「検視官」

原題:Postmortem (検屍)

ドイツ語題:Post Mortem / Ein Fall für Kay Scarpetta (検屍/ケイ・スカーペッタ第一の事件)

1990年)

 

 

パトリシア・コーンウェル

Patricia Cornwell

1956年‐)

 

 

<はじめに>

 

パトリシア・コーンウェルは、一九五六年生まれ、米国の女流犯罪小説家である。女性検屍官、ケイ・スカーペッタをヒロインにするシリーズで人気を博し、日本でもベストセラーとなった。ケイの活躍する場所は、ヴァージニア州、リッチモンド、そこはかつてコーンウェル自身が新聞記者として働いていた町でもあった。

 

<ストーリー>

 

ヴァージニア州リッチモンド市、六月のある土曜日の早朝、検屍医、ケイ・スカーペッタは目覚める。外は雨。電話が鳴っている。それは、警視ピート・マリノからの電話であった。

「また同じ犯人による犠牲者が出た。」

とマリノはケイに告げる。ケイは現場に急ぐ。

 アパートで、若い女性が殺されていた。死後数時間経過していた。深夜家に帰って来た夫によって発見された女性は、手足を縛られ、首にナイロンストッキングを掛けられて、強姦された後、体重が首に掛かるように仕向けられ、窒息死していた。殺された女性は、ロリー・ピーターセンという女医であった。彼女は病院の救急病棟で、前日の夜十一時まで働いていた。そして、家に戻ったところを襲われたようであった。週日は仕事のため、別の場所に住んでいる俳優である夫が、真夜中過ぎに家に帰り、殺されている妻を発見したということだった。

 ケイがその死体を調べる。リッチモンドでは、ここ数カ月の間に、若い女性が自宅に独りでいるところを襲われ、強姦され、殺されるという事件が連続して起きていた。警察は、同じ犯人による犯行と見ていた。そして、四人目の犠牲者がロリー・ピーターセンであった。これまで殺された三人の犠牲者は、住んでいる場所も、職業も、交友関係も、人種も異なり、警察は犠牲者間の共通点を見つけることができないでいた。

 殺されたロリーのアパートでは、台所の窓が開いており、犯人はそこから入ったと思われた。夫のマットは、シャーロッツビルの大学で博士課程におり、専攻は演劇、自ら俳優でもあるという。ケイは、集まり始めたマスコミの記者たちをかき分けて外に出る。

 その日の午前中、ケイはロリー・ピーターセンの遺体の収容された検屍室を訪れる。彼女は、光を当てるとキラキラ光る粉のような物体が付着しているのを発見する。その物体と、被害者の体内に残された精液が、犯人の数少ない遺留品であった。マリノは夫のマットを疑っているようであった。キラキラ光る粉は、俳優のメーキャップではないかと、マリノは考えていた。ケイは、ロリーの解剖を始める。

 その日、ケイは姪のルーシーを遊園地に連れていく約束をしていた。十歳のルーシーは作家である姉ドロシーの娘であったが、ケイによく懐いており、頻繁にケイの家に泊まりに来ていた。ルーシーは聡明な女の子で、コンピューターが大好き、他人のコンピューターを勝手にいじくりまわすという悪い癖があった。

 夕方に、ケイは家に戻る。姪のルーシーは、

「叔母さんのコンピューターをちゃんとしてあげたわ。」

と言う。ケイはドキリとする。ルーシーの母ドロシーは、ルーシーの「作業」によって、書きかけの小説を全て失ったこともあった。

「大丈夫よ、今度は。ちゃんとバックアップをしたから。」

と、ルーシーは涼しい顔をして言う。ルーシーは殺人事件を伝える夕刊を見ており、そこに叔母の写真が載っていることも知っていた。ルーシーは叔母が事件に巻き込まれるのではないかと、心配していた。

月曜日、ケイは同僚のニールス・ヴァンダーと共に、死体の検証を続ける。ヴァンダーは死体から発見された指紋の照合作業をしていた。その中に、警察に登録されている犯罪履歴のある人間の指紋が見つかった。それは、被害者の夫、マット・ピーターセンのものであった。彼は、かつて「強姦罪」で逮捕されていた。夫は、警察に招かれ、マリノの尋問を受ける。

 ケイは、マリノと夫のマットの会話が録音されたテープを聴いていた。マリノはまず、過去にマットが逮捕された事件について質問していた。マットは、大学のパーティーである女性と会い、彼女を追い、関係を迫ったという。しかし、ロリーと結婚してからは、他の女性とは関係を持っていないと主張する。マットは、深夜家に戻った時、窓が開いているのに気付いた。電灯は全て消えていた。夫は、妻の死んでいる部屋に入った時、ホットケーキにかける「メープルシロップ」に似た、甘酸っぱい、それでいて嫌悪感を催す臭いが残っていたという。

 ケイにはその匂いに心当たりがあった。それは、特殊な遺伝病の患者に特有の臭いであった。その患者の多くは成長を待たずに死亡するが、成長した者は、身体から発する悪臭に悩まされることになる。そのため、患者は一日何回も身体を洗わねばならい。最初の三人の犠牲者の女性が発見されたのは、殺されてから半日以上経ってからであった。ロリーが夫によって発見されたのは犯行から二、三時間後である。犯人の体臭が残っていたとしても、おかしくはなかった。

ケイは、FBIから派遣されているプロファイラーのベントン・ウェスリーと話していた。ウェスリーは、エリートで眼光の鋭い男であるが、尊大さはなく、常に地元の警察に協力的であり、ケイの良き相談相手であった。ウィスリーは、犯人像を分析していた。これまで四人の女性が犠牲になっていた。ブレンタ・ステッペ、パティー・ルウィズ、セシル・テーラーとロリー・ピーターセンである。そのうち、三人が白人、一人が黒人であった。通常、連続強姦事件の犯人には好みがあり、黒人も白人も両方狙うということは極めて稀であるとウィスリーは述べる。また、犯人は極めて知的な人物であるが、おそらく自分を社会の中に埋没させ、目立たずに生きていると分析する。そして、犯行がいつも週末であることから、職業を持った人物であると想像する。

ケイは警察署の情報システムを担当するマーガレットに呼ばれる。マーガレットは、ケイのユーザー名で、誰かが中央コンピューターにアクセスしているという。その人物は「ロリー」、「ピーターセン」というキーワードでシステム内に検索を掛けていた。ケイはそれが、姪のルーシーの仕業ではないかと考える。

その後、ケイは、会議室に呼ばれる。そこにはリッチモンド警察の首脳陣が彼女を待っていた。アンバジー、ノーマン・タナー、ビル・ボルツの三人である。アンバジーは、

「警察の極秘捜査情報が外部に漏れている。」

と言って、新聞記事をケイに見せる。そこには、ロリー・ピーターセンの殺人の詳しい状況が書かれていた。それらは本来、警察関係者でも一部の人間のみが知りえる情報であった。首脳陣は、それらの情報が、検屍局のコンピューター、あるは検屍局のメンバーから漏洩しているのではないかと疑っていた。記事を書いていたのは、アビー・ターンブルという女性記者であった。ケイはアビーを知っており、これまで何度か情報を交換したことがあった。首脳部がケイを疑う理由もそこにあった。

ケイはその記事を読む。そこには「被害者の頸には茶色い紐が巻き付いていた」と書かれていた。実際、ロリーの頸に巻き付いていたのは、ナイロンストッキングであった。そして、彼女は、報告書にあったその項目を、正式の検屍の際、自ら書き換えていた。つまり、報告書が自分の手に届きく前に、誰かがそれを外部に見せたと、ケイは考える。ケイは、自分のユーザー名で、セントラルコンピューターにアクセスしている人物がいることを、三人の首脳陣に伝える。

死体に付着していたキラキラ光る物質は、レーザー分析の結果、特殊な石鹸に使われているものだと分かる。精液からDNA分析も行われるが、当時の技術では、DNAにより、既にDNAが登録されている人物との比較、特定はできるが、DNAを使って、人種などの人物像を明確にしていくことは不可能だった。

五人目の犠牲者が出た。ヘナ・ヤーボロウという女性であった。マリノとケイのチームが現場検証をしていると、

「私のうちで何をしているの?」

と玄関で叫ぶ声がする。そこにいたのは、記者のアビー・ターンブルあった。殺された女性は、アビーの妹だったのだ。

「警察が何もしないから、こんなことになったのよ。これは警察の責任よ。」

とアビーは警察官に向かって叫ぶ。マリノとケイは、驚いてアビーを見つめる。

「数日前、私は尾行されているって、警察に電話をしたのよ。でも、警察は、あなたの思い過ごしだと言って、取り合ってもくれなかった。仕方なく、私は、尾行者の人相や、その男の乗っていたくるまを自分で調べて書き留めておいたのよ。」

マリノとケイはアビーに更に詳しい説明を求める。ふたりは、妹のヘナがアビーと間違えて殺されたこと、そして、アビーこそ、唯一で初めて、犯人を目撃した者であることを知る。ケイは一計を思いつく。それは、アビーの書く記事を通じて、犯人をおびき寄せるというものだった・・・ 

 

 

<感想など>

 

英語で書かれた、特に米国人の作家によるミステリー、犯罪小説はこれまで殆ど読んだことがなかった。私には、ヨーロッパ人が好みに合う。本でも、映画でも、ヨーロッパの繊細さが好きだからだ。今回、私の友人でミステリー仲間でもある女性から、「是非読んでみたら」と勧められて、極めて例外的に、そして遅まきながらこの小説を読んだ。(残念ながらドイツ語で)推薦してくださった方とは、小説に対する趣味が似ており、彼女の気に入ったものなら、きっと私も好きになれるだろうと思った。正直、その通りだった。何より、舞台が、ニューヨークなどの大都会ではなく、ヴァージニア州リッチモンドという小都市であるのがいい。「コンクリートジャングル」、「メトロポリス」という、人を圧倒する感じではなく、こじんまりした、かなりヨーロッパ的な雰囲気。そんな中で、すんなりと小説の世界に入って行けた。

色々なシリーズで、色々な職業の人間が、謎解きをするが、「検屍医」というのも、ちょっと目先が変わっている。科学捜査の時代、一人の有能な探偵が、その頭脳だけで捜査を進めるのはもはや不可能である。法医学の専門家、コンピューターの専門家などがどうしても必要になってくる。最近は、チームプレーで解決するパターンが多くなっていたが、科学捜査の中心、検屍医を主人公にするというのは良いアイデアだと思った。

 捜査の上で、ポイントになるのは、以下の三点だと思う。

l  残された臭いは何か。

l  被害者たちの関係は何か。

l  警察の捜査情報の漏洩はどこからか。

この三点が分からずに警察は苦労する。そしてケイが最終的に、その謎に正解を提供する。

ケイ・スカーペッタの職名は「チーフ・メディカル・エクザミナー(Chief Medical Examiner)」である。日本語では「検屍官」と訳されているが、検屍の最高責任者で、結構ポジション的には高いと思われる。 

医者を主人公にして、医学情報を駆使した小説を書くパトリシア・コーウェルを、最初、医学を勉強したことのある人だと思った。しかし、彼女は英文学を専攻していた。卒業後、彼女は警察担当の記者をした後、リッチモンドの検屍局に勤めていたという。そして、そこでITのアナリストもしていた。なるほど、「警察」、「医学知識」、「コンピューター」この三つが、この小説に見事に融合されているのも、作者の経歴を見るとうなずける。

一九九〇年に発表された作品。つまり、一九八〇年代の科学技術を基本にして書かれている。一応コンピューターを使った捜査、DNAに基づく捜査も登場するのだが、三十年前の技術ということになる。ことコンピューターに関すると、骨董品的な印象を受ける。(当時は私もITアナリストとして働いていた。その時代が懐かしくなる。)しかし、その点を含めても、古さというものは全然感じなかった。それだけ、プロットがしっかりしているということだと思う。このケイ・スカーペッタを主人公としたシリーズは、好評を博し、二〇一六年までに、計二十四作が発表されている。その全てに日本語訳が出ているので、日本での人気も推して知るべしということになる。

ケイが「私」、一人称で語る書き方である。一人の人間の観察できる範囲でしか、ストーリーを語れないので、犯罪小説としては、結構難しい手法であると思う。実はこの本、最初はたった六千部しか印刷されなかったという。出版社も、編集者も、作者自身も、この作品がそれほどベストセラーになるとは思っていなかった。しかし、出版された翌年、一九九一年には、数々の賞を取ることになる。そして、現在では三十を超える言葉に翻訳されている。

 

20195月)

 

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