バスクリンの入った海

 

シャーリー・ハイツからイングリッシュ・ハーバーを望む。

 

英国海軍の英雄、ネルソン提督はロンドンに住む人にはお馴染みの人物である。トラファルガー広場の塔の上に立っておられるからだ。そのネルソンが英国海軍のドックを、アンティグア島に作り、それが今も残っているという。

僕:「ネルソンは睡眠時間の短い人やったらしいで。」

妻:「へえ、そうなの?」

僕:「『寝る』と『損』やと思うたはった。」

まともに聞いていた妻はあきれている。

ドックのある場所は、最初ハリケーンを避けるための入り江として英国海軍に使われたが、十六世紀になり、本国に帰る船を修理するためのドックが作られた。ネルソンの作ったドックの辺りは今も港として使われており、「イングリッシュ・ハーバー」と呼ばれている。

 マイクロバスは、一時間ほどで、島を縦断して、最南端のイングリッシュ・ハーバーに着く。「ネルソンのドックヤード」は、コロニアル風の建物があり、熱帯の花々が咲き乱れ、そして何億とするであろう大型ヨットの停泊する、静かな場所だった。昔、船を引っ張り揚げるために使った装置や、昔の船の碇(いかり)などが残っている。

 その後、イングリッシュ・ハーバーと島の南側が一望できるシャーリー・ハイツという高台へ。足元には蒼いカリブ海が広がる。昔は見張り場に使われていたようで、城砦の跡が残っている。

 マイクロバスは海岸沿いを走り、船に戻る予定であったが、まだ時間も早いし、泳ぎたいので、僕達はあるビーチを通過したときに降ろしてもらう。誰が数えたか知れないが、アンティグア島には三百六十五のビーチがあるとのこと。

 僕達が降りた、ヴァリー・チャーチ・ビーチの白い「砂浜」を作っているのは、無数の細かい貝の破片と、珊瑚の破片であった。従って、正しくは「砂浜」ではなく「貝浜」である。水はターキス、つまり薄い緑色で少し白く濁っている。水の色の美しい場所だった。

「バスクリンの入ったお風呂で泳いでるみたいやね。」

と妻に言う。水は温かく、手拭いを頭に乗せて、「ちょんこちょんこ」と都々逸をうなりたくような気分。

「わあ、眼鏡がどっかいった。」

と妻が言った。波に足をさらわれ転んだ拍子に、かけていた眼鏡を水の中に落としてしまったという。水中眼鏡をかけている僕が、直ぐに「捜索隊」に入ったが、何せ水が白く濁っているので発見できない。妻は、

「また、やっちゃった。」

と悔やんでいる。しかし、幸い代えの眼鏡は持ってきているとのこと。

「あんたの眼鏡、僕のカメラやね。」

妻は何度も眼鏡を亡くし、僕は何度も一眼レフのカメラを落とし、その度に、一万円以上の金を使っている。

 

カリビアン・ブルーの海で。この後、マユミは眼鏡を亡くした。

 

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