彼女に犯人と交渉役を続けさせたいという。ファウストは、レオニは既に死亡していて、犯人の言っていることが戯言だと言う。しかし、心理学者のイラにとっては、彼が嘘をついていることは明らかであった。

ヤンはイラに自殺した娘ザラについて尋ねる。イラはザラに性的な「乱交癖」があり、夜の駐車場に集まる、セックスクラブに出入りしていたことを語る。

UPSの職員は、会社のトランシーバーを持っており、それが現在キティの手にあり、それでキティと連絡が取れることを知る。イラはキティに連絡を取る。

「あなたを救いたい。」

と言うイラに対して、キティは、

「自分の娘も救えなかったくせに、何を今更。」

と言う。しかし、母親の頼みを聞き入れ、UPSの職員の「死体」のある場所へ行って、彼が本当に死んでいるかどうかを確かめることを承知する。イラはヤンが誰も殺していないのではないかと推理していたのだ。

イラは犯人に、レオニについて調べる時間が欲しい、そのために「キャッシュ・コール」を一回キャンセルしてくれるように頼む。犯人は、

「その代り、一回テストをする。」

と言う。「キャッシュ・コール」が行われる。今回、電話を受けた人物は正しい合言葉を言う。しかし、それは警察の用意したサクラであった。ヤンはそのことを見抜き、テストは不合格で、自分は「キャッシュ・コール」を続けることを宣言する。

ゲッツはヤンについて調査をしようとするが、彼に関する資料がほとんど見つからないのに気付く。彼は、捜査を妨害するために、何者かが資料を廃棄したのではないかと感じる。

ディーゼルは空港に向かう。そこで、交通情報のためにベルリンの上空を常に飛行しているパイロット、ハビヒトに会う。ディーゼルは

「九月十九日のレオニに交通事故について記憶があるか。」

と、ハビヒトに尋ねる。ハビヒトはそのような事故はなかったという。事故の写真を見たハビヒトは、それが合成写真であることを見抜く。ディーゼルはそのことをゲッツに伝える。

イラはヤンと、自分と娘たちについて話す。それは、あたかも、彼女が精神分析を受けているようであった。ヤンもレオニについて話す。レオニは常に誰かに跡を付けられるのを恐れているような素振りをしていた。ヤンは偶然レオニのアパートを突き止め、中に入る。彼はそこでレオニの携帯電話を見る。SMSは全てロシア語で入っていた。

ファウストは駅のコインロッカーの中から、金を取り出す。そして、駅のトイレの中で、札束を身体の周りに張り付ける。彼は、自分が癌で、余命が少ないことを知っていた。

ヤンとイラの話は続く。それは全国放送のラジオで流れる。ファウストは、ヤンかイラのどちらかを黙らせるために、シュトイヤーの突入を命じる。シュトイヤーは突入を前に、ミーティングを招集する。シュトイヤーはUPSの男を除いて、他の人質は全て俳優で、ヤンへの協力者であること告げる。シュトイヤーは、人質はグルであり、人質の殺害は芝居であるから、突入しても差し支えないと考えていた。シュトイヤーはキティの存在を知らない。イラはキティに連絡を取り、UPSの男が本当に死んでいるか確かめることを依頼する。しかし、キティはヤンに見つかってしまい、正式に、人質のひとりとなってしまう。

ディーゼルはレオニのアパートを訪れる。鍵は掛かっておらず、家具は全て運び出され、中は塵ひとつないほど片付いていた。ディーゼルはDJのティンバーの流す曲が、いつもと違うことに気が付く。

We are family

We belong together

Little Lies

Fake

彼は、それがティンバーからのメッセージであることに気付く。犯人と人質はグルであり、ヤンの言っていることは嘘であると。ディーゼルは、レオニの部屋の一階下に住む老女を訪れる。そこには、レオニのウクライナ国籍のパスポートがあった。老女は殺されていた。それに気が付いたとたん、ディーゼルも何者かに襲われ気を失う。

ゲッツは屋上からロープを伝って降りていく。同時に換気ダクトを伝っての接近する部隊、扉を破っての突入する部隊、ヘリコプターからの援助部隊が組織されていた。ヘリコプターからの激しい金属音を発し、ヤンが怯むすきに、突入が開始された。しかし、突入は失敗、警官の一人は射殺され、ゲッツは窓から飛び降りるが、窓ガラス掃除用のゴンドラに掴まり、事なきを得る。シュトイヤーは突入の失敗をイラの責任にし、彼女に現場からの退去を命じる。警察署までのエスコートを依頼されたゲッツは、シュトイヤーの命令に背き、イラを警察署へは連れ帰らず自分のアパートに匿う。しかし、何者かが侵入、イラに麻酔薬を注射してさらっていく。

それまでヤンに雇われ、人質のふりをしていた者たちが、一向に埒が明かないことに怒り出す。ヤンは彼らを黙らせるために、

「次回のキャッシュ・コールで、正しい合言葉が出た場合は全員を解放、出なかった場合は全員を殺害する。」

と宣言する。

 

 イラとディーゼルを誘拐したのは、ウクライナのマフィア、マリウス・シュバロウであった。シュバロウは、これまで何度も逮捕されながら、裁判になると証人に圧力をかけ、無罪を勝ち取って来た。イラは飲み屋街にある、一軒の安酒場のカウンターに縛り付けられていた。彼女に、レオニの居場所を教えるように言う。ここにも、レオニを捜している人物がいたのだ。シュバロウはイラに、自分とレオニの意外な関係について話す・・・

 

<感想など>

 

前作に続いて、またまた、警察官でもある犯罪心理学者と、精神分析医が主人公である。イラは自分の娘の自殺と、もう一人の娘の離反に悩んでいる。ヤンは恋人を奪い取られた喪失感に悩んでいる。イラは自殺を企て、ヤンは人質を取ってラジオ局に立て籠るという行動に出る。どちらも悩んでいる。そして、そのふたりが、人質解放の交渉を通じて、知らず知らずの間に、互いに精神分析、「サイコセラピー」、「カウンセリング」をやってしまうというのが今回のストーリーのひとつの骨子。前作に引き続き、精神分析の話なのである。そして、それを、ラジオを通じ、皆が聞いている前でやってしまう。

「国家権力の罠に落ちた男女とそれを抹殺しようという国家権力」という構図が、この物語の次の骨子である。読者は、オフィシャルには死んだとされるレオニ・グレゴールがまだ生きていること、彼女の恋人ヤン・マイが、その秘密に迫ろうとしたために、社会的に抹殺されたことを知っている。そして、レオニが、秘密の多い女性であったことも。彼女が、何のために、誰によって、地上から消し去られたのか、これがこの物語の別の興味でもある。そして、その鍵を握っているのが、上席検察官のヨハネス・ファウストである。

そして、もうひとつの謎解きは、イラの娘ザラの自殺を巡るもの。イラは自分が、娘の自殺を止められなかったことに大きな責任と無力感を感じ、自らも自殺を企てようとしている。ザラは何故自殺したのか、これが最後に明らかになる。

イラは警察の犯罪心理の専門家であり、これまで人質事件の犯人と何度も交渉をする立場にあった。彼女は、警察学校で、そして実地で、犯人と交渉をする場合のノウハウを身に着けてきている。しかし、一番大事なことは、

「正直に言うことにより犯人からの信頼を勝ち得ること」

だと言う。これは面白い。どのような策を弄するより、「正直であること」が大事なのだ。これは全ての人と人の交渉術に当てはまることであると思う。おまけに、今回の交渉相手は、精神分析医なのであるから、下手な嘘をつくことは、自らの墓穴を掘ることに値する。イラもまさに、「正直であること」を実行する。彼女は、その声が、全国中継で流れても気にしない。

イラの立場は最初から明確である。しかし、彼女にとって、誰が味方で誰が敵なのか分からない。本部長のシュトイヤー、上席検事のファウスト、特殊部隊のゲッツ、局の編成局長のディーゼル。協力者のようで実は敵の手先であり、敵のようで実は協力者であり、目まぐるしく揺れ動く。誰の言うことを信じてよいのかイラは迷う。そして、彼女が一番信頼のおける人物が犯人のヤンであるというのは皮肉なことである。

無作為に電話をかけ、もし「合言葉」が言えなかった場合は、人質を殺すというアイデアは面白い。最後までよく分からなかった点。それは、

「いかにしてヤンは局側の情報を操作できたのか。」

という点である。ヤンが人質に取った人たちは「サクラ」であり、実は俳優でヤンの協力者である。彼らは、ラジオ局のツアーに選ばれる資格のない人たち。しかし、ヤンは、彼らをツアーのメンバーとしてラジオ局に選ばせている。この点に説明がなかったような気がする。フィツェックは、ベルリンのラジオ局に勤めていたことがあったという。まさに、彼のホームグラウンドを舞台にした作品なのだ。

例によって、テンポ良く読めるストーリー展開と文体。フィツェックという人は、読者を捕まえて放さない、グイグイ引っ張っていくという点では、天才的な才能があるようだ。

 

20141月)