アルゼンチンよ泣かないで

 

トッテナム・コート・ロードのドミニオン劇場。前では新しい地下鉄「クロスレール」の工事をしている。

 

Don’t cry for me Argentina」、「エビータ」と言えば、どなたの心にも「アルゼンチンよ泣かないで」のメロディーがまず浮かぶのではないだろうか。いや、それどころかミュージカルの存在は知らなくても、「アルゼンチンよ泣かないで」の歌は知っているという人も多いのでは。これほど、ミュージカルで唄われる一曲だけが、突出して有名になった例はあっただろうか。それだけ、この曲が、人々の胸を打つ、名曲であるということの証明になるだろう。

僕と、妻と末娘がこのミュージカルを見に出かけたのも、「アルゼンチンよ泣かないで」が発端となっている。僕と妻が、これを次のピアノの発表会で、連弾で演奏する曲に選んだのだ。ちょうど、時を同じくして、ロンドンのドミニオン劇場で五週間に渡ってこのミュージカルが上演さえることになった。

「曲の背景を知っておくのも悪くないじゃないの。」

という妻は、十月三日土曜日の昼の部のチケットを、僕が、

「ちょっとマチネ。」

と言っているのに、インターネットで買ってしまった。開演は午後三時である。

  十月三日の土曜日。話は変わるが、僕は九月から毎土曜日に「外国人のための日本語教師」の資格を取るために学校に通っている。その授業が終るのが二時前後。授業はユーストン駅の近くのロンドン大学の校舎である。僕は授業が終ったあと、同じ方向に帰る「同級生」二人と一緒に地下鉄に乗った。ちなみに三人の「同級生」は全て女性である。(皆、多少お歳は召しておられるが。)つまり、

「女の中に男がひとり、や〜い。」

という結構な状況なのだ。

「ミュージカル、楽しんできてね。」

という同級生の言葉に送られて、僕はトッテナム・コート・ロードで地下鉄を降りた。

外は雨になっていた。ドミニオン劇場は、地下鉄を降りて、駅の階段を上がったところにある。何年もロック・ミュージカル「ウイ・ウィル・ロック・ユー」をやっていた。劇場の正式名を知らない人に対しても、

「あの『ウイ・ウィル・ロック・ユー』をやってるところ。」

と言えば分かるという場所だ。学校から劇場まではわずか二駅なので、随分早く着いてしまい、向かいのパブでビールを飲みながら、復習と宿題を始める。ウェーターのお兄ちゃんが

僕の持っている日本語の講義資料を見て、

「おたく、日本語を勉強してるの。」

と尋ねてくる。彼は、ちょっと日本語の素養があるらしい。

「いいや、日本語の勉強じゃなくて、日本語を教えるのを勉強してるの。」

と言う。彼は分かったような、分からないような顔をしている。携帯で娘に僕の居所を伝えておいたので、開演の十分前に妻と娘がパブに迎えに来て、三人で劇場の中に入った。舞台の前には、「エビータ」と書かれた水色の緞帳が下りている。僕たちの席は、「ストール」と呼ばれる舞台の前の平たい場所。少し後ろの方だが、舞台が真正面に見える。なかなか良い席だ。

 

エビータの緞帳。前のお姉さんのお団子みたいな髪型が邪魔なんだよな。