ダンケルク撤退作戦

 

ダンケルク撤退作戦、接近するボートに兵士たちが群がる。

 

一九四〇年五月、ドイツ軍は北フランスに侵攻した。ドイツ軍の電撃戦にフランスは席捲される。ドーバー海峡付近の海岸に追い詰められた、フランス軍と英国海外派遣軍の救出を計るべく、時の英国首相ウィンストン・チャーチルは、英国民に呼びかけ、民間の船も総動員して、ダンケルクの海岸から、ドイツ軍に追い詰められた兵士を撤退させる。これが世に言う「ダンケルク撤退作戦」、英国のコードネームで「ダイナモ作戦」である。五月二十六日から六月四日にかけて、三十三万人の兵士が、八百隻以上の船により、対岸の英国に運ばれた。

 

僕が「ダンケルク撤退作戦」について知ったのは、人生の中でも、かなり早い時期だ。「白い渡り鳥」(The Snowgoose 1971) というテレビ映画。船を持っていた主人公が作戦に参加するというものだった。主人公は身を挺して、兵士たちを自分の船に引き上げる。そして、その際、敵の弾に当たって死亡する。最後に持ち主を失った空の船と、白い渡り鳥が写しだされる。涙を誘われる物語だった。調べてみると、その映画は一九七二年に日本で放映されている。つまり、僕は中学二年の頃に、ダンケルクという地名を初めて聞いたことになる。

次に僕がダンケルクと出会うのが、「つぐない」(Atonement2007)という映画である。キーラ・ナイトレイとジェームス・マカヴォイの主演であった。個人的に、キーラ・ナイトレイという女優さんは余り好みではないのだが、この映画自体はとても面白かった。愛し合っているふたりだが、戦争で負傷した男性は、撤退作戦の途中ダンケルクで死に、女性は地下鉄の駅に空襲からの避難中水道管が破れて溺れ死ぬ・・・そんな内容。最後のシーンは、涙なしでは見られない、僕好みの映画だった。自分は「泣かせる映画」が好きなのだとつくづく思ってしまう。

ともかく、僕自身が、そのダンケルクに、一度ならず、二度ならず、これだけ何度も足を踏み入れることになろうとは、想像だにしていなかった。

 

昨年(二〇十四年)の七月の終わりのある日、僕は初めてダンケルクの駅に降り立った。僕の上司のT課長と、協力会社のエンジニア、Kさんという女性と一緒である。僕たちはその日、朝七時前にロンドンのセント・パンクラス駅から「ユーロスター」という国際列車に乗り、海峡トンネルを潜り、フランス最初の停車駅、リールで降りた。列車はリールから更にベルギーのブリュッセルに向かうのだが。リール駅でローカル線の電車に乗り換えた僕たちが、ダンケルクに着いたのは十一時半だった。リールからダンケルクまでの一時間、ひたすら平らな畑と牧草地が続いた。オランダを思い出す。

ダンケルクは、「撤退作戦」の際、英仏軍の集結地に選ばれた事実が示す通り、ドーバー海峡を挟んで、カレーと並んで、英国から一番近いフランスの町だ。どれだけ近いかと言うと、泳いで渡れるくらい!

 

あれから七十五年、海岸の記念碑の前には花輪が供えられていた。