何時の世もマスコミは

ナショナル・ポートレート・ギャラリーのお向かい、セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ教会のお隣の劇場。

 

この「シカゴ」の描くものは、常にセンセーションを追い求めるマスコミと、そのマスコミから捨てられた「元有名人」の悲哀である。日本でも「一発屋」と言われる芸人がいる。一回だけヒットを飛ばしたが、その後が続かない。いつかマスコミからも大衆からも忘れられ、ヘルスセンター回りなんかをしている。それが「芸人」ではなく、「殺人者」であるというのが米国らしい。「今週の殺人者ナンバーワン」というのが新聞に載り、それを見て、ヴェルマやロキシーは一喜一憂する。

この物語、一九二四年実際にシカゴであった殺人事件を基に、モーリーン・ダラス・ワトキンスという女性記者が舞台劇に仕立てたのが最初だという。彼女は自分の劇がミュージカルになることを拒んだが、彼女の死後遺族が版権を売却、それを買い取った三人の米国人プロデューサーがミュージカルに仕立てた。一九七五年が初演というから、クラシックなミュージカルである。ロンドンでも何度もリバイバルされている。

二〇〇二年には、レネー・ゼーウィガー、リチャード・ギア、キャサリン・ゼタ・ジョーンズで映画化された。僕はこの映画を見ているので筋は知っている。「ブリジット・ジョーンズの日記」でポヨポヨして姿を見せていたゼーウィガーがこの映画ではスマートになって踊りまくっていたので驚いたのを覚えている。

ダンサーを目指すロキシー・ハートは、愛人のハリーを射殺する。夫のアモスの協力を得て、殺されたハリーが強盗であったことにしようとするが、その嘘がばれ、ロキシーは殺人罪で拘置所に送られる。そこに君臨していたのは有名なダンサーで、一緒にベッドにいた夫と妹を射殺したヴェルマ・ケリーであった。彼女は今やマスコミの寵児で、看守の「ママ」モートンをマネージャーのようにして使っている。ロキシーが話しかけても、相手にしない。

しかし、弁護士のビリー・フリンが、ロキシーの件を担当するようになってから、ヴェルマとロキシーの立場が逆転する。フリンはロキシーの犯行を他人の同情を呼ぶように勝手に書き換え、それをタブロイド紙の女性記者、メアリー・サンシャインが「お涙頂戴」式に書き立てる。ロキシーは新たなマスコミの寵児となる。しかし、そのロキシーの天下も長くは続かない。もっと若いピチピチした女性が、新たに殺人事件を起こしたのだ。

マスコミの目を引き付けるために、ロキシーは、

「自分のお腹には子供がいる。」

と嘘をつく。その作戦は当たり、ロキシーは再びマスコミのスターの座に返り咲く。しかし、所詮それも悪あがき、長くは続かない・・・

五時からの舞台が終わったのは、七時半だった。八時からは夜の部。次のお客さんが外で待っている。ダンサーやミュージシャンはたった三十分休んだだけで、次の公演。結構動いて体力を使うだろうに、俳優さんたちも大変だ、と同情しながら、僕はビールを飲むために、レスタースクエアに星の数ほどあるパブの、その一軒の入り口を潜った。

20121月)

 

客席の上の丸天井が美しいギャリック・シアター。