谷間の百合

 

僕にとって「谷間の百合」の舞台は、まさにこんなイメージだった。

 

日曜日。朝七時過ぎ、独りでマーゴット夫妻の家を抜け出して散歩に出る。歩いていると、この辺りはなだらかな谷になっているのが分かる。日本で「谷」というと、黒部峡谷のようなV字の渓谷を思い浮かべるが、ヨーロッパの「谷」のイメージはもっと穏やかでなだらかで、明るいものなのだ。

僕はドイツに一冊の本を持ってきていた。フランスの文豪、バルザックの「谷間の百合」。高校生の頃読んで感動したので、三十年後に読んでまた感動するかどうかを実験してみたくて読み始めた。高校生のときはもちろん日本語で読んだが、今回はドイツ語だ。

頃は十九世紀、王制復古の頃のフランス。ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」と同じ時代だ。「レ・ミゼラブル」は圧政に喘ぐ庶民の物語だが、「谷間の百合」は復権した貴族階級の物語。主人公の青年フェリックスが、転地療養のために田舎にやってくる。そして、谷を挟んで反対側に住む、百合のように美しいモルソフ伯爵夫人に恋心を抱く。彼は夫人のために谷を歩き回り、花を摘んでは花束を編む。

朝日を浴びて僕の目の前に広がっているのはまさにそんな景色だ。本で読んだ風景と、目の前の風景がオーバーラップする。マーゴット夫妻の家を囲む麦畑には麦の穂が出揃い、道と麦畑の境には、オレンジのポピーや、紫、青、黄色の野草が咲いている。

朝食のとき、僕はジギに「谷間の百合」の本の表紙と、窓から見える景色を見せた。

「同じでしょ。」

と僕は彼に言った。世の中には、多くの人が金を払って、英国の「湖水地方」や、ドイツの「シュヴァルツヴァルト」(黒い森)に休暇に来るというのに、マイーゴット夫婦は、日常的にそんな場所に住んでいるのだ。何という贅沢な人たちなんだと思う。

ジギもマーゴットも学校の先生。彼等の家の本棚には沢山の本が並んでいるが、結構推理小説が多い。僕の読んだ本も何冊かある。

「誰が読んでるの。」

と聞くと、

「ジギは推理小説好きなんだよね。」

とマーゴットは言った。朝食の後、数日前に同僚のブリギッテとやったのと同じような会話が交わされる。どれが面白かったか、どれがお勧めかというような。

九時過ぎに彼等の家を車で出る。十時から、クラーク家の人々と一緒にマーブルクで「礼拝」に出ることになっていたからだ。クラーク一家は僕らがマーブルクに住んでいたときに、道を挟んで反対側に住んでいたご家族で、子供さんが四人おられる。僕等はいつも一緒に日曜日の「礼拝」に行っていた。別に僕たち家族はキリスト教徒でもないのだが、田舎に住んでいると、「必然的に」日曜日は教会に行かなければならないという雰囲気があるものなのだ。クラーク夫妻はマーブルクから少し離れた村に引っ越されたが、今日はマーブルクまで出てきてもらって、一緒に「礼拝」に出る約束をしていた。

 

麦畑の周囲には綺麗な野の花が咲いている。

 

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