抜け落ちた時間

 

生母が朝作ってくれた野菜ジュース。美味しい。

 

再び病院へ戻り、父が眠っているので、本を読もうとする。このところずっと読んでいるバルザックの「谷間の百合」。しかし、夏の日曜日の午後の病室。これほど眠気を誘う環境はない。静けさと、暑さで、椅子に座ったままウトウトと眠ってしまい、ページはさっぱり進まない。

父が目を覚ます。

「お父ちゃん、この時計、Fさんくれはってん。何時か読めるか。」

と冷蔵庫の上に置いた時計を指して言う。父は正しい時間を読んだ。 

夕方五時ごろ、母とFさんがほぼ同時に現れる。病室が急に賑やかになる。

「モトヒロ、晩飯でも一緒にどうや。」

Fさんに誘われる。それで、父の夕食の世話を母に任せて、Fさんとふたり自転車で病院を出る。Fさんの行きつけらしい小さな洋食屋でビールを飲みながら夕食を食べる。従兄弟とはいえ、Fさんは僕よりも八歳年長。しかも親分肌の性格。従兄弟と言うよりは叔父、甥というような感じだ。お互いの家族の近況を話し合う。

 九時前にFさんと別れ、自転車で家に戻る。京都の街で自転車を漕いでいると、高校時代からずっとここに住んでいるような気分になる。三十年間のヨーロッパでの生活の時間が、完全に抜け落ちた気分。

 二十七日、月曜日。六時半に目が覚める。時間的に眠り足りているはずだが、眠くて仕方がない。鴨川に向かって鞍馬口通りを歩き出すが、何となくジグザグに歩いているような気がする。気温はそれほど高くないが、湿度は高い。じんわりと汗が出る。

今日この辺りはゴミの収集日なのであろう。集積されたゴミ袋が一部破れて中身が散乱している。ネコの仕業かと思ったら、カラスだという。

「最近、カラスはマヨネーズの味を覚えて、マヨネーズのチューブを探して袋を破るねん。」

家に帰ってそのことを言うと、生母が言った。

「何でも、東京の方で、カラスがマヨネーズの味を覚えたらしいで。」

「ふーん、でも東京のカラスが『マヨネーズ美味しいで』と、どないして京都のカラスに伝えたんやろ。」

と僕が不思議がる。

「やっぱり、トウィッターちゃうか。」

生母は年齢のわりに言うことが新しい。

朝食後、病院へ行く。父の熱は三十六度、やっと平熱に戻ったらしい。順調に快復しているようだ。この前も書いたが、父は僕が来たばかりなのに、もう僕の帰る日のことを心配し始めている。昼前やって来た継母に、

「あんたがあんまりお父さんの世話を焼きすぎると、帰った後がっくりきはるえ。」

と言われる。うーん、難しいところだ。

 

朝の鴨川。トレーニングに励む大学の陸上部の選手達。

 

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