「死すべき者」

原題:Fantomsmerte (痛みの幻想)

ドイツ語題:Sterblich(死すべき者)

2011

 

トーマス・エンガー

Thomas Enger

 

 

<はじめに>

 

ノルウェーの犯罪小説と言えば、ヨー・ネスベーが抜き出ていたが、それを追う才能として、頭角を現しているトーマス・エンガー。彼のジャーナリスト、ヘニング・ユールを主人公にしたシリーズの第一作である。

 

<ストーリー>

 

二〇〇七年九月。男は冷たい床の上に横たわっていた。彼は顔がだんだんと熱くなってくるのを感じる。息子のヨハネスのことが男の頭を過ぎる。

 

二〇〇九年六月。犬を連れて散歩している男が、エーケベルグ公園の中に立つ白いテントを見つける。不吉な思いに襲われながらも、男はテントの中を覗く。中には若い女性が腰まで土に埋められていた。彼女は身体を鞭のような物で打たれ、顔が変形するほど殴られ、手首が切り取られていた。

 

犯罪事件担当の新聞記者、ヘニング・ユールは目を覚まし、ほぼ二年ぶりに職場へ向かう。彼の職場はインターネット新聞の「一二三ニュヘルテル」である。彼の顔には、火傷の跡が残っていた。職場で彼は、完全に浦島太郎状態であった。まず、入退出カードがないので建物に入れない。カートを作ってもらう間、女性の死体がエーケベルグ公園で発見されたという速報が、ニュースに流れているのを見る。受付でカードを作ってもらってオフィスに入ると、レイアウトも働く人たちも大きく変わっている。彼が知っているのは、同僚のコーレ・ヒィエットランドだけであった。何より彼が驚いたのは、かつて自分が教えたトレーニーのハイディ・キュスが、自分の上司になっていたことであった。

彼は朝の定例編集会議に参加をする。二、三日はペースを取り戻すためにゆっくり過ごそうと考えていたヘニングだが、いきなり、若い女性がその朝死体で見つかった事件を担当することになる。彼はイヴァー・ギュンダーセンいう記者とチームを組んで事件を担当するように言われる。ヘニングは警察の記者会見場へと向かう。そこで、彼女は元の妻で、同じくジャーナリストのノラ・クレメントセンと再会する。ノラは、コールテンのジャケットを着た男と親しげにしていた。ヘニングとノラは、ある事件の記者会見で知り合い、付き合い始め、結婚した。ふたりはヨハネスという男の子を設けたが、その後離婚、その後、火災でヘニングはヨハネスを失っていた。ノラはヘニングの復帰を喜ぶと同時に、自分に新しいパートナーが出来たことを告げる。それは、ヘニングとチームを組むことになっていたイヴァーであった。ヘニングは嫉妬と、運命の悪戯を感じる。

警察署長のアリルド・ギェルスタード、警視のビャルネ・ブロゲランド、広報担当の女性警官ピア・ネクレビューの三人による記者会見が始まる。警察側は、被害者がヘンリエッテ・ハーゲルップ、二十三歳、映画の脚本家志望の女子学生であると告げる。そして、「野蛮な」な殺され方をしていたと発表される。イスラム教徒による「石打の刑」、「家族の尊厳を守るための殺人」かと、ある記者が質問するが、警察はノーコメントを貫く。

警視のビャルネ・ブロゲランドと女性警官のエラ・サンドランドのふたりが、マフメド・マホーニという、殺されたヘンリエッテの恋人と思われる男の家を訪れる。マホーニはパキスタンからの移民であった。部屋の中にはマリワナの臭いがしている。警官の訪問に感づいたマホーニは窓から逃亡を図る。警官が追跡し、彼を捕捉する。

ヘニングはヘンリエッテの通っていた大学へ行き、彼女の同級生と話をする。ヘニングは、ヘンリエッテと組んで、プロジェクトに取り組んでいた、同級生のアネッテ・スコップムと会う。彼はふたりが取り組んでいたプロジェクトの内容に興味を持つ。

イヴァーから、容疑者が逮捕されたという知らせがヘニングに入る。逮捕されたマホーニは取調べを受ける。彼は自分がヘンリエッテの恋人であったことは認める。ヘンリエッテが殺された夜、彼とヘンリエッテの間には、関係のもつれを示唆するようなSMSが交わされていた。また、彼は逃亡の直前に自分のラップトップに火をつけていた。警察署内では、マホーニが犯人であるという観測が強くなる。被害者は鞭で打たれ、石で顔をつぶされ、手首を切り取られていた。それらは、イスラム教義「シャリア」に定められた、不義をした者、戒律を破った物、盗みをした者に対する罰であった。そしてマホーニは、パキスタン出身のイスラム教徒であった。しかし、大学で宗教学を勉強したネクレビューだけは、犯罪を宗教に結び付けるのに疑問を感じる。

洗車場。アジア系の男が四人働いている。そこを経営しているのは、パキスタン人のザヘールラー・ハッサン・ミントローザ、通称ハッサン。従業員の中にヤッサー・シャーという男がいた。

 ヘニングにはかつて、警察からの「ニュースソース」があった。ヘニングは、「六ティールメス七」というコードネームを持つ警察内部の人間と、相手の素性を明かさないという条件で、特殊なソフトを使って情報を交換し合っていた。彼はほぼ二年ぶりに「六ティールメス七」に連絡を取ろうとする。果たして、「六ティールメス七」は返信してきた。「六ティールメス七」は、被害者がスタンガンで身体の自由を奪われてから穴に埋められ殺されたこと、また、マフムド・マホーニというパキスタン人が、重要参考人として取り調べを受けていることを告げる。

ヘニングのマホーニの弟タリクを訪れる。兄のマフムードが何をしていたという問いに対して、弟は闇でタクシーの運転手をしていたと答える。タクシーの所有者は、オマー・ラビア・ラシドという男だという。ふたりが話をいると、何者かが銃を持って乱入する。タリクは射殺され、ヘニングは何とか窓から逃げる。ヘニングは何とか安全な場所まで逃げて、警察のビャルネ・ブロゲランドに連絡を取る。

駆けつけたブロゲランドにと警官たちに、ヘニングは襲撃者を見たと証言する。それは、とりも直さず、襲撃者が、次は自分を狙ってくる可能性があるということであった。ヘニングはしばらくの間身を隠すことにする。ブロゲランドは、ヘニングの証言から、襲撃者をヤッサー・シャーというパキスタン人であると特定する。彼は「BBB」(バッド・ボーイズ・バーニング)というギャング集団の一員であった。ヘニングはその「BBB」と、マホーニ兄弟の関係を調べようとする。ヘニングは数か月前に、元妻のノラが「BBB」について取材し、記事を書いていることを知る。彼は久しぶりに元妻に電話をする。ノラは、「BBB」を侮るなとヘニングに注意を促す。

ハッサンの経営する洗車場の前にパトカーが停まる。降りてきた警官が、ヤッサー・シャーの行方をハッサンに尋ねる。ハッサンはシャーが、警察に追われていることを知る。ハッサンは、シャーが誰かに目撃されたと考える。そして、その人物が、襲撃から逃れた新聞記者に間違いないことも。

ヘニングがタリクとのインタビューの記事を書き上げ、編集者に送った翌朝、早朝散歩に出る。ヘンリエッテの死体が発見された付近で、彼は犬を連れた男に出会う。ヘニングが話しかけると、果たしてその男がヘンリエッテの死体の第一発見者である、スカゲスタッドであった。ヘニングはスカゲスタッドに、警察には話していないが、後で思い出したことがないかと尋ねる。スカゲスタッドは、テントの中に、ラルフ・ローレンの「ロマンス」という男性用香水の匂いがしていたことを思い出す。

出社すると、自分が襲われた記事が、顔写真入りで、インターネット新聞に載っていることを見つける。ヘニングは、出社してきたハイディに食って掛かる。ハイディは、ヘニングが襲われたことは周知の事実になっており、彼の名前と顔がどの新聞にも載ることは時間の問題であり、自分の新聞だけそのことを伏せるわけにはいかないと言う。ヘニングはハイディの主張を認めざるを得なかった。

前夜、ヘニングはヘンリエッテの主任教官、イングヴェ・フォルドヴィックと会う約束をとりつけていた。彼は、若い男性学生に、フォルドヴィックの部屋への行き方を尋ねる。フォルドヴィックは、ヘンリエッテが優秀な学生で、彼女の書いたシナリオが映画会社に採用されたことを告げる。ヘニングは、フォルドヴィックの名前と顔に、見覚えがあった。ヘニングは、フォルドヴィックの妻が強姦された事件の裁判を取材しているとき、彼を見たのだった。フォルドヴィックは、ヘンリエッテが最後に書いていたシナリオはイスラム教の「シャリア」についてだと言う。それは同級生のアネッテとの共作だったが、その内容は知らないと彼は述べる。また、フォルドヴィックの息子のステファンも、映画の脚本家志望であると言う。

フォルドヴィックの部屋を出たヘニングは、道を聞いた男子学生に、ヘンリエッテについて尋ねる。ヘンリエッテは、極めてオープンな女性で、常に男性に囲まれていたという。その男性たちの中には、ヘンリエッテが自分に気があるものと誤解していた者も多かったという。ヘンリエッテがマフムド・マホーニと付き合っていることは皆が知っていたが、金を惜しげもなく使い、自分たちにおごってくれる点以外は、皆マホーニを嫌っていた。ヘニングが、その男子学生にアネッテの電話番号を尋ねると、彼はそれを知っていた。

ヘニングはアネッテに電話をするが彼女は取らない。ヘニングはSMSを入れる。

「私はあなたを助けたい。」

というヘニングのメッセージに対して、アネッテは、

「誰も私を助けることは出来ない。」

と返信してきた。結局、アネッテは自分とヘンリエッテが書いた「シャリア」のシナリオをヘニングに見せることを了承する。ふたりは、カフェで会い、アネッテはシナリオを置いて、そそくさと出ていく。誰かに見つかることを極度に恐れているようであった。 

 そのころ警察では、警視のブロゲランドが、技術関係の同僚と話していた。マフムド・マホーニが火をつけた彼自身のコンピューターであるが、その破損したディスク一部が回復できたという。Eメールの添付ファイルの中に、ヘンリエッテが男と抱き合っている写真が見つかる。ブロゲランドはマホーニを更に尋問する。マホーニは、コンピューターは自分だけが使っていたことを認めるが、Eメールや添付ファイルの存在を知らないという。また「BBB」については聞いたことがないという。

 ヘニングは自分が外出したときに、常に銀色のベンツが傍に停まっていることに気付く。彼はインターネットでその「A二〇五二」というナンバーを調べる。それは、マホーニが闇で乗っていた、オマーという男のタクシー会社に属するものであった。

 ヘニングは、アネッテの置いていったシナリオを読み始める。そこにモナとメルテという二人の若い女性が登場する。彼らは、エーケベルクの空き地にテントを張り、穴を掘っていた。次にガーダー家の食事のシーン。妻のカロリーネは別の女を忘れられない夫ハラルドに、離婚を持ち掛ける。彼らには、グスタフという息子がいた、再び空き地のシーン。モナとメルテは、モナの身体が入るだけの大きさの穴を掘りあげる。モナは何度か、ヤシド・イクバルにSMSを送り、彼からの電話を無視する。その横には大きな石が置かれていた。翌日、モナが石打ちの刑を受けた死体で発見され、ヤシドは容疑者として逮捕される。数か月後、裁判所のシーン。ヤシド・イクバルは、有罪、無期懲役の判決を受ける。メルテは、傍聴席のガードナーに目配せをする。

「これでひとつ終わった、そしてまだまだ続く。」

メルテはそう書いたSMSを送る。ドラマはそこで終わっていた。

 シナリオはほぼ今回の事件の通りだった。いや、今回の事件がシナリオ通りに行われたのだ。無罪の人間が殺人犯に仕立てられた。しかし、モナ役がヘンリエッテ、ヤシド役がマホーニとしても、ハラルド・ガーダー役が見つからない。まずは、アネッテを探す必要があるとヘニングは考えるヘニングは同級生で警視のブロゲランドをカフェに呼び出し、そのシナリオを見せる。ブグロゲランドもそのシナリオを読んで驚く。アネッテの行方を尋ねるヘニングに対して、ブロゲランドは、警察でも探しているが、見つからないと話す。シナリオでは、ヤシドがモナとセックスをしている間に、モナが彼のコンピューターを操作したことになっている。それと同じことが実際行われたとすれば、マホーニは無罪ということになる。ブロゲランドは、ヘニングに、自分の身と、家族を守るように、慎重に行動するように忠告する。

 その日の午後、ヘニングは編集局へ向かう。彼を尾行し、報告をしている人間がいた。その報告を受けているのはハッサンであった。

 ヘニングは、ヘンリエッテのシナリオを採用したテレビ局に電話をする。その会社のヘニング・エノクという男は、シナリオは、知り合いのフォルドヴィックから持ち込まれたと述べる。ヘンリエッテの指導教官である。ヘニングは、シナリオのハロルド・ガーナー役、つまり陰のフィクサーがフォルドヴィックでないかと疑い始める。

 ヘニングは、フォルドヴィックのアパートを訪れる。誰も出ないがドアが開いている。ヘニングは寝室で、フォルドヴィックの息子のステファンが、睡眠薬を大量に飲んで死んでいるのを発見する。ヘニングは、浴室で、ラルフ・ローレンの「ロマンス」という男性用の香水の瓶を発見する。ヘニングは警察に連絡、ブロゲランドとサンドランドが現場に駆けつける。自分のアパートに戻ったヘニングは、隣人から、留守中にアジア系のふたりの男の訪問があったことを告げられる。竜の描かれた皮ジャンを着ていたという。ヘニングは「BBB」が自分を追っていることを知る。

翌朝、ヘニングはブロゲランドに電話をし、事件の進捗について尋ねる。ブロゲランドは、ステファン・フォルドヴィックの死のことも「事件」と言ってしまい、ヘニングはそれが不審死であることを知る。ブロゲランドは、ヘニングに午前十時に事情聴取のために警察に出頭するように言い、電話を切る。

ヘニングがスクーターに乗って家を出ようとすると、銀色のベンツが見えた。彼が走り出すと、その車が後を追ってくる。彼は何度か、一方通行を逆走し、追跡してくる車を巻く。彼は、ヘンリエッテが学び、フォルドヴィックが教えていた学校に入る。そこにアネッテがいた。アネッテは、シナリオは、現実の出来事に即して書かれたものだという。そして、ガーターはフォルドヴィックであることを告げる。ヘニングは、フォルドヴィックの部屋に駆けつける。しかし、フォルドヴィックはいなかった。同僚が、フォルドヴィックは急に休暇を取ったと告げる。

「電話を取ったが、テントに泊まる旅行に出かけると言っていた。」

とその同僚は述べる。「テント」という言葉にピンと来たヘニングは、エーケベルグ公園に向かう。そして、ヘンリエッテが死体で見つかったテントに近づく。ファスナーを下ろして彼が中で見たものは・・・

 

<感想など>

 

 愛想の良すぎる女性。オープン過ぎる女性。誰にも媚びを売ってしまう女性が登場する。彼女は、自分の性格と、行動故に殺される。このパターン、実は、スウェーデン犯罪小説の祖と言われる、シューヴァル/ヴァールーが一九七〇年代に書いた「マルティン・ベック」シリーズの一番初めの本、「ロゼアンナ」に使われた。

また、本に書かれたことが現実の世界でそのまま繰り返されるというパターンが登場する。アガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」で登場したこのパターンも、かなり使い古されたものである。しかし、この作品ではもうひとつ捻りが加わっている。シナリオがまず現実に存在するシチュエーションに基いて書かれ、そのシナリオがまた現実に影響を及ぼすというものだ。つまり、三重構造なのである。

ヘニングは常に悪夢に苛まれる。それは、目の前で、息子のヨハネスを焼死させた自責の念によるものだ。そのときの火傷の跡が、ヘニングの顔に残っている。彼は火災報知器の電池をほぼ毎日交換している。そんな設定から、私は、この作品の前に発表された本の中で、ヘニングが事件に巻き込まれ、息子を亡くし、自分も負傷した。二年後にやっと精神的にも肉体的にも立ち直り、仕事を再開したと思った。つまり、この作品には先立つエピソードがあり、それが既に出版されていると思ったのだ。しかし、そうではなかった。「ヘニング・ユール」シリーズはこれが第一作であるという。おそらく、このシリーズを読んでいくうちに、過去の事件が徐々に明らかにされるものと思われる。それを暗示する部分が、この物語の最後にある。

エンガーに対する評価は高い。英国の作家であり、北欧の犯罪小説の研究家である、バリー・フォーショーは、作者のエンガーとこの作品を、次のように紹介している。

「オスロに住む作家の中でも、トーマス・エンガーは、その分野での、最も卓越した、強烈な才能で、評判を博している。とくに彼の人間を嫌悪する目によって。彼の二〇一〇年に発表された「焼かれた者」(Burned)では、その挑発的な宗教的原理主義と、火傷を負った主人公に、熱狂的な評判と、順調な売れ行きを得ている。これは私が大変興奮したシリーズだ。シリーズの第一作である『焼かれた者』は、魅力的な殺人事件を題材としている。それは現代ノルウェーにおける、若い女性に対する、シャリア(イスラムの掟)的な宗教的な殺人のようにも思える。この物語に登場する身体に傷のある失意のジャーナリスト、ユールは素晴らしいキャラクターであり、最後の数ページはこれから始まるシリーズを準備する、まさに電撃的な結末と言える。」

 また、トーマス・エンガー自身は主人公のヘニング・ユールについて、次のように述べている。

「私は環境の産物である。私の、主人公のヘンング・ユールのように。世界で最も裕福な国のひとつに住みながら、彼の生活はそう簡単なものではない。彼は内向的であり、責任と不正義の感覚を外に出す、思索家である。これらは普遍的かも知れないが、極めて典型的なノルウェー人の形質であると思う。」

作者自身が書くように、主人公のヘニングは思索家である。ジグゾーパズルを完成するように、ひとつひとつのピースを、吟味しながら、矛盾のないように結びつけていく。

 非常に暗い小説である。しかし、最後まで読者に犯人の予測を許さない巧妙なストーリーで、四百ページ以上の長さを感じさせず、読者に一気に読ますだけの魅力ある作品である。

 

20165月)

 

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