季節は廻る

四月初旬、夜明け前の街を歩くのも悪くない。

 

季節は冬から春へと廻っていく。工場でのソフトウェア導入作業も佳境に入り、二月から四月にかけて、もう片手で数えきれないくらいの回数ダンケルクを訪れていた。大抵は、プログラミング担当の「若い衆」と一緒である。二月頃は真っ暗な中、車でホテルから職場へ向かった。三月に入り、朝出勤のとき、地平線から赤い太陽が昇るのが見えた。そして、四月に訪れたときには、朝の光の中を出勤できようになった。

現場での作業は、黄色いヘルメットに、黄色の蛍光色のベスト、爪先が金属で覆われた安全靴という勇ましい姿。冬の間、新築の工場の建屋の中は寒い。アノラックを着込んで、ズボンの下にタイツを履いて、完全武装で作業をしていた。四月になると、かなり薄着で作業ができるようになった。

僕は、ダンケルク滞在中、出勤前と退社後、ホテルを出て、港や海岸を散歩していた。最初は朝も夕方も真っ暗な中での散歩だった。そのうちだんだんと明るくなり、それにつれ、散歩はより楽しいものになった。僕は、散歩のときに写真を撮り、自分ウェッブサイトに載せた。最初は、娘に、

「どうして夜の写真しかないの。」

と聞かれた。

「それはね、お父さんは昼間工場で働いていて、外に出るころは、夜になっているからだよ。」

と答えた。しかし、四月になると、明るい所で撮った写真が増えた。太陽の光の中で見るダンケルクの風景は、

「ここも結構きれいな場所じゃない。」

と思わせるものになっていった。散歩の途中で撮った写真を見た人からも、

「モトはきれいな場所で仕事をしているのね。」

という感想が聞かれるようになった。

 僕は、ヨットハーバーの付け根にある古い灯台の横に位置する、「イビス」というホテルに泊まっていた。そのヨットハーバーには「ダッチェス・アン」という白い帆船が係留されており、それがこの街のシンボルと言えた。ヨットハーバーは橋で海と区切られているのだが、ダンケルクの港の殆どの橋は、開閉式で、背の高い船が通るときは、橋が開くのである。十分ほど歩くと、港の向こうに広くて長い砂浜が現れる。砂浜の端には、第二次世界大戦の記念碑が立っている。砂浜に沿ってプロムナードがあり、カフェやレストランが並んでいる。四月に訪れたとき、店はまだ全部閉まっていたが、五月に訪れたときには、半分くらいの店が開いていた。

 港と砂浜が僕の散歩コース。僕は、水辺を散歩するのが好き。キラキラと揺れ動く水面を見ながら歩くのは気持ちが良いもの。前の会社では、昼休みいつも運河の横を歩いていたし、今も毎週末、娘と、家の近くの湖の周囲を歩いている。そんな意味では、ダンケルクの散歩コースは僕にとって絶好のものだった。

 

暖かくなった五月、ヨットハーバーと跳ね橋。ヨットが通るときは開く。

 

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