事前リサーチ

 

ツァーリの座に就いたボリス。上々の出たしだったが、数年して、不幸な出来事が続くようになる。

 

 資料を作成して、歴史的背景、登場人物、ストーリーを把握したした上で、僕はYouTubeで実際のオペラを見始めた。

「最初に見てしまって、筋が分かってしまったら、本番で、新鮮味がないやん。」

と言われる方がいるかも知れない。しかし、これまで、オペラを見る前に、別の公演のビデオを見ておいてよかったと思ったことが何回もあった。そのひとつの理由は音楽である。やはり、一度か二度聞いておいて、慣れ親しんだ曲の方が、聞いていて心地良い。次の理由は、オペラは演出によってガラッと変わるので、それぞれの舞台が別物と考えてよい。別の公演を見ておくと、比較ができて面白いのである。

YouTubeには画像入りの全曲バージョンがふたつあった。ひとつはロシア、マリインスキー劇場、二〇一二年版であり、もうひとつは、同じくロシア、ボリショイ劇場、一九七八年版であった。音を消して、誰かにこのふたつの公演のビデオを見せたら、誰も、絶対に同じ作品だとは思わないだろう。ボリショイ劇場版は、その時代、つまり十六世紀の衣装、舞台背景で演じられていた。それに対し、マリインスキー版は、完全に現代に置き換えら得ており、ボリスの秘密の記された「年代記」はラップトップに保存されており、若い僧がそのラップトップの記事を読むという設定。そのふたつのバージョンを見るにつけ、

「今回の王立歌劇場での公演は、一体どんな演出になっているんやろ。」

と楽しみになってくる。まあ、オペラというのは、そんなもの。古いものは楽譜しか残っていないわけで、それをどう「料理」するかは、演出家のイマジネーションとインスピレーションによる。それだけに、演出家もやり甲斐があるし、聴衆も期待と楽しみがあるわけだ。

 さて、歴史的な背景だが、時期的にも、状況的にも、日本の戦国時代と似ている。一五八四年、イワン雷帝が没した後、一六一三年にミハイル・ロマノフが即位してロマノフ朝が始まるまで、ロシア国内が混乱し、短期間で何人ものツァーリが入れ替わる時期があった。日本での、織田信長による天下統一、関ヶ原の戦い、徳川幕府成立と同じ時期である。そのとき、ボリス・ゴドゥノフが、一五九八年から一六〇五年まで、ツァーリの地位に就く。オペラはその八年間の物語である。歴史では、イワン雷帝の家臣であったボリスが、イワン雷帝の息子で、次期のツァーリと見なされていた少年ドミトリーを暗殺し、自分がその後釜に収まった、ということになっている。しかし、彼の治世の間、ロシアは飢饉や、不幸な出来事に見舞われる。一六〇四年、ポーランドに、ボリスの殺したはずのドミトリーと名乗る男が現れ、軍隊を率いてモスクワに進軍する。その混乱の中、ボリスは一六〇五年に急死する。その後、(自称)ドミトリーがモスクワに入城。ツァーリの座に就くと宣言する。しかし、彼も間もなく殺され、その後、一六一三年、ミハイル・ロマノフが王座に就くまで、ロシアの混乱は続く。ボリスは明智光秀にちょっと似ていると思う。主君を殺して一時的に権力の座に就くが、間もなく別の勢力に取って代わられるというわけだ。

 

年代記を執筆する僧ピーメンと弟子のグリゴリー。ピーメンはボリスの秘密を知っている数少ない人間である。

 

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