北京へ

 

天安門広場にて。中国では1989年の天安門事件について語るのは今もってタブーである。

 

結婚式の翌日、ワタル、ゾーイ、僕たち四人は北京へ向かった。

朝食の席で、ハンさん夫妻に会う。昨夜、

「色々お世話になりました。有難う。次は日本でお会いしましょう。」

と抱き合って別れたのに、また顔を合わすのは何だか変な気分。ワタルとゾーイの結婚式は、中国と日本の両方で行われることになっており、今回が中国版、九月の終わりに日本版がある。ハンさん夫婦は、日本版にも出席されるのだ。

「今回はハンさんに随分お世話になったし、日本ではどうしてもてなそうか。」

僕はその朝目が覚めてから、ずっとそんなことを考えていた。その日ティエンジンに行くというハンさん夫婦と別れて、八時半ごろ、マイクロバスでピングウを発つ。マイクロバスはゾーイが手配してくれていた。車は山間の道から高速道路に入り、三日前に来た道を北京に向かって走る。北京市内は、五重の環状道路に囲まれており、「五環」、「四環」と順に市内に入って行く。巨大な北京駅の前を通り、僕らは天安門広場の南側で車を降りた。車は、二日間チャーターされているとのことで、大きな荷物は残して、リュックとカメラと傘を持って僕は車を降りる。その日は、「故宮」(紫禁城)を訪れることになっていた。

車を降りたとたんに、雨が降り出した。

「雨が降って涼しいのが良いか、晴れて暑いのが良いか。」

これは、夏の北京観光では微妙かつ重大な問題だと思う。僕らが着く前週、毎日、北京の天気をチェックしていた。連日最高気温が三十七度。日本ではそれほど驚くほどの気温ではなくなってきているが、涼しいヨーロッパからの訪問客にとっては、かなり辛い気温である。結婚式で雨に降られたワタルとゾーイには悪いが、僕たちが北京に着いてからは雨が曇りで、気温も三十度を超えず、過ごし易かった。

「雨の方が、暑さよりましだよね。」

と歩きながら妻に言う。妻も同意する。

 天安門広場の南側で、ガイドのシンさんと落ち合う。彼が、二日間僕たちを案内してくれるのだ。一応英語のガイドである。「一応」と言ったのには理由がある。僕は最初、彼の訛りのある「英語」が全然分からなかった。英語ネイティブのスミレとミドリには分かるんだろうなと思って、僕は黙っていた。そうしたら、スミレまでが、

「彼の英語が分からない。」

と言い出す始末。結局ゾーイが英語から英語に翻訳してくれた。

 天安門広場を南から北へ縦に通り抜ける。とにかく人が多い。普段英国の田舎に住み、閉所恐怖症の僕には、ちょっと恐ろしい環境だった。人とぶつかりそうになるので、真っ直ぐに歩くことはほぼ無理。とにかくガイドのシンさんに付いて行くことだけを考える。毛沢東廟がある。長蛇の列。シンさんによると、入るまでに二時間くらい待たないといけないという。人々は根気よく、雨の中で立っていた。

 

故宮の中で。写真ではそれほどにも見えないが、とにかく大勢の人であった。

 

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